文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.4.14 「この世界の真理」

2015/04/15

人間とは何か。
たぶん冗談の類いだろう。
それは語る対象とはなり得ないのではないか。
それでも語ろうとすれば、
ただ闇雲に語っているうちに、
語っていること自体が無駄に思われてくる。
実際に無駄なのかもしれず、
人間について何をどう語っても意味のないことなのかもしれない。
しかし何について語ろうとしているのか。
何についても語ろうとしてないのではないか。
ただ苦し紛れに言葉を記しているだけなのかもしれない。
どう考えても語るべき対象にたどり着けないようで、
記している言葉の連なりを読んでも、
そこで何が語られているとも思えなくなって、
何かの壁に突き当たっているように思われてくる。
なぜそうなってしまうのだろうか。
何かの偶然が作用してそうなってしまうわけか。
できればその何かを知りたい。
実際にその何かが作用して、
相変わらずそれについて言葉を記している境遇にあるわけだ。
そしてそれを偶然と思えばそういうことになりそうだが、
他にどう説明できるというのか。
現状ではうまく説明できないのだから、
それを超えて無理に説明できるとも思えないのだろう。
そうなっていることに変わりはなく、
それ以外にどうなっているわけでもなさそうだ。
もしかしたら人間について語る必要がないのではないか。

市民社会の中では誰もが普通のありふれた人間だ。
たぶんそれ以外ではないだろう。
それ以外の何になろうとしてなれるわけもなく、
現状ではそれ以外の人間など存在し得ないのではないか。
そもそもそれ以外の人間とはどんな存在なのだろうか。
そんないい加減で安易な思いつきから何を導き出せるだろう。
例えばフィクションの中に登場する人間はそれ以外の人間なのか。
誰かが想像した物語によって、
その願望から生じた特別な力を付与された架空の存在が、
それ以外の人となり得るだろうか。
だが現実と虚構の存在を比較する必然性がどこにあるのだろうか。
それ以前に比較して何を明らかにしたいのかわからない。
何の当てもなく比較するという偶然の思いつきから、
取り立てて何を明らかにしたいのでもなく、
そういう安易な発想に頼っていること自体が、
すべての人間がありふれた存在であることを証明しているのだろうか。
自分によってそれを証明したいわけでもない。
自分がそうだとしても他人はまた違うことを思いつくかもしれない。
だがそうであったとしても、
それを自分が語るとしたらそれはどこまでも自分の発想であり、
他人のそれではあり得ない。
だからそんなことは必要のないのかもしれず、
語っても意味のないことかもしれない。
そして別にありふれているのなら、
人間などについて語る必要はないのではないか。
では他の何について語るべきなのか。
それが何か特別な存在である時、
それについて語る価値が生じるわけか。
だが人間が特別な存在であると考えること自体が、
誰もがそう思うようなありふれた思考から生じているのではないか。
現状ではそうなってしまうから、
ただ闇雲に人間について語ろうとしても、
結局苦し紛れにありふれたことしか語れないのではないか。
実際に人間について何が言えるのだろうか。
ありふれた存在であること以外は何も言えないか。
人は人間の何に興味があるのか。
知性を有した存在であることに興味があるのだろうか。
知性とはなんだろう。
それがありふれたことなのか。
それこそが人間だけに備わっている特別な能力である、
と考えること自体がありふれていることは確かで、
いったいその知性によって人間が何を知り得たと言えるのだろうか。
数多くのことを知り得たはずだが、
それは人間にとってしか興味のないことなのではないか。
だがそれ以外のことを語ろうとして語れるのだろうか。
誰が語るのだろうか。
それは人間である自分自身でしかない。

すでにここまで語っている段階で、
屁理屈をこねまわしたような自己言及の繰り返しに陥っていないか。
そう語りながらも具体的には何を導き出したいのだろうか。
それは人間に関する特定の出来事や事件の類いだろうか。
他に興味を惹くようなことがあるだろうか。
メディア的に人の興味を惹くのはその類いであり、
それ以外には何もないのではないか。
そしてそれがニュースそのものとなり、
そんな情報に人々は日常の中で取り囲まれ、
それに浸りながら生きているのではないか。
しかしそれ以外には何もないのだろうか。
それだけでは何かまずいのか。
別にそれで何の問題もなさそうに思われるが、
人は現実の世界の中でそれを体験している。
人や人以外が関係するなんらかの現象や出来事を体験しているはずだが、
その体験の中で自らが生きている意味でも見出したいのだろうか。
見いだせたら満足できるだろうか。
満足したからといってどうだと言うのだろう。
でも実際にそれで満足している人もいるのではないか。
ならばそれ以外で満足できるだろうか。
それ以外とはなんなのか。
幻想を抱いているということだ。
何かを想像してそれが実現してほしいと願っている。
ではそれを想像し幻想しているだけで満足するわけか。
それとも願っていることが実現しないと満足できないだろうか。
その方がより満足できるだろうから、
人はその夢を叶えるために努力するわけだ。
そしてその努力が実ったり実らなかったりしているうちに、
人をありふれた人間にしてしまうのだろうか。
なぜそれがいけないのだろうか。
では別にそうであっても構わないはずで、
そうなるしかないのではないか。
それ以外に人間に何ができるだろうか。
あきらめることができるはずだ。
だがあきらめた方がいいわけではなく、
あきらめずに努力した方がいいに決まっているが、
それが人間のあるべき姿なのだろうか。
もしかしたらあきらめなくてもあきらめても、
どちらでもかまわないのではないか。
そしてそのどちらでもかまわないということが、
人にとっては受け入れ難い世界の真理なのかもしれない。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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