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彼の声

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彼の声 2015.5.13 「価値ある行為」

2015/05/13

価値とは金額で決まるものだろうか。
それが商品なら金額で示してあればわかりやすい。
人の価値は何で決まるのだろう。
所得や持っている財産の額で決まるわけでもなさそうだ。
価値が何かを計るための基準となるとも思えない。
しかし価値でなければ何を求めているのか。
それがわかれば苦労はしないだろうか。
価値では示されないようなものを求めているのではないか。
それはなんだろう。
なんだかわからないようなものなのではないか。
本当は何も求めていないのかもしれない。
そうであってもかまわないのだろう。
何かを求めているとしたら、
その場の思いつきでしかない。
何か特定の決まりきったものを求めているのではなさそうだ。
なんらかの制度を作り上げたり改革したりしようとしている人とは、
その辺が違うのかもしれない。
要するに決まり切った制度やシステムを必要としない。
制度に従ったりシステムの中で動作したりするのが
退屈に思えてくるのではないか。
社会の中で一定の役割を担って縛られたくないのだろうか。
結果的にそういう状況になっていないから、
人として無価値であるのかもしれず、
その分気楽な立場でいられるわけか。
いつまでもいられるわけではないが、
限られた時間を生きなければならない。
その時間の中で正しいことを主張するわけにはいかないようだ。
だが何が正しい主張なのかわかっていないのではないか。
気づかないうちに正しいことを主張している場合もありそうだ。
なぜそうなってしまうのだろうか。
まだそうはなっていないのではないか。
正しい主張が何かわからないうちに、
そんなことを述べてみても仕方がないが、
ではなぜ正しいことを主張してはいけないのか。
それもわからないのなら、
述べていること自体が意味も価値もないようなことではないのか。
わざとそれを狙っているとも思えないのだが、
言葉が停滞し逡巡を表しているようだ。
意識が迷っているのだろう。
別に街頭をさまよっているわけではない。
行動が伴わないので、
考えばかりが先走っているようだ。
たぶん行動する機会が巡ってこないのだろう。
いったい行動する理由がどこにあるのか。
動く理由が見当たらず、
何のために動いたらいいのかもわからない。
そうではないのかもしれない。
言葉を記せばいいのではないか。
なんのためにでもなく、
理由もなく言葉を記しているわけではないはずだ。
おそらくなんらかの理由があって言葉を記しているのだろう。
ただ意識がその理由を感知できないのだ。

それは理由ではない。
ではなんなのか。
なんでもないわけではないが、
その理由が行動を促すわけではなく、
記述を促進させるわけでもなさそうだ。
理由がなんなのか、
それを知ろうとしているわけでもなく、
その理由にたどり着きたいわけではない。
たどり着けないと思っている。
知らないうちにそれと気付かずに辿り着いているかもしれないが、
知りえないままでも構わない。
それの何が間違っているのだろうか。
正しいのでも間違っているのでもなさそうだ。
そのように語ることに価値を見出せなければ、
正しいも間違いもありはしない。
要するに価値ではない何かを探しているのかもしれないが、
その何かが何であってもかまわないし、
なんでもなくてもかまわない。
そこで利益を求めるようになれば、
行動や言動の正しさを主張しなければならなくなり、
そうすることの意味や意義や価値を正当化する必要に迫られ、
そうなれば社会の中で
ある特定の役割や立場を求めるようになれるだろうか。
政治的な主張とはそういう範囲に限られそうだ。
それが正しかったり間違っていたりしなければ、
人々がその政治的な行為の良し悪しを判断しようがない。
そしてそれに賛成したり反対したりする必要に迫られるのが
嫌な人が多くなれば、
選挙や住民投票などの投票率が低下して、
そのような政治的な問題に真剣に取り組んでいる人たちは
困った事態となるわけか。
困る人とその事態を有効活用できる人や団体もあるのだろうが、
何かそこで暮らす人々に不利になるような法律や制度ができたら、
政治的に無関心な人たちも困るのだろうか。
困る人もいれば困らない人もいるのだろうし、
困ったところで法律や制度に従わずに、
罰せられる人も出てくるかもしれないが、
そうなることにどんな意味や意義があるかは、
そうなってしまった人たちの私的な事情にも左右されるだろうか。
たぶんどのような状況になろうと、
うまく立ち回ろうとする人が出てくるだろうし、
そうやってそこから利益を抽出することに
成功する人も出てくるのだろう。
そんな人は正しい行為をやっていることになるだろうか。
金銭的な利益が出たら、
それは価値ある行為となり、
そのように立ち回れる人が価値ある人間となるのかもしれない。
でも全ての人がそれを目指しているわけではない。
中には積極的には価値を求めない人もいるだろう。
自らのやっていることに価値を見出せなければそうなるだろうか。
結果的にそうなればそれでかまわないのだろうか。
価値を見出せない人は価値以上の何かを求めているのかもしれない。
それはなんなのか。
それはいつまでたっても何かでしかなく、
なんでもないものなのかもしれず、
しかも価値を否定するものでも肯定するものでもない何かなのか。
今のところはそれがなんだかわからないということか。
たぶんわからないままなのかもしれず、
それでかまわないのだろう。

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創刊日:2001-03-26  
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