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彼の声

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彼の声 2015.5.28 「現実の問題と虚構の問題」

2015/05/28

道が一本しかないわけではないのと同様に、
やり方も一つとは限らないのだが、
一度そのやり方を選んでしまった場合、
もうやり直しがきかなくなることが多いだろうか。
ちょっとしたことならやり直せるだろうが、
やろうとしていることが大掛かりになってくると、
一旦それをやり始めれば
途中から後戻りができなくなるのではないか。
時間が前にしか進まず人も次第に年老いていってしまうのだから、
成し遂げるまでに何年も何十年もかかるようなことはそうなりそうだ。
中にはそれをやっている途中で亡くなってしまう人も出てくるだろう。
引き継いでやる人がいなければ、
その人のやっていたことは無駄となってしまうだろうか。
最後までやり終えられなければ無駄なのかどうかは、
そのやっている内容にもよるだろうが、
何かをやる限りはそれをやり遂げようとはするはずで、
やり遂げることが目標となるわけか。
ではそれが何を意味するのか。
それをやることに意義があり意味があるのだろう。
では何もやることがなくなったら、
生きている意味がないだろうか。
意味などなくても構わないのかもしれない。
生きていれば何かをやらなければならなくなり、
その何かをやっていればそれが生きている意味となる。
そうなるしかなさそうだ。
そのような水準では何も問われず何も問題とはならない。
それが問題なのだろうか。
何か問題を見つけなければ答えを求めようとはせず、
答えを求めようとしなければ何も考えられない。
考える必要がなく、
ただ生きていればいいわけで、
生きようとすれば何かをやらなければならない。
そしてそう語る限りは言葉が循環するばかりで、
何の問題もなく何も考えられずに、
ただ生きるばかりとなってしまう。
それでも生きようとしているわけで、
生きようとしているから何かをやっている現状がある。
そしてそう語ると言葉が循環して、
同じようなことの繰り返しとなってしまう。
それを避けなければいけないのだろうか。
そして避ければ新たな問題が見つかり、
答えを導き出そうとして考えるわけか。
では求めているのはそういうことだろうか。
それ以上を求めそれ以上考えようとしているのではないか。
それ以上とは何か。
例えばそれは事物の具体的な様態について言及することか。

だが現実にそれ以上があるわけではなく、
それ以上は虚構でしかなく、
実際には現実の世界に
それ以上でも以下でもない事物の様態があるはずだ。
だから語るにはそれについて言及しようとするわけだ。
そしてここにはない事物を想像しつつも、
その対象が現実の事物であると見なしながら、
実際にその目で直に見たわけではなく、
事物の間近に行けないにもかかわらず、
それを想像で語ろうとする。
そしてその想像が
現実には当たっていたり外れていたりするわけだが、
どちらであっても想像でしかないのだから、
想像である限りにおいて、
それは現実の事物以上でもあり以下でもある。
しかし想像以外では
メディア経由で体験する事物は捉えられないのだから、
それを現実に存在する事物であると見なし、
メディアによって賞賛されたり蔑まれたりする
現実以上や以下の事物が存在することを、
無意識のうちに信じ込むわけだ。
たぶんそれらも現実に存在する事物には違いなく、
実際に画面上や誌面上で見ているわけだから、
それ自体が虚構であるはずがないのだろうが、
それは人工的な現実であり、
人工的な事物には人の想像や願望が含まれていて、
人の感性を刺激する工夫が凝らされているから、
それらの人工的な事物から影響を受けた人の意識は、
常に過剰反応を起こしやすくなり、
肯定されるべき事物はより激しく肯定され、
逆に否定されるべき事物はより激しく否定されるわけだ。
そしてそのより激しく肯定したり否定したりする感情が、
人々の間で激しい対立を煽り攻撃本能を呼び起こして、
主義主張や利害の違いから対立する党派間で
罵声の浴びせ合いを生じさせ、
互いの連携や団結を不可能にさせるわけだ。
また一方でそれは共通の主義主張や
利害関係にある者たちの団結をより強固にし、
それらの勢力による改革や革命運動の原動力となるわけだが、
そのような運動は得てして
反対勢力や邪魔者に対する激しい弾圧を生み、
大量虐殺などの凄惨な結果をもたらしやすく、
後の時代や社会に大きな禍根を残す。
それは現在進行形の問題でもあり、
世界各地の紛争地域で行われていることの大半は
それに起因しているようだが、
平和な地域であっても経済的な利害関係が起因して、
それによって利益を得られる勢力と得られない勢力との間で、
大量虐殺などには至らないとしても、
それなりの対立を生んでいるわけだ。
そして経済的な対立には貨幣というメディアが介在しているわけで、
その商品と直接交換できる特性が人々の欲望を刺激し、
その交換可能性をより増大させるために、
常に貨幣を大量に蓄積する衝動を呼び、
その衝動に突き動かされながら、
人々は時には手段を選ばず必死になって貨幣の収集活動に精を出し、
そのための策略をあれこれ考案して、
利害を共有する人や団体などと連携しながら、
なんとか手持ちの貨幣量を増やそうとする。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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