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彼の声

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彼の声 2015.5.15 「ファシズムの始まり」

2015/05/16

ファシズムはどうやって生まれるのだろうか。
それは過去の歴史でしかない。
何がファシズムというわけでもなく、
独裁的な権力を振るう政治家を
ファシスト呼ばわりするだけなのではないか。
そして近頃はそのように見える政治家もそう呼ばれるわけだが、
要するに批判の対象をファシスト呼ばわりすると、
なんとなく批判しているような気になれるというわけだ。
もちろんそれだけではないのだろうが、
別に特定の政治家がファシスト呼ばわりされようと、
何がどうなるわけでもなさそうに思われ、
ファシズムやファシストと呼ばれる言葉自体に、
どのような効力があるわけでもないようで、
そういうレッテルを貼る行為自体がありふれているわけだ。
問題はそこにはなく、
その政治家や属する政治勢力が今までに何をやってきて、
これから何をやろうとしていて、
そのやってきたことややろうとしていることを、
批判者が批判しているわけだ。
ではその具体的な批判の内容について何か述べたいのか。
何を述べたいわけでもないのなら、
中身のない表面的な批判に終始しているだけではないのか。
もしかしたら批判でさえないのかもしれず、
実際に特定の批判者を批判しようとしているのでもなさそうだ。
そう述べることで何か政治的な思惑があるとも思えず、
批判の対象を特定せず名指しもせずにはっきりさせないまま、
何か適当でいい加減なことを語ろうとしているのかもしれない。
そう語ってもかまわないと思っている。
他に何が見出されているわけでもなく、
特定の政治家や政治勢力の政治的な行為が、
何をもたらしているわけでもない。
また国際テロ組織や各国のゲリラ勢力などが、
この世界にどんな影響を及ぼしているわけでもない。
それらはみんな否定すべき対象であり、
批判の対象とはならないのだろうか。
今日的なメディアの状況の中ではそんなはずがないだろうが、
とりたててそれらに対して、
何を述べてみても仕方のないことなのではないか。
なぜそう思うのだろう。
どうしてそう述べて批判を諦めてしまうのだろうか。
確かにそれらはみな国家の内部と、
国と国との対立や連携関係の中でしか効力のない問題で、
個人の力ではどうすることもできない問題だ。
しかしそれ以外に何があるのだろうか。
経済的な人や企業の関係だろうか。
だがそこにも国家が絡んでくるように思われる。
そういう方面ではそれ以外には何もないように思われるが、
それとは無関係に何を述べられるわけでもなさそうだ。

しかし政治的にはいつも金権腐敗の利権をめぐる争い
ということにされてしまい、
それが批判する上での格好の攻撃材料になり、
何か政治家や属する政治勢力が、
経済的な私利私欲で動いていることになって、
そればかりが繰り返し批判されるわけだが、
結局その延長上に
地域的あるいは国家的な利益が重なっているわけで、
その利益のために政治家や政治勢力は
動かなければならないことになるのだろうが、
果たしてそれでいいのだろうか。
国民や市民のために国家のために地域のために、
政治家や政治団体は動かなければならない。
もちろん政治家も政党もそういう建前を主張しているわけだが、
いつもそれを批判する人々は、
それらの政治家や政党が私利私欲で動いていると批判するわけで、
それが特定の企業のために宗教教団のために同盟国のために、
国民や市民をないがしろにして、
癒着しているそれらの勢力の利益のために働いていると主張する。
批判しなければならないのは本当にそれだけだろうか。
確かに人や団体はなんらかの利害関係の中で動いているのだろうが、
それでは何か物事を単純化していないだろうか。
批判者は絶えず何かを評価しなければならず、
語る対象を肯定したり否定しなければならないようだが、
そのどちらでもない対象というのがあるとは思えないか。
どちらでもない対象についてはどう語ればいいのだろうか。
たぶんその対象について説明すればいいのではないか。
もしかしたら全てがそうなのかもしれず、
それを肯定したり否定したりすること自体が
単なる蛇足なのではないか。
たぶんそれは批判者にとっては受け入れがたい見解だろうが、
その肯定否定が全ての言説は中身が何もない。
ただ物事の善悪を語りかける対象に押し付けているだけで、
それ以外は何もないのではないか。
なんらかの行為に対して賛成したり反対したりして、
賛成反対の理由を述べればそれでおしまいだ。
それが批判の全てなのだろうか。
たぶん全てなのかもしれないが、
いったいそれ以外の何が必要なのだろうか。
要するにそれは語る対象についての説明なのではないか。
もしかしたら人々は行為の善悪ではなく、
行為の説明を求めているのではないか。
どのようにしてそのような行為に及んだのかが知りたいだけで、
それについて語る者の
それについての評価など余計でしかないのかもしれない。
しかし語る者が望んでいるのは、
その評価に同意してくれることでしかなく、
自分の主張の賛同者を求めているわけだ。
たぶんその辺に批判者とそれを拝聴する人の間で、
齟齬や食い違いが生じているのかもしれない。
そしてファシズムとはそういう評価の押し付けや強要から始まるわけか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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