文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.7.4 「未来への可能性」

2015/07/05

いったいそれらの情勢の中で人々は何に気づき、
そして何に気づいていないのだろうか。
少なくとも自分たちが批判している中身が、
どうでもいいことだとは思っていないのではないか。
どうでもいいどころではなく、
情勢を深刻に受け止めており、
決して批判している対象の思い通りに
事が運んではならないと思っているはずだ。
そのために様々なメディアを使って批判を展開していて、
反対運動を盛り上げようとしているわけだ。
そして政権側がやろうとしていることを阻止しようとしている。
たぶんそこまではわかっていることだ。
ではわかっていないことはなんなのか。
人々は何に気づいてないのだろうか。
人々が気づいてないことに、
誰が気づくことができるのだろうか。
誰も気づかないとすれば、
それを指摘することなどできはしない。
では人々が気づいていることには誰もが気づいているのか。
たぶんそうだろう。
そう思って構わないのではないか。
では人々は何に気づいているのか。
このままでは国や民が危機的な状況に陥ることか。
それは今のところはそうなるかもしれないということでしかなく、
まだ今の段階で必ずそうなると決まったわけではないのではないか。
将来どうなるかなんて確かなことはわからないが、
ともかく国側の人たちが強引に事を進めようとしていることは確かで、
その性急な進め方に反感を抱いている人も多いだろうし、
政権側にいる関係者の威張り散らすような言動にも反発している。
確かに枝葉末節なところはそうなのだが、
肝心なところはよくわからない。
どのような意図でそのような法案を国会で通そうとしているのか、
それに反対する側は色々と否定的な理由を並べて反対していて、
それはその通りなのかもしれないが、
法案を通そうとしている側にも、
それを阻もうとしている側にも、
どちらの側にも気づいていないことがあるのではないか。
それはなんなのだろうか。
それは立場が異なれば違った意味合いを持つようなことだ。
制度としては多数決を取って法案を通すだけなのに、
たぶん最終的にはそうなるのだろうが、
なぜかその手前で停滞していて、
法案のひどさばかりが伝えられ、
国民にとっては何のメリットもないような法案だとみなされ、
だから多くの人が強硬に反対しているわけだが、
それでも法案が国会で議決されてしまうとどうなるのだろうか。
人々が恐れていることが現実化するわけか。
たぶんそうであり、
暗黒の未来が到来するのかもしれない。
それで構わないとは誰も思わないだろうか。
それもたぶんそうだ。
たぶんそうなのだが、
だからといって何がどうなるわけでもないのだろう。
施行された法律通りに事が運ぶだけだ。
それ自体は何の問題もなく、
国家のシステムが滞りなく作動するわけだ。

では人々が恐れる暗黒の未来は本当に到来するのか。
それはそう遠くない将来において、
そう実感する時が来るかもしれないが、
それもどうしたわけでもないのかもしれない。
国家の制度に関しては、
また選挙でもあった時に有権者の判断が下されるだろう。
これまでのやり方でよければ、
政権側の候補者に投票するだろうし、
よくなければ反体制勢力が推す候補者に投票できる。
無関心なら投票に行かなければいい。
制度的にはそんなことでしかなく、
それ以上でも以下でもなく、
そのような制度がまともに機能しているはずがない
と疑う人も大勢いて、
政権側に都合がいいように
投票結果が操作されていると主張する人までいるが、
そういう懸念も含むような制度なのだろう。
そんなわけで現状で反対運動をしている人たちは、
少なくとも次の選挙までは
それをやり続ける必要があるのではないか。
人々が無関心に陥るのを防ぐためにも、
そのような市民運動を社会に定着させるためにも、
息の長い運動が求められているのだろうし、
またもし次の選挙で思うような結果が出なければ、
さらにその次の選挙まで運動を続けるしかないだろう。
そのような運動は制度に基づいてやる性格のものではなく、
そこに参加する人々の自主性にまかされているわけだから、
国家が作る制度とはまた違う特性があり、
社会にそのような運動が根付くことで、
行政がやっていること以外で、
人々が助け合う関係を構築できるのではないか。
行政に依存しなければ何もできないわけではなく、
民間で助け合いながら生きていくことができれば、
人々が国家から自立できる可能性がそれだけ広がるのかもしれず、
近い将来において国家が破綻しても、
市民による助け合いのネットワークがあれば、
問題なく生きていけるかもしれない。
そういう意味で国のやり方に反対したり反発したりする人が
多くなればなるほど、
国家に依存しないで生きてゆこうとする試みにも、
その模索にもそれなりの必然性や必要性が生じてくるのかもしれない。
だから現状がそれほど悪い方に向かっているわけではなく、
政権側がどう考えても無理なごり押しをしているように見えるなら、
それはこれまでとは異なる機会が到来している兆候かもしれず、
現状で盛り上がっている自主的な市民運動を、
普通の人が無理なく継続できるような方向へ持っていければ、
そのためには過激な暴力などは
なるべく控えた方がいいのかもしれないが、
たとえ大した結果を得られなくても、
それを続けていくことが何よりも重要で、
扇動的で強権的な指導者など不要な運動にしていけば、
これまでとはまた趣の違う
市民運動になる可能性が生まれてくるだろうし、
それが未来へとつながる希望をもたらすかもしれない。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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