文学

彼の声

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彼の声 2015.6.7 「平和の価値」

2015/06/08

これも当たり前のことかもしれないが、
誰に一方的な正義があるわけではない。
人それぞれで正義の基準も違うし、
どのように行動すれば正義となるかの定義も違ってくる。
それは何にとっての正義なのか、
あるいは誰にとっての正義なのかについても、
人の立場や周りの環境や状況によって違ってくるのではないか。
では誰の正義について何を述べたいのか。
憲法を堅持したい人々の正義が何かをもたらしている。
そう考えるのが妥当だとは思えないが、
何ももたらしていないわけでもないらしい。
安易な活動とは言えないだろうか。
たぶんそうではない。
ではなんらかの重要な社会変革の動機を含んでいるわけか。
何かを守っていることには違いない。
何を守っているかといえばそれは憲法だろうか。
単刀直入に言えばそうなりそうだ。
それ以外に言えるとすれば、
それは自分たちの生活を守ろうとしているつもりなのではないか。
そう思いながら活動しているのかもしれない。
そしてそれがどうかしたわけではないだろう。
当然のことをやっているまでか。
彼らにしてみたらそうなのではないか。
そうすることが正義なのだ。
少なくともそれはそれで間違った行為ではない。
そうすることが正しい行為なのだろうから、
そこに正義があるのではないか。
その正義は賞賛されるべき正義だろうか。
それを賞賛する人たちがいるのかもしれない。
でも正義だけでは飽き足らず、
それらの人たちは善を目指しているのではないか。
それは善悪の善であり、
巨悪に立ち向かうには
自分たちが善でなければならないと思っているのだろうか。
はっきりとそうは意識していないだろうが、
立ち向かっている相手が巨悪なのだとすれば、
必然的にそれは善の側に立っていることになるのではないか。
そうなるとそれらの人たちのやっていることは、
正義であり善であることになってしまいそうだ。
これでは何かまずいのだろうか。
表面的にはまずいどころか、
そうでなければならないのだろうが、
それらの活動に加わらない人たちにとってはそうではなさそうだ。
たぶんそれらの人たちは正義や善から逸脱したいわけで、
実際にそれらの正しい行いに関わるのが嫌なのではないか。
そして今や正義や善で動いている人たちより多くの人たちが、
それらの活動に加わらずにいるわけだ。
しかも中には巨悪の側についている人たちも大勢いるわけで、
正義や善の側についている人たちを
罵倒したり嘲笑したりしているわけだ。
そのような状況は何を物語っているのだろうか。
民主主義の多数決をとれば、
正義や善で動いている人たちが少数派になってしまい、
それらの活動が実を結んで
巨悪を打ち倒すことができない状況なのだろうか。
世論調査をすればそうではなく、
正義や善の側に同調する人の方が多いのかもしれないが、
国会で多数決をとればそうではない。

そのような状況の何がいけないのだろうか。
選挙結果が民意を反映しない制度になっているのだろうか。
だがその制度を改革するには、
最終的に民意を反映しない制度のもとで
当選した国会議員の了承を得なければならない。
自分たちの不利益になるようなことを
国会議員が果たして決められるだろうか。
正義や善より利益を優先させる仕組みの中で
政治制度が成り立っているとすれば、
それに対して正義や善を掲げて立ち向かっても勝てないわけか。
しかし正義や善も利益をもたらすのではないか。
だがその利益は具体的な金額としてはとらえにくく、
抽象的な価値と思われるかもしれず、
まるで空気のような概念なのかもしれない。
それが平和という概念だろうか。
そしてそれは実際にその反対の概念である戦争になれば、
それが失われたことによる後悔とともに、
そのありがたみがしみじみと感じられるようなものだろうか。
そして戦争によって生じた計り知れない被害や損害の額を、
そのままプラスに反転させたのが
平和の価値であり価格となるかもしれないが、
それは実際に戦争になってみないことにはわからないのであり、
戦争さえ起こらなければ
それらの正義や善など無視していられるわけで、
実際に多くの人たちが傍観者の態度を取っているし、
またそれらの行為を罵倒したり嘲笑したりしているわけだ。
そして本当にこのままでは戦争に巻き込まれるかどうかも
今のところはよくわからない状況だ。
無関心を装う人たちはそう思っているのではないか。
その一方で実際にもたらされた目先の利益に群がっている人たちも
大勢いるはずで、
その恩恵に与かっている人たちには、
それらの正義や善にこだわっている人たちが
滑稽に見えるのかもしれない。
しかもそれらの人たちは、
これまで延々と負け続けてきた人たちなのではないか。
何に負け続けてきたかといえば、
資本主義市場経済がもたらす利益の前に負け続けてきたわけだ。
たぶんこの負け続けの状況を打破できるとは思えないが、
一時的には勝利も可能かもしれず、
今まさにその一時的な勝利を目指して、
民主的な正義や善を掲げて、
多くの人たちが活動を続けている最中なのだろう。
そしてそれがなぜ一時的な勝利かといえば、
彼らが非難を集中させている為政者や政治勢力にも賞味期限があり、
それを過ぎてしまうと劣化してきて、
官僚たちも宗主国のアメリカも、
あまりにも使い勝手が悪くなれば
見限るしかなくなってくるからかもしれない。
ちょうど今がその時期にさしかかっているのだろうか。
それともまだまだ彼らは使える人たちなのか。

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創刊日:2001-03-26  
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発行周期:不定期  
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