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彼の声

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彼の声 2015.7.17 「実質的な制度」

2015/07/18

その先どのような結果になろうと、
何をもってよしとするわけにもいかない。
何が特別なのでもなく、
ありふれた状況の中でありふれた人たちが生きているわけで、
それが大衆市民社会の現実なのだろう。
その中で特定の人物や属している勢力が
どんな策略を巡らせているとしても、
目的はたわいないものだろうか。
これといってはっきりした目的などないのかもしれず、
ただ気に入らない状況を変えたいだけなのかもしれず、
その状況というのが現状なのかもしれないが、
人によって立場によって現状の捉え方が異なり、
気に入らないところも異なり、
変えようとする方向性も異なるらしく、
変えようとする勢力が国会に提出した法案が、
憲法違反だなんだともめていて、
反対デモや集会が行われているわけだ。
しかし変えようとしている現状とはなんなのか。
それは変わるはずのない現状であり、
変えられない現状なのではないか。
国家と資本の関係は政治の力では変えられず、
政治自体が国家と資本の関係から生じているわけで、
国家を維持継続させるために国内の産業を振興して、
そこから官僚機構の活動に必要な税収を確保しようとする。
それが政治の目的だろうか。
国民は国内の産業を担う労働力として必要であり、
そこで働いてもらって所得税や消費税などの税金を払うことで、
国家の維持継続に貢献してもらう。
そして国家とそれを構成する官僚機構の目的は、
国家を維持継続させることそのものであり、
政治家が何のために必要な存在かといえば、
選挙を通して民意を国政に反映させるために必要で、
議員となって国家装置を円滑に動かすための法律を
議会で決めてもらう。
また政権を担う与党勢力に入ると、
行政の責任者として官僚機構を統率する役職が割り当てられて、
国家装置を動かす立場となり、
それが国政と呼ばれる政治的な行為を担う立場なのであり、
そこで民意を国政に反映させなければならないわけだが、
建前上は選挙結果が民意なのであって、
選挙によって議会で多数派を占め、
その多数派を占めた政治勢力が現状を変えるための法案を提出して、
多数決によって議決し成立させようとしているわけだ。
議会制民主主義の建前上はそれで構わないのであり、
何も揉めることはないわけだが、
法案に反対している側は、
議会の多数派がやっていることは民意とは違うと主張していて、
世論調査でも反対意見が多数を占めている現状を踏まえて、
法案の成立に抵抗していて、
法案自体も憲法違反という認識が憲法学者の間では多数を占めていて、
その辺のところが反対運動を正当化する理由にもなっているわけで、
一方に議会制度があり、
手続き上はその制度に従って行っていることなのだろうが、
その制度に従って成立させようとしている法案が憲法違反だとすると、
もしその法案が成立したら、
制度的には最高裁判所が
その法律が違憲か合憲かの判断をすることになっているのだろうが、
現時点ではまだそこまで行っておらず、
途中の段階でもめている最中なわけだ。

そこから何がわかるのだろうか。
国の意向に逆らう人たちが大勢いるということか。
国の意向とは議会の多数派を占める勢力の意向であり、
なぜ彼らが多数派を占めているのかといえば、
それは選挙結果でそうなっているわけで、
選挙も国家の制度であるわけだから、
それにも逆らう人が大勢いるわけで、
国の意向や制度に逆らう人が大勢いるということは、
国家を信用していない人が大勢いるということか。
確か選挙の投票率も過去最低だったはずだから、
選挙自体も信用していないのかもしれず、
当然選挙結果も信用していないのだろうし、
選挙で選ばれた政治家も信用していないのだろう。
要するに選挙によって示された民意とは、
国の意向も制度も政治家も国自体も信用されていないということか。
もしかしたらこれが普通の状態なのかもしれず、
何も今に始まったことでもなく、
もうだいぶ前からそうなっているのかもしれない。
これが大衆市民社会の現実なのだろうか。
ではありふれた人たちが
ありふれたことを主張しながら暮らしている社会の現実とは、
もはや国家に関係する誰も何も信用できないような現実なのだろうか。
そんな現実に幻想を抱けないのはもちろんのこと、
国家の制度としての民主主義や国民主権を信じられないということは、
その代わりに何か他の現実を信じていることにつながるのではないか。
では他の現実とは何か。
それは資本の現実だろうか。
人々は物や情報や自らの労働力を売って金を得て、
得た金と商品を交換して
それを消費することでしか生き行けない。
信じているのはそんな商品を売ったり買ったりする現実だ。
商品は金と交換することでしか得られず、
交換するには自分が商品を持っていなければならない。
その商品とは自分が持っていると思っている、
物や情報や自身の労働力であり、
まずはそれを売って金を得ないと必要な商品を買えず、
必要な商品を買って手に入れないと生きて行けない。
それが資本の制度であり、
制度に従わないと生きて行けないから、
国家の制度よりは実感が伴っていて、
従うか否かは死活問題なので、
死にたくなければ従うしかなく、
商品と金が交換できることを信じるしかないわけで、
信じていなくても疑いつつも現実に交換している。
日々交換しているから生きているわけで、
少なくとも自給自足が成り立つ狩猟採集民以外は交換しているはずだ。
そしてその交換を保証しているのが国家であり、
金である貨幣を発行して国内外に流通させて、
交換しないで騙して奪い取ったり、
直接商品を強奪する者たちを取り締まることによって、
そこで暮らす人々に
商品と金が交換できることを信じ込ませているわけで、
しかも国家は税金として金を強制的に徴収する権限を持ち、
取り立てに逆らう者や取り立て額をごまかす者も取り締まるわけだ。
国家の実質的な権力はそこから生じているのであり、
人々が否応なく信じ込まされているのは、
きれいごとの民主主義や国民主権などの幻想ではなく、
日々現実に行っている商品と金を交換する制度だ。

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創刊日:2001-03-26  
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