文学

彼の声

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彼の声 2015.5.17 「メディアのブランド化」

2015/05/18

そこで何を感じ取っていたのか。
金の力や暴力以外では、
他人の行動や言動を制することができないということか。
そんな単純なことではないはずだ。
洗脳という手段もあるが、
たぶんそれも暴力の類いであり、
そうではなく相手の行動や言動の自由を保障しながらも、
思惑通りの方向へ誘導していく方法が模索されているのだろうか。
それはいったい何によって模索されているのか。
国や地方自治体の行政や
企業の製品や従業員の管理を担う官僚機構によって、
そのような試みが模索されているのだろうか。
そしてそれは従来から言われている学校や工場や刑務所などの、
閉ざされた管理空間で行われていることとはどう違うのか。
あるいはそれは商品の広告宣伝などと似たような手法だろうか。
金銭的な利益をエサにして誘導するなら
詐欺やペテンの手法となるだろうが、
金ではなく健康とか娯楽とか、
その延長上で文化や生涯学習の類いだとしても、
物や情報をエサにしている点では、
金の力と似通っているだろうが、
果たしてそれ以外で人を誘導し制御する方法があるだろうか。
社会の結束につけ込んで、
多数派に従わないと村八分などの
不利益を被るようにするやり方もあるが、
これも従来からやられている方法だ。
ではそれですべてであり、
それらのやり方を効果的に使い分けたり組み合わせたりしながら、
ある特定の社会勢力がその他大勢の人々を、
思惑通りに制御し誘導しようとしているのだろうか。
どうもそういう制御する側とされる側の二つに分けて説明するのでは、
あまり説得力のある説明とはなりにくいように思われ、
もしかしたら制御する側とされる側との間に明確な境界や区別はなく、
互いが入り混じった状態で、
あるときは制御する側に回ったり
別の場面では制御される側に回ったりして、
役割分担がそれほどはっきりしていないのではないか。
何かそれとはっきりわかるような敵が想定されれば、
それを攻撃目標に定めて叩けばいいわけだが、
どうも実態はそうではなく、
確かにそれと想定されるような特定の役職などがあるにはあるが、
必ずしもその役職を占めている人物が
全権を委ねられているのではなく、
形式的にはっきりとした命令を発して、
その命令を遂行する役割を担った人物たちが命令通りに動くわけだが、
それとは別に何か空気のようなものがあり、
そちらの方が本質的であって、
かえって役割分担的な指揮命令系統は形骸化していて、
命令を下す担当者も命令通りに動く行為者も、
いつでもいくらでも他の人物と入れ替え可能なのであって、
要するに誰でもかまわないわけで、
誰がその役割を担おうが、
同じように動作するシステムになっているのではないか。

それがなんだかわからないような空気に包まれていて、
その中ではなんとなくそうなるような成り行きがあって、
あらかじめ結論が決められているかのように動いて、
その動きに支配されながら、
誰もがそこへ向かって収束していってしまうわけだ。
要するに他人と同じように動いていると安心するのであり、
それは動物の群れに見られる行動に似ているのかもしれない。
そしてその見習うべき他人が、
メディアに登場する有名人ならなおさら安心するのであり、
その結果その有名人が勧める商品を買い、
有名人の服装や趣味を真似、
有名人が日頃行っている健康法などを試してみたり、
その有名人が地方自治体の首長などになれば、
そこの住民であればなんとなく安心してしまうのかもしれず、
メディアに対して精神的に依存度が高い人などは、
そのことを誇りに思ってしまったりするのだろう。
そうだとすると元凶はメディアであり、
メディアこそがそのような空気を
社会全体に行き渡らせていると言えるだろうか。
メディアから情報を得ている限りは、
そのメディアを信用して
そこからもたらされる情報も信用しているから、
そこに頻繁に登場する人物が述べていることや主張も、
よく考えずに反射的に信用してしまい、
その人物がそこに出てきて、
いつものように語っている状況に慣れてしまうから、
安心してその主張などに共感できるのではないか。
たぶんそのような安心感がその人物への信頼へとつながり、
あまり深く考えないでその主張の同調者となってしまうわけで、
それが高じてしまうと、
逆にテレビの人気番組の司会者や
発行部数の多い新聞などが好意的に取り上げる人物ほど、
メディア的にはより信用のおける人物となってしまうわけで、
そのような人物が述べていることや
その主張を支持したり同調する人も、
それだけ膨大な数となってしまうのだろう。
要するに述べていることや主張の中身ではなく、
誰が述べているかが
その主張を信用するか否かの基準となってしまうわけで、
贔屓にしている有名人が言っていることなら、
とりあえずは信用してしまうのであり、
逆にどこの誰なのか得体の知れない人物が、
ネット上でつぶやいているような意見など、
まずはそのような場で発せられている時点で
軽んじられてしまうのであり、
まともに聞く耳など持つ必要のない
無視してかまわない意見でしかないわけだ。
結局そのような差別化がもたらす先にあるのは
メディアのブランド化でしかなく、
それは有名ブランドの商品が値段が高いほど喜ばれ、
それの所有者となることが、
一種のステータスであるかのように思われることと似ていて、
例えばメディア内でも一目置かれるような、
ニューヨークタイムズやワシントンポストなどから
もたらされる情報なら信用され、
読売新聞や産経新聞などの保守系メディアの情報は、
左翼系の人たちにとっては、
政府の息がかかっているから
クズ情報であるかのごとく思われているだろうし、
右翼系の人たちにとってはその逆で、
朝日新聞や共産党の機関紙の赤旗や週刊金曜日などの情報が
クズ情報となるわけだ。
そしてそれらの人々はそれぞれが信奉しているメディアに、
制御され操られることとなる。

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創刊日:2001-03-26  
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