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彼の声 2015.5.26 「時代遅れの主張」

2015/05/26

どんな主張に興味があるわけでもないが、
毎日メディア上では様々なことが言われ、
様々なことが論議されていることは確かだ。
そしてこれといって
有効な結論が出ているわけではなさそうに思われる。
何に対して有効なのかは、
たぶんその主張が標的としていることについては、
たぶん何がしかの有効性があると思われるから、
そのような主張が一定の支持を集めているのかもしれない。
それは気休め程度のことなのだろうか。
バカにしてはいけないのではないか。
他人からの支持を目的にした主張ならば、
一定の支持を集めた時点で、
その主張は有効に機能したことになるのではないか。
では他人の支持を集めるような主張とはどのような主張なのか。
それは他人がその主張に同意しやすいような主張だろうか。
他人がそのような主張に同意することで、
満足できるような主張なのではないか。
他人の意識に心地よく響く主張なのかもしれない。
ならば他人の心に響く主張とはどんな主張なのか。
人畜無害で当たり障りのない主張だろうか。
その主張に賛同する人にとっては
自らを利するかもしれない主張であり、
自らに危害が及ばないと思われる主張なのではないか。
そして日頃から気にくわないと思っている人や団体を
攻撃する主張であり、
貶め蔑むような主張でもあるわけか。
なぜそのような人や団体が気にくわないのかといえば、
自らや自らの家族や仲間に
危害を及ぼすような行為や言動をしているからか。
だからそのような人や団体を攻撃する主張には賛同しやすく、
そのような主張をしている人を支持しやすいのだろうか。
では要するにそのような主張とは
現状に照らし合わせて具体的にはどんな主張なのか。

人それぞれの立場や置かれている状況によって、
賛同や支持を得られる主張も異なるだろうが、
先に挙げた条件から
その主張の内容もある程度は絞り込まれるのではないか。
しかしそれを絞り込んでどうするのか。
そのような主張をすることで何がどうなるのだろうか。
賛同者が心地よくなり
一定の賛同を得られて主張している者も心地よくなる。
それだけのことなのだろうか。
それだけではなく、
例えばその賛同者が多ければ多いほど、
その主張が世に広まり、
それを主張している人の発言力がより強くなるのではないか。
ではそうなるとその主張通りのことが起こるのだろうか。
例えば誰かや特定の団体を批判しているとすれば、
批判されている人や団体が、
批判を受け入れてやっていることをやめたり改めたり、
その人が何かの役職についていればそれを辞任したり、
その団体が政党であれば、
選挙で議席数を減らす結果となったりするわけか。
たぶん批判者はそうなることを期待して批判しているのではないか。
そして実際にそのような事態になったこともあったのではないか。
だからそれを期待して批判者は批判しているのだろうし、
その主張を広く世の中に拡散して、
できるだけ多くの人の賛同や支持を得たいと思っているのだろう。
だが実際にはそうはならずに多くの人の賛同を集められなければ、
その主張は少数意見として忘れ去られる運命にあるわけか。
それともたとえ少数意見だろうと、
心ある少数の人たちの賛同が得られたら、
いつまでも少数意見として時代を超えて受け継がれ、
いつか日の目を見て、
その主張が言わんとすることが実現したりするのだろうか。
ほとんど誰からも賛同を得られない主張をしている人は、
果たしてそう思うだろうか。

たぶんそうではない。
賛同を得られるように工夫をこらそうとするのではないか。
一般大衆にすり寄ろうとして、
自らの主張を彼らの好みに合うように
軌道修正するのかもしれないが、
果たしてそんなことができるのだろうか。
そうやって自説を曲げて妥協してまでも、
自らの主張を世の中に反映させようとする試みが
うまくいくのだろうか。
しかもそうやって反映させたところで世の中が変わるだろうか。
世の中を変えることではなく、
自分の主張を世の中に反映させることが目的なら
変わらなくてもかまわないのではないか。
一般大衆の好みに合わせた主張をすることで、
一般大衆の賛同や支持を取り付けたいのなら、
その賛同や支持を背景として
政治的な実権を掌握できるのではないか。
そうやって大衆を扇動して動員することで、
反対勢力を押さえ込み、
それが成功すれば大衆の支配者として、
すなわち国家の支配者として君臨することができるだろうか。
かつてそんな手法を使って
独裁者となった政治家もいたかもしれないが、
それでは結果的に世の中が悪い方向へ
変化したことになってしまうのではないか。
だがそれもとうの昔に過ぎ去った現象であり出来事でしかない。
現状ではもはやそのような衆愚的な
大衆の熱狂などあり得ないのかもしれず、
むしろ誰もが無関心で冷めている状況があるのだろう。
いくら強力に強引に政治的な権力を行使しても、
どうにもならない時代が到来しつつあるのではないか。
現に選挙での投票率の低下が示すように、
政治家や官僚たちのやっていることに大衆が無関心になりつつある。
要するに何を主張しても
大して賛同や支持を得られない状況なのかもしれず、
政治では世の中を変えられないのかもしれない。
しかしそれでも政治制度やシステムが作動していて、
それらがなんの結果も出せずに空回りしているわけか。
そんな形骸化した状況の中でも決めるべきことは決め、
実行すべきことは実行しているわけで、
そんなことやっているうちに、
さらに無関心の悪循環が世の中に広がろうとしているのだろうか。

もしかしたらそれは悪循環などではなく変化の兆しかもしれない。
そして世の中は人が期待するようには変わらない。
では今まさに世の中の変化を期待する人たちの主張が
無効になりつつあるわけか。
そうではなくそれらの人たちの主張も反映している一方で、
彼らが批判している人たちの主張も反映していて、
それら両方の主張が反映する形で
世の中が変化しつつあるのではないか。
それらの賛成派と反対派の二項対立が、
結果として政治的な無関心を呼んでいるのかもしれず、
その二項対立が予定調和のように感じられ、
一般大衆はどちらの主張にも飽き飽きしているのかもしれない。
だから彼らがいくら大衆に向かって
脅し文句をあれこれ並べてみても、
概して反応は鈍く大して効果はないのかもしれない。
そして人々はもはや政治家やその支持者たちが妄想する
国家や民主主義の理念などとは決別して、
それらとは無関係に生きようとしているのではないか。
実際にそれらを意識することなく普通に暮らしているはずだ。
国家の下に国民が一致団結して
何かをやる時代ではなくなっているのかもしれない。
そうしなくても生きていけると思っているのだから、
彼らにとっては政治家など不要なのだろう。
要するに彼らは国民である必要がないのであって、
少なくとも政治家が求めている国民とは似ても似つかぬ存在なのだ。
それはいくら行政が教育によって洗脳しようとしても
無駄なのかもしれず、
北朝鮮のように
一般人にはネットに接続できないようにでもしない限りは、
自分たちを国民だと自覚させることなど不可能なのかもしれない。
彼らにしてみれば、
韓国を罵倒しまくり中国の脅威を理由にTPPに反対しながら
対米追従を黙認する国粋的な人々も、
原発放射能被害や改憲による戦争への脅威を言い立てて
選挙に行かない無党派層を脅す人々も、
どちらもただうっとうしいだけの存在でしかないのかもしれない。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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