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彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.8.11 「判断ミスの原因」

2015/08/12

今と昔では何も同じではないということはあり得ないだろうが、
何かが違うことは確かなようだ。
人はその違いを感じ取れないのだろうか。
たぶん感じているはずだが、
使っている言葉が昔ながらの使い古された概念を伴っているから、
何か現状を説明するとなるとしっくりこない面がある。
しかしこれから何を説明しようとしているのか。
何かしら語っていれば何かを説明していることになるだろうか。
では何を語ろうとしているのか。
人々は自己同一性についてどう思っているのだろうか。
自分を何と同化させたいのか。
民族と同化させたいのか、
あるいは国民と同化させたいのか、
さらに同じ宗教や宗派に属している人々と同化させたいのか。
それと自己同一性の問題とは違うのだろうか。
そもそも自分が何者であるかなんて知る必要があるのか。
とりあえず日本国籍を取得していれば、
アイヌ人であろうと沖縄県民であろうと在日韓国朝鮮人であろうと、
日本国民であるわけだが、
別にそのこと自体に問題があるわけではない。
日本国籍を取得してない人は外国籍の人であり、
それでも日本に住める条件を満たしていれば住んでいられるようで、
それもそれで特に問題があるわけではない。
何か住める決まりのような法律があり、
それを守っていれば住んでいられるわけだ。
たぶん他の国でも外国人が住むための法律の類いがあり、
それを守っていれば住んでいられるのだろうし、
その国の国籍を取得できるような法律もあり、
取得できる条件を満たせば、
その国の国民になることもできるはずだ。
要するにその国の国民であるかどうかは、
法律的な性質のものであり、
個人の自己同一性の問題とは少し違うのではないか。
生まれながらにその国の国民である場合に、
何か勘違いのようなものが生じるのだろうか。
例えば国を守るという思いには、
何か法律的な概念とは違った
感情のようなものが入り込んでくるわけか。
自分たちとは生活習慣や考えの違う人たちを、
敵とみなして排除しようとする感情が、
どこまで厳密な差異に基づいているのか、
どうもその辺に曖昧な思い込みに基づいた自己同一性が潜んでいて、
彼らが定義する日本人という存在が、
どこまで正確な同一性に基づいているのか、
改めて問うとよくわからなくなってくるのではないか。
彼らはもとから同じではなく、
彼らの価値観に基づいた日本人という存在に、
ひたすら同一化しようとしている限りで、
自分たちが真の日本人だと思いこめるわけで、
そのような同一化への努力を怠っている人たちは、
彼らにとっては敵であり、
反日日本人として敵視しているわけだが、
果たして他の日本人も
彼ら独自の価値観に同調する義務でもあるのだろうか。
もちろんそんな私的な価値観に
同調する義務などありはしないのだろうが、
彼らにとってそれは私的などではなく、
先祖伝来の公的な価値観だと思い込んでいるわけで、
たぶんそこから生じる一般の人たちとのギャップが埋めがたいのだろう。

日本人と日本国が結びついたのはそんなに古い時代ではなく、
たぶん明治維新以後だと思われるのだが、
それも西洋から導入した国民国家の価値観に基づいているわけで、
日本古来の伝統とは違うのかもしれない。
実情としては西洋の国民国家からの侵略から国を守るためには、
日本も西洋式の国民国家とならざるを得ず、
西洋式の法律や社会風俗や産業などを導入して、
近代化という名の下に
日本も西洋式の国民国家となろうとしたわけだが、
外国に対してはそれでいいとしても、
急激な西洋化には国内の反発が起こるわけで、
だから国内向けには西洋に対抗するために
日本独自の価値観や伝統を作らなければならなかったのだろうし、
日清日露の戦争に勝利した頃から
西洋の猿真似を嫌う自尊心も芽生えてきて、
夜郎自大と言わないまでも、
傲岸不遜な精神の温床として、
神国日本の神話が人々の間に広まってきたわけで、
軍国主義的な性格を強める政府も、
人々を洗脳して支配するための道具としてそれを使い、
敗戦とともに嫌な思い出として残ったわけだ。
だから一部の人たちが靖国神社などへ
これ見よがしに参拝したりすると、
軍国時代の不快な歴史的な記憶が蘇ってきて、
多くの人たちが嫌な思いになるわけで、
それは決して自虐史観などではなく、
実際に治安維持法などによって
自由にものを言えない時代があったわけだから、
仕方のないことなのだが、
なぜ当時はそのような時代になったのかも、
それなりの必然性があったわけで、
ただその時代の軍国主義を否定すればいいわけではなく、
そのようになるべくしてなった必然性を
考えてみたほうがいいだろう。
それは軍事以前に経済の問題であり、
当時の国民国家は外国を軍事的に侵略して植民地を持ち、
そこから搾取することで成り立つような国民経済だったわけで、
そのための軍国主義であり、
まずは北海道に屯田兵を送り込んで開発し、
次いで台湾や朝鮮半島を植民地化し、
さらに満州から中国やモンゴルへ勢力を伸ばそうとして、
その過程で他の国民国家との利害がぶつかって、
戦争して勝つか負けるかどちらかとなるしかなかったわけで、
結果的に負けて植民地獲得競争を断念することとなったわけだ。
そしていつの間にか世界中が
国民国家でひしめいている状態となって、
昔のような侵略戦争をやりにくくなってしまったわけで、
現状では軍事力は建前として
国土防衛のためだけに必要とされているわけで、
それ以外では災害救助とか
国連の平和維持活動ぐらいしか使い道はなく、
昔のようなあからさまな侵略戦争に
軍事力を使っているのではないことは確かなのだが、
アメリカやロシアなどの大国が、
その地域の平和を維持するためと称して、
実質的には自国の経済的な権益を守るために
外国に軍隊を駐留させているわけで、
アメリカの同盟国の日本の自衛隊も、
平和維持活動と称しながらも、
アメリカの権益を守るために
協力させられているとも言えるのかもしれず、
その辺をどう捉えるかで、
日本の現政権のやっていることや
これからやろうとしていることに、
賛成なのか反対なのか意見が分かれるところなのだろう。
そして果たしてこれから
アメリカの世界に対する影響力が低下していくと予想するなら、
日本がどこまでアメリカについていくのかも、
ある程度影響力が低下したところで判断を迫られるのではないか。
日本の右翼はアメリカの影響力の低下よりも、
中国が内戦によって崩壊することを期待しているのかもしれないが、
その辺も下手に期待しながら予想すると判断を誤るもととなり、
すでに同じように第二次世界大戦で判断ミスをしていたわけで、
あまり期待と予想と判断を結びつけるものではないのだろう。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
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