文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.5.3 「現状からの逸脱」

2015/05/03

特定の国や地域が栄えるとはどういうことだろうか。
そこで暮らす特定の人たちが繁栄を謳歌するわけか。
少なくとも今はそうではなく、
世界中が栄えているわけだ。
そう見なしてもかまわないのではないか。
そんな現状では何がまずいのか。
人間は何か勘違いしているわけか。
たぶんそうではない。
例えば原発事故ならもっと悲惨な何十万人が
いっぺんに死んでしまうような事故を起こしたいのではないか。
大規模な産業技術には大事故がつきものだ。
パニック映画なら当然そうなるだろう。
そうでなくても大地震などの天変地異で多くの人が死傷し、
戦争でも同様に多くの犠牲者を出している。
自分の身にそれが降りかかってほしくないが、
他人の身に降りかかってくるところを見たい。
実際にその手の映像には多くの人が群がっている。
何かとんでもないことが起こっているのを、
身の安全を確保しながら眺めていたいわけだ。
それにしても他人の不幸を見て楽しむのも
あまりにもひどい話だから、
できれば映画とかプロスポーツの観戦ぐらいで
妥協しておいた方が無難だろう。
だがそこに利害が絡んでくれば、
人はいくらでもひどいことやるわけで、
数年前の原発事故でも、
多くの被災民が国に見捨てられようとしているのに、
そういうことをやっている政府を支持している人たちも
大勢いるわけで、
要するに原発事故の対応だけが、
政府を支持するか否かの判断基準ではないということだろうが、
ひどい話には違いない。
自分が不利益を被るのは断じて許されないが、
他人が不利益を被っているのには、
見て見ぬ振りを平気でできるわけで、
それで少しは良心が咎めようと、
その程度のことなら気にならない。
そしてそんな人たちが大量に死んでも
別に気にならないのではないか。
死ぬ人たちがそんな人たちばかりではないにしても、
世の中がそんな人たちばかりだと思っていれば、
他人ならいくらでも不幸になっても
かまわないことになるのではないか。
そして多くの人たちがそう思うようになっているとすれば、
今まさに人類が滅亡の危機に瀕していると言えるだろうか。
そうではなく、
もしかしたらそれが
今まさに世界中が繁栄している証拠かもしれない。
生きようが死のうがどうでもいい人たちが大勢いるわけで、
要するに世界が人間で飽和状態にあると言えるのではないか。
でもそんなふうに言ってしまったら、
人としてまっとうな社会人としてはまずいだろう。
本心ではそう思っていても、
言葉で表明するときは、
それとは正反対の人道的な意見を述べなければならない。

それも冗談の範囲内にとどめるべきか。
何事も本心を明かしてはならず、
それが本心ではないことを示さないと、
人としてまずいことになるだろうか。
それとも本心と思っている内容こそが嘘なのだろうか。
ともかく言葉の並びが示しているのは、
それとは無関係なフィクションでしかない。
誰もそんなことは思っていないし、
荒唐無稽な誰かの思いつきですらない。
ではなんなのか。
虚構などではなく、
現実の世界に関する言説だろうか。
それどころか偽らざる真実を語っているのだろうか。
そうだとするとなぜそんなことを述べてしまうのか。
他人に誤解を与え、
述べている自らが不利になるようなことを、
あえて語らなければならない理由はなんなのか。
理由など思いつかないが、
ただそう語ることができるということだ。
そしてそれは露悪主義を好んでいるわけではなく、
人道主義を否定したいわけでもない。
露悪主義も人道主義も物事の一面しか捉えていないような気がする。
それでかまわないのかもしれないが、
それ以外の部分も示してみたい衝動にかられるわけで、
それが屁理屈をこねたような内容に過ぎないとしても、
あえて語ってみないと、
その限界が見えてこないのではないか。
だから語るのであって、
これまで通りの人道主義や
それを嘲笑する露悪主義にとらわれた内容では満足できないわけだ。
だから無理にそこから外れることを述べようとして、
結果として矛盾に富んだ支離滅裂な言い分となってしまうのだろう。
だがそうなるしかないとしても、
それをこれからもやっていかないと、
何に逆らい何に挑戦しているのでもない、
ただの現状肯定か現状否定の紋切り型的な意見となるしかない。
むろんそれでもかまわないのだろうが、
少なくともそれに気づいてしまったからには、
そこから逸脱したことを述べる気になるわけで、
何かこれまでとは違ったことを述べてみたくなるのだろう。
現状を変革したいのなら、
そうするしかないのかもしれない。
それ以上でも以下でもなく、
できる範囲内でそれをやらなければ、
現状にとどまって、
他の人たちと同じようなことを述べて、
他の人たちとの絆や連帯を確認して、
それで満足する他ないだろう。
はたしてそれでかまわないのだろうか。
たぶんかまわないわけだが、
同時にそこから逸脱を試みてもかまわないわけだ。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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