文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.4.26 「自分という虚構」

2015/04/27

この世界では何をやってはいけないのだろうか。
それがどこかに記されていたかもしれない。
確かハムラビ法典には
やってはいけないことでも列挙されていただろうか。
目には目をといった程度のことだったような気がする。
要するにやられたことを超えて復讐してはならないということか。
果たしてその戒めの言葉が実際にどこまで通用するのだろうか。
別に誰がそれを嘲笑しているわけではなさそうだが、
人は復讐とは無縁でいられるだろうか。
ただ一方的にやられっぱなしで、
どこまで我慢できるというのか。
やる方はやられる方にやるときはこうやるんだと教えているのであり、
やられる方が殺されずに生き延びれば、
今度はやった方に復讐を企てるわけか。
かつてお前がこの身に叩き込んだように、
今度は俺がお前に叩き込んでやるとなるのだろうか。
無視するわけにはいかないのか。
無視できずに影響されてしまうのが復讐の醍醐味というわけか。
そんな復讐を扱った物語が興味深いのかもしれず、
かつて自ら記した内容に今の自らが影響されて、
そこで思いもしなかったようなことを語り出しているのだろうか。
別にそれで過去の自分が今の自分に
復讐していることになるわけでもないだろう。
しかもそこで語っているのは自分ではなく誰でもない。
ただの記された言葉の連なりであり、
それを記しているのは相変わらず自分自身だ。
そしてその内容は決して自戒などではない。
何を戒めているのでもなく、
相変わらずその石碑は地中に埋もれていて、
誰もそれを見つけられずにいるわけだ。
なぜその神殿の台座から消え去ってしまったのだろうか。
他の誰かによって持ち去られ、
すでにどこかで粉々に打ち砕かれてしまったのだろうか。
確かにそこには言葉が記されていて、
今それを誰かが読んでいるというのに、
読んでいる意識が記述の合間に消え去ってしまう。
苦し紛れにそんな嘘をついてもわけがわからないが、
どうやら埋もれた石碑はハムラビ法典とは無関係で、
時代も場所も違うようだ。
それどころかもとから戒めの言葉が記された石碑など
存在しなかったのかもしれない。
では他に何を語りたかったのだろう。
自らに課した戒めの言葉など、
結局どこを探しても見つからなかったのではないか。
やってはいけないことが、
戒めを意味するわけではないということか。
いつも決まって逆にやってはいけないことを
やらざるを得ない状況に追い込まれ、
事前に何を戒めても、
事後ではその意味合いが変わってきてしまうのだろうか。
復讐はいつも決まって復讐を超える破壊をもたらし、
そうなっては困るから法律で復讐を規制しなければならず、
場合によっては国家が復讐の肩代わりをやることとなり、
それを象徴するのが死刑だろうか。
もちろん表向きは復讐とは違う行為だとされているわけだが。

結局それらの意味不明な説明から何を導き出したいのか。
それにしてもわざと話をあらぬ方向にずらしていないか。
記述内容が自分の意志に従っているわけではない。
それを読み返しながら、
その中に隠れている自分の意志を見つけようとしているのだろうか。
意志そのものが記述から生じている虚構なのか。
そう見なして差し支えないと思う。
でも誰がそう思っているのだろうか。
ただそう思うと記しているだけで、
記している当人はそうは思わない。
ではそれも嘘なのだろうか。
他に何が嘘だと思っているのか。
そう思っているのも嘘で、
そうは思わないのも嘘だとすると、
何かを思ったり思わなかったりすることが嘘なのかもしれず、
そこでやってはいけないことは、
記述している通りに思ってしまうことだろうか。
別に事前に何を思っているわけでもなく、
記述した後から、
その記述内容が虚構だと自覚するに至るのかもしれない。
要するに思うとか思わないとかとは
別のことを考えてしまうわけだ。
後からそれを読み返しながら、
記述していたときとは別のことを考え、
それを次の記述に反映させようとするのだが、
できるわけもなく、
記述しているときは別の心理状態にあるのかもしれない。
普段考えているのとは別の神経回路上で動作しているわけだ。
だからいつも思わぬことを記しているわけで、
それが自分の思考から大幅にずれていることもしばしばだ。
それが嘘だとは思えず、
それこそが現実の世界を反映した記述内容なのかもしれず、
自分の思考から外れたところで何かが生成されていて、
その生成物を後から読み返すと考えされられる。
なぜそんなことを記すのか疑問に思い、
それについて考えているうちに、
またそれとは違う何かに突き当たり、
それについて記そうとすると、
またそんな思いから外れた記述となってしまい、
どう記してみても
自分とは無関係な何かについて記してしまうようだが、
それが嘘だと言えるだろうか。
自分とはなんなのだろうか。
本気でそれを考えようとも思わないのに、
そう記してその場を切り抜けようとしてしまうらしい。
なぜその場を切り抜ける必要があるのだろうか。
その場にとどまって自分とは何かを探求すればいいのに、
なぜそこから外れようとするのか。
それはやってはいけないことだからか。
それをやれば虚構の自分が導き出され、
それについて語ればフィクションとなってしまうから、
そういう自分を欺くような行為は自粛せねばならないのだろうか。
しかしそれもなんだか嘘っぽく感じられ、
そんな記述は信用できかねる。
何か冗談でも述べているつもりなのだろうか。
たぶんそう思っておいて差し支えなく、
記述を真に受けるようなことがあってはまずいのだろう。
そんなわけで記述は絶えず記述者を欺いていて、
そんな記述内容は疑ってかからなければならないと思わせるわけだ。
記述から導き出される自分という虚構の産物に
操られないようにするには、
とりあえずはそうするしかないのだろうか。
それ以外にどうすればそこから逃れられるのか。

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創刊日:2001-03-26  
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