文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.4.11 「これとは何か」

2015/04/12

確かに何か反応があるようだ。
微かだが脈があるのだろうか。
そう思うのは幻想なのかもしれない。
ようするにそう思いたいわけだ。
実際には勘違いの類いかもしれないが、
それでも構わない。
そう思い込んでいられるうちは、
まだ前向きな気持ちでいられるわけか。
しかし何を前向きにやろうとしているのだろうか。
前向きにやろうとすると、
実際にやっていることはその反対となってしまうわけか。
皮肉な結果だが、
やむを得ないことかもしれず、
もうすでに力の均衡が崩れていて、
手の施しようのないこととなっているのかもしれない。
しかしそれでも権力の関係があり、
力を及ぼそうとしている側が、
その力を信じきれていないから、
それを全力で及ぼす気になれないのだろうか。
迷いがあるのかもしれない。
得られた情報から結論を得るのは間違っているだろうか。
その疑念が躊躇をもたらしているのだろうか。
今のところはなんとも言えないが、
仮に間違っているとしたら、
それではまずいのだろうか。
できれば正しい結論へと至りたいのではないか。
しかしどうすればそこへ至れるのかわからず、
その方法さえ皆目見当がつかない。
このままではたぶん至れないだろう。
だからとりあえず間違ったことを述べなければならないのだろうか。
それも全力で語らなければならないわけか。
しかも自らの過ちを認めながら語らなければならない。
ならば過ちとはなんなのか。
今ここで語っている内容が過ちなのだろうか。
確かに過ぎたるは及ばざるが如しというが、
何が過ぎているのだろうか。
別の方面で出過ぎた真似をしていることは確からしいが、
ここでは何が出過ぎているのだろうか。
たぶん何も語らないに越したことはないのだろう。
だが語らざるを得ず、
語ることに迷いながらも、
明らかに間違ったことを語っているようだが、
たぶんそれはここに記されている内容ではない。
ここではなんとかこの状況で
踏みとどまっていると言ったほうがいいだろうか。
ではこれ以上はそれに触れてはならないのか。
これ以上のこれとはなんなのか。
現に記されている言葉の並びのどこにこれがあるのだろう。
それともここにはこれがないと言えるだろうか。
いったいこれとはなんなのだろうか。

人の思考の絶え間ない変遷を全て語れるとは思わないが、
これがなんなのかはっきりと示さなければならないだろうか。
はっきりとどころか全く示されていないのではないか。
言葉の並びをいくら読み返してみても、
まだ何も述べていないことに気づく。
危うくそれを述べてしまうところだったかもしれないが、
かろうじて踏みとどまったのだろうか。
なぜそれを述べてしまってはまずいのか。
まずいわけではなく、
全くの取り越し苦労で、
逆にそれを述べることこそが正しい結論そのものなのではないか。
ではそれは具体的になんなのか。
なんでもないことなのではないか。
そして語らなくても構わないことか。
矛盾しているが、
あえて語らなくても構わないことを、
やはり語らずにおくことが賢明だと悟ったのだろうか。
それはやはり語りようのないことなのか。
実際に語り得ていないのだから、
話にならないだろうか。
ならなくても構わないのかもしれず、
なってしまったら
逆に面倒な事態に巻き込まれてしまうのだろうか。
面倒な事態とはなんなのか。
それも言えない領域だろうか。
そうなるとやはり話にならなくなってしまい、
何も語らずに記述を終えてしまうようだ。
要するにそこから外れようとしているのか。
それはいつも外れようとしているそれだろうか。
いったい何から外れようとしているのか。
また問いの繰り返しとなってしまいそうだが、
それは意味のある問いとなるのだろうか。
意味がなければまずいのだろうか。
できれば意味のある問いを発して、
意味のある答えを導き出したいところだが、
現状ではそのどちらにも失敗しているとしたら、
なぜそうなってしまうのだろうか。
できれば戯れ言程度で済ませたいところだったのではないか。
それも叶わぬ事態に陥ってしまったわけではないと思う。
そこで何かを感知したことは確からしく、
感じ取って迅速に対応したのかもしれないが、
割に合わないことだったのだろうか。
でもまだその先に記述を求めているのではないか。
その先があると思っている。
今はそんな気配を感じ取っているわけだ。
そちらへは行かないように、
うまく言葉を並べて防波堤を築いたつもりなのだろうか。
結果的には失敗しているようにも思えるのだが、
本当にそれでかまわないのか。

人と事物の間に幻想が介在している。
その幻想があるときは国家になったり、
またある時は経済となったり、
その国家と経済をまとめて幻想しているのが
政治家であったりしているわけか。
でもそれで何を語ったことになるのか。
それについてこれから語ろうとしているのだろうか。
これとは何かのこれはそれらの幻想ではないはずだ。
ではこれとはなんなのだろう。
幻想を介さない事物そのものだろうか。
その事物を言葉でどうやれば捉えられるのだろう。
これとは事であり物だ。
事や物の束が言葉で捉えられた事物だ。
事物が出来事を形成し、
その変化が時間として意識に感知される。
果たして政治家の幻想によって、
物や情報の動きである経済を制御できるのだろうか。
たぶん制御しているのだ。
話の上では制御していることになっている。
実際に制御しているのではないか。
何かしら策を講じていることは確かで、
その講じている策が有効に機能しているように装うのが、
政治家の技量となり、
有効に機能しているようには感じられないと、
あちこちから批判が噴出する。
その装われたり感じられたりしているのが幻想なのだが、
では幻想を取り除いた後に残る現実とはなんなのか。
それはそこから批判が生じている当の事や物なのだろう。
それは人や物や情報が行き交っているこの世界そのものなのだ。
政治家がそれらの行き交いを制御していると信じてもいいが、
それはあくまでも信じるか信じないかのことで、
幻想のレベルでそう思われるだけのことだ。
しかしそうだとすると結局何が確かなのか。
確かなことは何もないわけではないが、
そこから何か法則のような人や物や情報の関係を導き出して、
それを適切に配置することで最適の関係でも得られるのだろうか。
そのよう試みを模索してみたいのだろうし、
実際にそれを探求している人もいるのかもしれない。
うまくいった事例があるのだろうか。
人にはそのような試みしかできないのだろうか。
それさえも不可能なのかもしれないが、
なるべく幻想に浸かっている部分を取り除いて
事物の真の姿を見極め、
その性質や特性を知る努力が欠かせないわけか。
しかし果たして知ることができるのだろうか。
たぶん多くの人が知ろうとしていることは確からしい。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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