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彼の声 2015.4.29 「制度と形骸化」

2015/04/29

それは誰もが抱く妄想だろうか。
制度を変えるには政治的な主導権を握らなければならないだろうか。
だが制度の中で多数派を説得して味方につけ、
多数決でその制度を変えるにはかなりの無理が伴うだろう。
世の中の多数派が制度を支えているのだから、
その多数派には制度を変える意志はない。
制度が多数派をもたらし、
多数派が制度を守っているわけで、
それでは鶏が先か卵が先かの議論となってしまう。
ではどうしたらいいのだろうか。
たぶん制度が形骸化すれば自ずから制度が変わらざるを得なくなる。
だが制度が形骸化するように仕向けることは難しい。
あまり必要性を感じない制度ならば、
そんなことをしなくても自然と形骸化するのではないか。
ではそこで人は何をすればいいのだろうか。
ただ黙って制度が形骸化するのを待ち、
形骸化した時に代替の制度を提案すればいいわけか。
実際にはそんな都合よく事が運ぶことはなさそうだ。
うまく制度を変革する方法などないように思われる。
結局その時の状況次第で、
事の成り行きは偶然の巡り合わせと、
それに関わっている人や団体の力関係に左右され、
変革の試みがうまくいかずにいったんこじれてしまえば、
その後はどうにもならないような遠回りと
わけのわからない紆余曲折を経て、
誰もが思っている最善の案からは程遠い、
中途半端で受け入れがたい結果しか待っていないのかもしれず、
無論それでは誰もが納得しがたいから、
うまくいかなかったことに対する負い目や、
変革を妨害されたと思い込んで被害妄想に陥ったり、
そこから生じる反発や復讐心が入り混じった情念から、
後から思えばどうでもいいような空疎な論争が延々と続いたり、
場合によっては武力でデモを鎮圧して殺傷沙汰なども招いて、
後味の悪い結末を迎えてしまうかもしれないが、
それでも変革への意志が絶えることはないだろうか。
そういう過程こそが
まさに世の中が変革されている最中だと思えばいいのだろうか。
確かにそんなうんざりするような
時間や人や物や言葉の浪費を経ないと、
人は何かが変わったと実感できないのかもしれないが、
それで本当に何が変わったのか。
それを誰が感知できるだろうか。
20世紀の日本の全共闘世代が担った学生運動や、
数年前の中東で起こったアラブの春と言われた改革運動などが、
それに当たるかもしれないが、
一時的な保守への揺り戻しもあるだろうが、
たぶんそれも変革の過程なのだろう。
といっても変革そのものがなんだかわからず、
はっきりとは特定できないのかもしれず、
多くの人にとっては何が変革なのか
気づき得ない面もあるのではないか。
それが変革でなくてもかまわず、
相変わらず代わり映えのしない退屈な日常が
延々と続いているとしか思えない場合もありそうだ。
たぶんそれでもかまわない。

要するに様々な紆余曲折を経て変革されてきた社会が、
今人々が暮らしている社会そのものなのだろう。
もちろんそれが最終的な形態ではないのだろうが、
今後もそこに暮らす人々が気づかないうちに変革されて行くだろう。
もちろんそれでそこに暮らしている人々が納得するわけがなく、
相変わらず多くの人たちが政治体制を批判し続けるだろうが、
それが必ずしも変革の試みにつながるわけでもなく、
むしろそのような政治体制を維持強化していくには、
その体制が許容可能な批判勢力の存在が欠かせず、
批判している人々をそのような批判勢力に組み込むことによって、
そこから逸脱して過激な主張をする人々や、
それとは全く別の方面から批判しようとする人々を孤立させ、
そういう人たちはいないかのように扱うことで、
体制側と許容可能な体制批判をする側の二項対立を構築しながら、
安定した政治体制を継続させようとするわけで、
それに貢献するような批判なら
体制に迎合的なメディアからも歓迎されるわけだ。
そしてそのような二項対立の構築も
社会変革からもたらされた成果なのではないか。
批判勢力にとってそれは否定的な成果なのだろうが、
彼らの思い通りの変革とはならずに、
彼ら自身が体制側に飼い慣らされるような変革となったわけで、
つまりそれは体制批判の形骸化であり、
批判による変革の不可能性があらわになったわけだ。
しかし形骸化とはなんだろう。
形骸化こそが制度そのものなのではないか。
制度とは同じ動作を繰り返し要求し行うシステムで、
批判も体制側に飼いならされたメディアによって行われるような
制度と化したわけで、
そのような制度によってメディア側に利益がもたらされるとしたら、
それはメディアにとっても
有効に機能している制度となっているのだから、
それは是非とも既得権益として維持継続させ、
そこから持続的に利益を得たいところだろう。
要するにそのような体制迎合的なメディアが利益を出している限り、
体制批判は形骸化した制度として有効に機能し、
不満分子を退ける装置として社会の安定に役立ち、
政治体制も磐石なものとして維持継続ができるわけだ。

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創刊日:2001-03-26  
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