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彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.6.3 「穏当な意見」

2015/06/04

世界は何を有効活用できていないのだろうか。
それは軍事力か、
それとも経済力だろうか。
たぶん有効活用という意味が、
それが意味するところの活用が、
人の立場や置かれた環境で違うのだ。
例えばアメリカの軍事力は
どのような勢力によって有効活用されているのか。
よくメディアで言われるように
ネオコンと呼ばれる軍産複合体によって利用されているわけか。
それが何に利用され活用されて、
それらの勢力の利益確保に貢献しているにしろ、
それがアメリカ全体のためになっているとも思われないにしても、
莫大な維持経費をかけて、
世界で突出した軍事力を継続的に保つことに、
何か特定の意図や思惑があるとも考えられず、
惰性と慣習でそうなっているにすぎないような気もするのだが、
アメリカ政府としては出来うる限り無駄を省いて、
効率的に削減したいところなのではないか。
そのためには今なお世界各地で戦火が鳴り止まないことが
障害となっているわけだろうが、
兵器産業のためにわざと紛争を長引かせていると考えるのは、
ちょっと穿ち過ぎなのかもしれず、
それがどのような理由で
そうなっているのでも構わないのかもしれないが、
何かもっと自然な解釈を考えたほうがいいのかもしれない。
どうも人々を敵と味方に分断して、
悪事を働いている敵を糾弾するそのスタイルが、
ネット上にもメディアでも蔓延り過ぎていて、
多くの人たちが何でもかんでも敵を作って、
それを非難し罵倒することしかできなくなっている現状があるようで、
述べている意見が単調になってきて、
それでは意見を異にする人々はみんな敵で、
意見を同じにする人々だけでタコツボ的な分派が多数出来上がり、
それらがそれぞれに独善的な指導者に率いられた宗教教団になりかねず、
それのほうが教団内では心地よいのだろうが、
外部の人々にとっては不快だろうし、
それで世の中が良い方向へと変わっていくとは思えない。
人々はどのようにしてそのような傾向へと陥りがちになるのだろうか。
もはや対米追従姿勢を隠そうとせず、
原発事故処理や対応にあからさまな怠慢が見て取れ、
にも関わらず原発再稼働を強行しようとしている日本政府に対して、
強烈な不信感があり、
そんな政府に迎合的なマスメディアの論調にも、
不快であると同時に嫌悪感がわいてきて、
そしてそのような危機的な状況の中で、
平然と政治的な無関心を示す人々も大勢いるように思われ、
さらに政府や迎合的なメディアを支持する人々までいる現状を考えると、
身の回り中が敵だらけであるように感じられるのも
無理もないことだろうか。
しかも民族差別的な街宣行動やヘイトスピーチまでが
野放しになっているように思われるとすれば、
もはや世の中が
来るところまで来てしまったような印象を持ってしまうか。

そんな切羽詰まった状況下で、
なおも能天気に政治的な無関心層を
擁護するようなことを述べている者がいたら、
それは許しがたいことになるかもしれない。
だがそれでかまわないような気がするのはなぜだろうか。
今さら民主的な制度を再建して、
国民の自由と平等を実現すべく、
理想的な国家体制を築こうとする行為を
信じるわけにはいかないからか。
何がそれの実現を阻んでいるのかは、
貧富の格差をもたらす資本主義であることは
わかりきったことかもしれないが、
一方でその民主的な国家を維持するには、
産業振興によって国家に利益をもたらす資本主義が
欠かせないことも分かっているはずで、
リベラルな人たちはその背反する両者を、
上手く調和させることが可能だと信じなければならないのだろうが、
果たしてそれを調和させる有効な策があるのかどうか、
それがあると信じる人たちがいる一方で、
そんなものはないと考える人も大勢いるわけで、
別に政治的な無関心層のほとんどは
そんなことなど深く考えもしないのだろうが、
彼らの無関心そのものの傾向が、
彼らの無意識が政治を信じていないことを表していて、
政治を信じていないということは、
国政に関心がないということであり、
たぶん直接そうは思っていなくても、
国家をあまり重要な存在だとは認識していないわけだ。
それでかまわないのだろうか。
たぶんそれでもかまわないと思う。
あえてそう述べなければならない理由などありはしないのだが、
この時代は政治的な熱狂とは無縁の時代なのだろう。
特定の人たちや勢力の主義主張に、
多くの人たちが同調するような世の中ではないということだ。
それでも行政を担う官僚機構は、
そこで暮らす人々を管理して
特定の行動へと駆り立てようとするだろうが、
たぶんそれだけではないのだ。
そこには行政が手に負えない領域があり、
そのような領域がある限り、
行政による管理は不十分で部分的なものにとどまるだろうし、
行政が実質的にできることはといえば、
管理しているように装うことだけなのかもしれない。
そして人々の暮らしは
それ以外の部分が大半を占めるようになるかもしれず、
そうなると国政は空回りするしかなく、
いくら税金をかけても大して効果は上がらず、
無駄に労力を費やすだけとなるだろうか。
現状の原発事故処理でもそうなのかもしれず、
原発を再稼動させても景気が良くなるわけでもなく、
国防を強化するためにいくら法律を作っても、
また憲法の改正を試みても、
何がどうなるわけでもないとすれば、
それはすでに国政の空回りを証明していることになりはしないか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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