文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.6.17 「まずい状況」

2015/06/18

たぶん損得勘定だけで世の中が成り立っているわけではなく、
それ以外の何かが人を行動に駆り立てることもあるのではないか。
全てを損得勘定に収斂させることはできない。
だがそれ以外の何かがわからないままでは、
やはり損得勘定が行動の指針となるだろうか。
しかし何が損で何が得なのかについて、
その場での判断が果たして正しいか否かとなると、
それもはっきりしないのであって、
単純に金銭的に儲かったから得したのかといっても、
それと引き換えにして多くのものを失う場合もあるし、
なんとも言えないところで、
損得勘定にしても、
はっきりとどうなれば得でどうなれば損なのか、
その辺のところはその場での判断と
後になってから思い知らされることとの間で、
落差が生じる場合もありそうだ。
たぶん損得勘定も、
他にもいろいろある価値観のうちの一つと考えておいたほうがよさそうだ。
そして何かを主張するというのは、
ある一つの価値観に凝り固まって、
その価値観に基づいて行動しろと要求することだろうか。
果たしてそれを常にしなければならないのだろうか。
たぶん人はその必要に迫られて何かを主張するのだろう。
そして主張通りのことをやれと要求する。
その主張に確実な合理性があると思われれば、
なおのこと強硬に主張するわけだ。
そうしなければならないと思い込み、
そうすることが自分の使命だと悟る場合もあるのではないか。
そんな強固な信念に囚われた人に、
何を言っても無駄かもしれないが、
時には自らの主張に反したことをやらなければならない。
そしてやらざるを得ない状況に追い込まれた時、
人は決断を迫られるわけだ。
自らの主張やこだわりに殉じて破滅するか、
あるいは主張を曲げて自らを活かす道を選ぶか、
そんな決断の時が誰のもとにも訪れるだろうか。
そんなことを感じられないまま、
それと知らずに自らの意思に反したことをやっている場合もありそうで、
どちらかといえばそちらの方が多いのではないか。
他の誰から影響を受けているわけでも、
操られているわけでもないのに、
自然と自分のこだわりから抜け出てしまうこともあるのではないか。
だからあまりはじめから戦略とか戦術とかをはっきりと決めて、
事に当たらない方がいいのではないか。
人は意識してない部分でも考えていて、
その思考やアイデアが自然と出てくるタイミングが大事で、
ガチガチにやるべきを決めてかかるとその機会を失ってしまう。
だがそれで成功するかどうかはわからないのではないか。
成功を目指すならちょっとやそっとでは曲がらない
強固な意志が必要だろうか。
それは結果論であって、
成功した後から自分に強固な意志が備わっていたと思うのではないか。
なんらかの偶然の巡り合わせで成功したのかもしれないのに、
やはり成功したという事実を正当化するには、
なんらかの精神論的な裏付けを求めるのだろう。

ではそこから何がわかるのかといえば、
何かを主張することは、
その主張に自らが囚われているということか。
それ以外は自分の思い込みでしかないのだろうか。
もちろんその思い込みが自身にとって
精神的な支えとなっている場合もあるのだろうが、
他人の同意を取り付けたい場合は、
やはりその主張が合理的であり、
主張に同意すれば利益になることを信じてもらいたいわけだから、
そこで他人との価値観の共有や利害の一致が重要となってくるわけで、
独りよがりの思い込みだけではうまくいかないわけだが、
そこで世間の一般常識に馴染むような主張を
しなければならなくなるわけか。
だがそうなると世の中に広く行き渡った
ありふれた主張になりはしないか。
そうならないためには他人を説得できるだけの
何かが必要となってくるのかもしれず、
その何かが主張の種類や特性によって違ってくるのだろうか。
それも結果から考えれば、
それなりに説得力のある理由や原因が導き出されるのかもしれないが、
やはり実際に主張してみないことにはなんとも言えないところだろう。
そして無理に他人の同意など求めなくてもいい場合もあり、
他人を同意させる差し迫った事情がなければ、
勝手気ままなことをいい加減に主張していても構わないわけで、
わざと世間的には間違ったことを平気で主張してもいいわけだ。
何かはっきりした見込みも戦略もなしに、
他人を小馬鹿にしたようなことを主張するのは、
そんな主張ができる自らが自由な立場で、
他のどこからも拘束や制限を受けていないことを
誇示したいのかもしれないが、
たぶん誰もがそんな主張ができる社会は
自由で外に向かって開かれた社会であり、
何か特定の政治勢力から
抑圧や弾圧を受けていないことの証しなのだろう。
そんなわけで言論の自由を守るには、
社会の中で生きている一人一人が、
なるべく世間の一般常識にとらわれないことを
主張していくことが肝心なのかもしれず、
その世間の一般常識というのが、
人々を心理的に抑圧しているわけで、
常識から外れたことを主張したらまずいと思わせるような雰囲気が、
空気として社会全体に行き渡っているように感じられるとすれば、
それこそが特定の政治勢力がメディアを通じて、
その勢力を利するなんらかの主張を
拡散している可能性があるわけだから、
社会全体がまずい状況に陥っているのかもしれない。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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