文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.7.26 「ありえない結末」

2015/07/27

それが言わんとしている正確な意味がわからないまま、
言葉だけが先行して使われているのかもしれず、
実際にそれで何を説明しているのか
よくわかっていないのかもしれない。
たぶん何かを説明しているには違いないが、
それがなんなのかわからずにいるのだろうか。
誰もがわかっているのではないか。
少なくともその説明の対象が何であるかわかっていて、
その説明の内容が真実であることも理解されているはずだが、
そもそもそれは何についての説明なのだろうか。
実際には説明の対象がそこから生じていないのであり、
別の時代の別の状況の中で生じていた出来事について説明している。
戦争について説明するのもファシズムの危険を煽るのも、
全てが過去の出来事についての説明となってしまうのだが、
過去ではなく今この時代において何が行われているのか。
その説明がよくわからないのであり、
今ここで起こっている出来事を、
過去の事例に当てはめて語っているわけだが、
本当にそれでいいのかよくわからないわけだ。
この時代で起こっているのは、
今までになかった新しい出来事であり、
新たな状況の中で起こっているのではないか。
では実際に今ここで何が起こっているのだろうか。
何も起こっていないと言ったら嘘になるだろうか。
確かに何かが起こっているわけだが、
それを直接は説明できず、
説明しようとすると過去の事例の繰り返しとして説明するか、
あるいは憶測や推測を絡めた陰謀論的な説明しかできないのであり、
そうなると今現実に起こっていることからずれていってしまうわけだ。
なぜそうなってしまうのか、
それは誰にもわからないことだろうか。
直接説明するには
それに対応した言葉がまだ編み出されていないのではないか。
新しい出来事にはそれを説明できる新しい言葉が必要なのに、
その新しい言葉をまだ誰も持ち合わせていないのであり、
それを説明できるような言い回しも、
まだ世の中に出回っていないのではないか。
だから奇妙にも過去の亡霊が引っ張り出されて、
それらの名前と実際に生きている政治家の姿が重ね合わされ、
その否定的な業績を残した故人と同等に取り扱うことが、
その政治家を批判することになるかのように思われている。
しかしそれ以外にどう批判すればいいのか。
無理に批判しなくてもかまわないのだろうか。
まさか件の政治家が批判の対象でないとしたら、
他に何を批判すればいいのだろうか。
そうではなく批判するとしたら
まずはその政治家を批判すべきで、
そしてその政治家が属している政党や、
それを支持する国民を批判すべきだろうか。
そして行政の長として首相を務めているのだから、
国家行政そのものを批判すべきだろうか。
だが現に批判する者は誰もがそうしているのであり、
多くの批判者が政治家と政党と行政を担う官僚機構と、
それに追従するマスメディアと産業界を批判しているわけだ。

たぶん状況の新しさはそこにあるのだろう。
一般の人たちが自分たちを取り巻く全てを信用できなくなっていて、
自分たちが批判している対象から搾取されていると思い込んでいる。
そしてそのような体制を熱烈に支持する人たちをおぞましく感じていて、
ネトウヨと不快感を込めた蔑称で呼んで嫌っている。
だがそれでも未だ批判している体制を覆すには至らず、
選挙になれば議会の与党勢力が勝つ現状に苛立ち、
憤りの持って行き場所がなく、
反対勢力同士で内紛に至りかねない状況となっているのだろうか。
確かにそれもあるかもしれないが、
誰もが気づいていないこともあるのではないか。
今の与党勢力に代わる受け皿がないと思われがちだが、
これまでの与党と野党という対立構図ではないのかもしれず、
どちらも必要とされていないのかもしれない。
そのもはや政治家が必要でないことに気づいていないのだろうか。
しかし政治家がいらないとしたら、
他に何が必要なのだろうか。
何も必要でなければ国家はどうなってしまうのか。
その辺がまだよくわかっていないところなのかもしれず、
これから事態が進行するにつれて、
これまでとは異なる制度やシステムが生まれてくるのだろうか。
それもわからないし、
これまで通りの制度やシステムで間に合ってしまうのかもしれない。
変に期待をもたせておいて、
落胆するだけの取り越し苦労に終わるだけか。
少なくとも陰謀論的な憶測や推測とは
また違った結果を生むのかもしれず、
戦争や経済破綻などの危機感を煽る人々が
肩透かしを食うような成り行きとなるだろうか。
それも現時点では予測不可能かもしれないが、
ただ言えることは、
悲観したり絶望するような状況にないということか。
人々の平和への願いがどんな形であれ叶うとしたら、
それは人々が思っているのとは少し趣の異なる平和となるかもしれず、
具体的には政治や国家がもはや機能しなくなるような形で
平和が訪れるのではないか。
このまま戦争や経済破綻が回避され続けると、
次第に国家同士が対立しあう理由がなくなり、
対立しなくてもいいなら、
国民が国家の下に団結しなくてもよくなり、
対外的にも国家の存在理由がなくなり、
政治を行う理由がなくなる。
そうなるとどうなってしまうのか。
その時になってみたらわかることか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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