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彼の声

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彼の声 2015.7.2 「イメージ戦略と政治」

2015/07/03

それについて具体的に何か語るとすれば、
そこからどんな言説が得られるだろうか。
それ以前にそれらの現象について何を語ればいいのだろうか。
いったいそれらの現象とはなんなのか。
それについて何も語れないはずがなく、
別に意識がメディアによって洗脳されて、
世の中に広く流通している紋切型的な物言いにしか
反応しなくなったわけではないだろう。
うまく語れないからなるべく抽象的な物言いに逃げているとも思えず、
ただ納得のいくような説明にたどり着けずに、
行き詰ってジリ貧に追い込まれているのかもしれない。
過剰な言葉と印象が氾濫する現代に生きていれば、
誰にとってもそんな状況となるだろうか。
では逆説的にあえて語ることがないと宣言しながら語るしかないわけか。
でもそう語るうちに何か思いつくのかもしれず、
それは具体的な何かではなく、
その場の空気や印象について語っている場合が多く、
そんなあやふやなことなら、
ニュアンスがどうとでも受け取られて人畜無害に思われるから、
誰もがそれについては積極的に語りたがるのだろうか。
少なくともその場の空気や印象も
そこで心が作用した現象なのではないか。
それは自己の内面に生じた現象であり、
その内面の印象が言葉となって外部に伝わり、
そこで共感を得られると、
共通のイメージとして他の多くの人たちにも共有される。
そしてそれが良い印象なら何の問題もないわけだが、
悪い印象なら印象を抱かせた対象にとってはマイナスとなる。
そしていったんマイナスのイメージが定着してしまうと、
それを拭い去るのは容易なことではなく、
それがメディアを通じて拡散するようなことがあれば、
その対象がメディアを利用しているような人や団体なら、
仕事がやりづらくなるだろうか。
場合によってはやりづらくなるどころではなく、
致命的な打撃となるのかもしれず、
だから人気商売の芸能人やタレントの類いなら、
特に自己のイメージに気を使っているのだろう。
それは選挙で有権者によって選ばれる政治家も同じで、
なんとかメディア上で好印象を得られるように、
いつなんどきでも自己演出に余念がないだろうか。
他にはっきりした政治的な争点がなければ
イメージ戦略は重要となるだろうが、
はっきりした争点がある場合は、
有権者はその争点に対する態度が、
選挙で投票する上での判断基準となるだろうか。
民主主義が有効に機能するためには、
そうなることが望まれているわけだが、
その政治的な争点を誰が勝手に決めるわけではなく、
争点がはっきりしないほうが有利になると思われると、
それをはぐらかすようなメディア操作がなされるわけで、
そうなるとイメージ戦略が先行して、
大衆に媚を売るようなしゃべりの技術などに長けた人がもてはやされ、
大衆受けするタレント議員が
大量に生まれることになるのかもしれないが、
果たしてそれが有権者の利益につながるかどうかはわからない。

しかし今この現状で
はっきりした政治的な争点というのがあるのだろうか。
労働者の派遣法改正や安保法制や憲法改正が、
国会の争点となっていることは確かで、
与野党で激しい論戦が行われていることになっているわけで、
各種メディアもそう伝えているはずだが、
もしかしたらそれこそがイメージ戦略の類いなのではないか。
派遣法が改正されると労働者が低賃金でこき使われ、
いらなくなったら簡単に解雇されてしまい、
安保法制によって自衛隊が米軍の後方支援に駆り出され、
戦争に加担することで戦死者が増え、
自民党の思惑通りに憲法が改正されると、
基本的人権が踏みにじられて
自由にものが言えない全体主義社会が到来する。
反対する側はそんなイメージを一般大衆の意識に植えつけようとして、
必死になってマイナス印象を語りかける。
そしてそれにも増して奇異な印象を受けるのは、
そのような法整備をやろうとする側が、
批判に対してまともな反論ができていないことだ。
これは何を意味するのだろうか。
ひたすら屁理屈と論点のはぐらかしを繰り返すだけで、
そんなことをやればやるほど印象が悪くなるばかりで、
しかもそれでも強硬に法案を通そうとしている姿勢は変えず、
それで本当に法案が通ってしまえば、
野党勢力のイメージ戦略など、
多数決による数の力の前では通用しないことが
証明されてしまうわけだ。
ともかく選挙で圧勝して議会で多数派を占め、
多数決の力で法案を通すという民主主義の原則通りに事が運ぶわけだ。
それのどこが欠陥なのだろうか。
たぶん欠陥ではなくそれが民主主義の特性なのだろう。
必ずしも民主主義は一般大衆を利するとは限らず、
場合によっては独裁体制を築く上で
民主主義の制度は好都合なのかもしれない。
というか民主主義こそが独裁を招く制度なのではないか。
王政や封建制とは違い、
人々の意識に自由と平等というイメージを植え付けながらも、
肝心なところではそれを許さない構造を備えていて、
具体的にそれは官僚機構が国民を管理する仕組みにある。
人々が国家を脅かすような行動や言動に訴えれば、
それを治安機構が取り締まって、
暴力の力でねじ伏せるような成り行きとなるわけだが、
現状ではまだあからさまには
暴力をチラつかせるような事態とはなっておらず、
その前にメディア的な情報操作によって
なんとか食い止めようとしていて、
それがイメージ戦略なのだろうが、
ネットなどの発達によって
だんだんそれが機能しなくなっている面もあり、
やはりこのまま政府や政権与党に対する悪い印象が増していくと、
抗しきれなくなって
ついには力による統治が始まってしまうだろうか。
その辺でどこまで本気なのかよくわからない面もあり、
もしかしたら政権を牛耳っている一派が、
すでに官僚機構から見放されている可能性もあり、
もうしばらく時間が経ってみないと、
はっきりしたことはわからないのではないか。

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創刊日:2001-03-26  
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