文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.6.5 「主張の正しさ」

2015/06/06

粗雑な意見に周りを囲まれているように思われる。
たぶん誰もが粗雑なことしか述べられない環境の中で、
粗雑に思われるような意見を述べているのだろう。
そして自分もそうなのかもしれないが、
それらの何がおかしいのか。
おかしいのではなくそれらの意見に同調できないのではないか。
ではなぜ同調できないのか。
理由もなく同調できないわけがない。
要するにそれらの意見が不快だから同調できないのではないか。
なぜそんなことがいえるのか。
ただそう思うだけで理由など特に表明するまでもないと思っている。
というか理由がわからないのではないか。
しかし粗雑なこと以外は述べられないような気がするのはなぜだろう。
なぜそう思うかと問うことが理由をわからなくしていないか。
ではそれらは意味のない問いだろうか。
普通に考えるなら意見を述べることに意味があり、
何も表明しなければ他の誰からも認められないのだろう。
だが表明したところで認められるわけではなく、
他の誰かが表明しているような意見を述べなければならない。
なぜそうするのかといえば、
他の誰かから認められたいからなのではないか。
だがそれを拒否する理由があるだろうか。
意見を述べること自体が、
その意見に対する賛同者を募っていることになり、
また他の誰かが述べている意見に賛同したくて、
同じような意見を述べているのではないか。
そしてそれは意見に説得力があり、
その通りだと思うから賛同するのだろう。
ではそうとは思えない意見に賛同することがあるだろうか。
たぶん賛同するとは思えないが、
誰も賛同するとは思えないような意見を主張する必要があるだろうか。
必要もないのにそんな意見を主張することに、
何か積極的な理由があるだろうか。
それは誰もが主張している意見に疑問を持っているからなのか。
だが他が間違っていて
自分一人だけ正しいことを主張しているとは思えないはずで、
むしろ多くの人たちが主張している意見の方が
正しいような気がするわけで、
それでも正しいとは思えないその意見を主張するのはどうしてなのか。
その正しいとは思えない意見に魅力を感じているのか。
そうだとすればその魅力とはなんだろう。
人とは違うことを平然と表明することに、
何か肯定できるような魅力があるだろうか。
それは魅力ではなく使命のようなものだろうか。
使命とは何か。
少なくとも誰からそんな使命を託されたわけでもないのに、
わけのわからぬ使命感を抱いて
人とは違う意見を主張しようとしているわけか。
それも違うような気がするのだろうが、
粗雑なことしか述べられないのに、
しかもどう考えても大して説得力もなく、
他から賛同を得られるとも思えないのだが、
やはりそんなことを主張しなければならないらしい。

ただそれは違うと思うだけだろうか。
ではそれの何が違うのか。
安易な単純化が施され、
確かにその通りだとは思うのだが、
単純化しているように思われるところが違うわけだ。
では何を単純化しているのか。
そこに至る経緯を省くと、
何か正しいことを主張しているような意見となるわけで、
それを省いたことで主張の正しさが装われてしまう。
世の中に満ち溢れている主張とはそんな意見ばかりだろうか。
だからそれは違うと思われてしまうのか。
しかしその省かれた経緯とはなんなのか。
どのようにしてそうなったのかを示すような成り行きだろうか。
たぶんそのような成り行きがそのような事態を招いているのだが、
結果的に人々に示されている事態が、
いかに不快で間違った事態であろうと、
やはりそのような事態へと至った成り行きがあるわけで、
その成り行きを省くと論理的かつ合理的な批判ができるわけだ。
そして批判者はその批判の合理性を主張し、
自分は正しいことを主張していると思い込み、
その主張の正しさの中に安住できるわけで、
もちろん論理的かつ合理的に思われることを主張しているのだから、
その賛同者も大勢現れ、
結果的に大勢の人たちが同じような主張の虜となる。
それの何がまずいのだろうか。
その正しい批判にさらされている人たちが反発し、
ますます批判の対象となっている行為に執着して、
それを強行しようとするわけか。
そして正しい批判ではそれをやめさせることができない現実が、
批判者たちに無力感を抱かせ、
迷いを生じさせて、
その迷いが主張の正しさからの離脱を誘い、
正しいことを主張する人たちが徐々にいなくなってきて、
世の中がだんだん荒んでくるわけか。
だが実態はそうではないのだろう。
そのような批判へと至る成り行きがそこで終わったわけではなく、
また続いている最中なのであり、
そのようになった結果の先の現実の中で人々は生きているわけで、
その意識もその先の現実の中にあるわけだ。
ある時点で何からの結論が出たとしても、
その結論はその時点での結論であって、
その先の成り行きを含んでいるわけではなく、
人々の言動や行動がその先の成り行きをもたらしていて、
その結論がそれらの言動や行動に影響を及ぼしているとしても、
いつまでも過去の結論に拘束されているわけではなく、
時が経つにつれてその影響圏から逸脱していき、
気がつけばそんな結論や結果など忘れ去られているかもしれず、
いつまでも意見の正しさにこだわっていること自体が、
過去の遺物と見なされるようになるかもしれない。
結局人々はそれらとは関係のないところで生きていることになる。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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