文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.7.23 「人類の歴史」

2015/07/24

人が何をやろうと人の勝手かもしれないが、
人と人との関係や、
人が大勢寄り集まって形成する組織や団体との関係などから、
やっていることに制約や制限を受けることは確実にあり、
また個人にも組織や団体にもそれ特有の限界があるから、
やれることも限りがあり、
絶えず制約や制限を受けながらやるしかないわけで、
そうした事情から
やっていることがうまくいかない場合もあるだろうし、
うまくいったとしてもたかが知れていて、
はたから見れば
大したことをやっているようには見えない場合もあるだろうが、
それでも何かしらやっているわけで、
やらなければ生きて行けないのかもしれない。
実際に大したことをやっているように見えなければ、
人がやれることなんてたかが知れていると思えばいいのだろうか。
やっていること自体がありふれたことであり、
ありふれた世の中で暮らしているのだから、
そこから飛躍した想像を絶することなどできるわけがなく、
社会が課している制限の範囲内で、
誰もがやっていることをやっているに過ぎないのかもしれず、
その中でやっていることの優劣を、
同業者や無関係な第三者から評価される場合もあるかもしれないが、
それを褒められようとけなされようと、
やらざるを得ない成り行きならやり続けようとするだろうし、
やめるきっかけが巡って来れば、
その時にやり続けるかやめるかの判断を迫られるのかもしれない。
ちなみに今がその時なのだろうか。
その時であったりなかったりして、
どちらとも思えないような成り行きかもしれないが、
現実に何をやっていようと、
そのやっていることがやっている人を構成しているわけで、
それらの行動や動作の総体がその人と捉えて構わないのだろう。
それ以上でも以下でもなく、
頭の中で何を考えていようと、
それが行動や動作となって表に出てこない限りは、
そんなのは無視してもかまわないようなもので、
考慮に入れなくてもいいのかもしれず、
その人が実際にやっていることから、
その人の全てが判断されるわけだ。
そしてそのやっていることに関しては言い訳できないのであって、
本当はやりたくないことを周囲や自身の事情から、
しかなくやらざるを得ないと言ってみても、
そんな事情が情状酌量の余地として考慮されることはまずないだろう。
だからやりたいことをやっていても、
やりたくないことを無理にやらされていても、
現実にやっていることに関しては、
それをやっている当人が
やっていることから生じる責任を引き受けなければならず、
言い訳するのが見苦しいと思えば
たとえ誤解されようと後ろ指を指されようと、
誤解など放置しながらやり続けてもかまわないだろうし、
誤解を恐れず肝を据えて事に当たらないと、
決してまともな結果は得られないだろうし、
何も得られずに後悔しても後の祭りでしかないのだから、
その辺は事前に割り切らなければならない。

それがやるべきことなのかやるべきでなかったのかなんて、
やってみてからでないと判断がつかない場合が多いだろうし、
やって何がしかの結果が出れば、
それがやってみた成果となるかもしれないが、
目立った成果が何ももたらされなくても、
それが要らぬ回り道であったとしても、
やったことが経験になるわけだから、
そんな無駄骨のような経験をしたと思うしかない。
経験とは生きていることそのものであり、
人は生まれてから死ぬまでの間になんらかの経験をするものだ。
それが有用と思われたり無駄と思われたりするかもしれないが、
人はそれを経験するしかなく、
経験が後で活かされようと無駄に終わろうと、
経験したことを誇ってみても悔やんでみても、
それも経験の後の経験でしかないだろうし、
それを肯定するのも否定するのも大したことではなく、
どちらでも構わないだろうし、
どちらであってもその後にさらなる経験が続いたり、
その後がなければそこで終わりだったりするだけだ。
そこで終わりとはその個体の死を意味するかもしれないが、
たいていは他の人や組織とつながりがあるだろうから、
やっていることが受け継がれたり、
受け継がれなくてもなんらかの影響を与えたりするわけで、
そのようなつながりから、
その経験が無駄になったりならなかったりするとしても、
それが社会の中で何か一定の動きを誘発するかもしれないし、
なんの動きももたらさずに忘れ去られてしまうのかもしれない。
どちらにしろ人が社会の中でうごめいていることが
人の経験をもたらし、
それが他とのつながりや他への影響などから、
他の人や組織の動きと共鳴現象を引き起こせば、
社会の全体や部分になんらかの変化をもたらすかもしれないし、
変化とは社会が動くことであり、
現状が気に食わなければ動かすしかないわけで、
動かそうとして動かせるものではないのが
社会であり世の中なのだが、
やはり自身が思い描いた物語の主役になりたければ、
願望としては世の中を動かして、
その動かす原動力に自らの行動や経験を結びつけたいのであり、
その中心人物になろうとするわけだ。
だからそういう人物に語らせれば、
自己中心的な大言壮語になることが多く、
それを語ることで語っている自己の存在をアピールしているわけで、
その存在とは自らの経験が積み重なった存在であり、
その経験が語らせるのが自らが主役の物語であるわけで、
時にはそれが立身出世物語になったり、
また別の時には偉業を成し遂げる偉人伝になったりするわけだが、
それが過去から現代までの時間的にも地域的にも、
世の中の様々な分野でそんな人物がいくらでもいるとすれば、
それらの人物たちが物語る経験の集積が
人類の歴史であったりするのだろうか。
そんな暑苦しそうな歴史には興味を持てないか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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