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彼の声

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彼の声 2015.4.10 「役割分担を超えて」

2015/04/10

まだ何ももたらされないのだろうか。
何がもたらされることを期待しているわけではないが、
そこに疑念を抱かせる何かがあるらしい。
人々はそこから遠ざかろうとしている。
すでに何かがもたらされているのだろうか。
何が正しく何が間違っているかではなく、
何を信じているかによって、
人の言動や行動が決まってしまう。
そう思われてしまうのはなぜだろう。
それはその人が信じていることがその人にとっては正しいからか。
それもありそうだ。
では他にどんな理由があるのだろうか。
正しいと思われることを信じているのではないか。
正しいからこそ信じていると言えるだろうか。
それが正しいことのすべてか。
間違っているからこそ信じているというのは、
単なるひねくれ者の屁理屈になるだろうか。
では何が間違っているから信じられないのか。
戯れに世界征服の野望が間違っていると口走ってみたいのか。
それとこれとは無関係で、
それもこれも虚構でしかないのではないか。
真実がどこにもないから何も信じられなくなってしまうのか。
真実なら言説の外にありそうだ。
言説の内側がフィクションの世界で、
その外側に現実の世界があり、
現実こそが真実そのものだろうか。
その現実の中で暮らしていて、
言葉によって虚構の言説を構成し、
それを読んで幻想を抱いているわけだ。
それはいったいどんな幻想なのか。
正しいと信じている思想なり宗教なりの教義がそうなのではないか。
人はその種の正しさから逃れられず、
それを信じていないと気が狂うだろうか。
というか狂信的に信じていること自体が、
その種の狂気をもたらすのではないか。

だが自らが狂っていると自覚するのはおかしいだろうか。
狂気と正気の境目などはっきりとは区別できないのではないか。
集団の中で他人とあまりにもかけ離れたことを述べると、
おかしいと思われてしまうから、
人はなるべく集団で構成される思考に沿った考えを
述べようとするだろう。
しかしなぜかけ離れ考えが導き出されてしまうのか。
それは現実の中にそのような考えが導き出される要素があるわけだ。
集団で構成される思考と現実との間にズレが生じていて、
人の感性がそのズレを感知してしまうわけで、
そのズレから導き出されるのが、
集団で構成される思考からはかけ離れた考えとなる。
そしてそれを表明した者は、
頭がおかしいと思われるか、
何か預言者の類いだとみなされることもある。
イエスやその先駆けとなった洗礼者ヨハネなどは
後者の部類に入るのだろう。
そして預言者は集団によって迫害され悲惨な死に方をするが、
その死後に偉人となって人々の尊敬を集める。
そうしないと集団内が納得しがたいのだろう。
ともかく危険人物は殺しておいてから褒め称えるわけで、
それが集団を維持するためのやり方なのだ。
集団から外れた考えの人たちを生きたまま野放しにしておくと、
そのような人たちの方が魅力的に感じられるので、
集団から離反者が出てしまって、
集団の秩序を保てなくなる。
集団の秩序とは身分や階級を伴う階層構造を構成していて、
身分や階級に関係なく、
勝手な言動や行動が出てしまうと、
集団で守っている階層構造そのものが意味を持たなくなってしまい、
集団にとっては危機的な状況に陥ってしまうわけだ。
だから集団内ではその役割分担を超えて、
何が言ったりやったりすることは、
秩序を乱す行為として厳しく戒められているのだろう。

それは今の日本の政治構造でも言えることかもしれず、
保守と革新あるいは右翼と左翼の役割分担を超えて、
何か好き勝手なことを主張することは、
役割分担を守っている人たちにとっては腹立たしいことであり、
彼らが守っているルールの中では、
やってはいけない行為なのかもしれない。
だが共産党や社民党などの左翼政党が、
いつまでも右翼による罵倒や嘲笑の対象であるのは、
客観的に言って不公平だと思われるのだが、
それらの左翼政党に決められた役割分担を壊すことが可能だろうか。
現実に社民党は消滅の一歩手前で、
残るは共産党ただ一つとなった場合、
左翼という概念がもはや対立軸となり得ない状況となり、
右翼やそれに肩入れするメディアの攻撃対象は
どこへ向かうのだろうか。
現状では民主党なのだろうが、
民主党は完全には左翼でないから、
民主党内の左翼的な派閥を攻撃し、
それを民主党全体に広げて拡大解釈すれば、
かろうじて罵倒や嘲笑の対象となりうるだろうか。
それを封じるためには
民主党は自民党と同じようなことを主張するしかないか。
実際にその路線が
民主党が再び政権政党となるためには必要だろうか。
実際に欧米の左派政党の多くはそのような路線転換によって、
政権を担う勢力を維持しているわけか。
民主党が数年前に一時的に政権を担った時も、
メディアなどによって
そのような役割が期待されていたのだろうが、
実際はどうだったのだろうか。
正直言って期待はずれだったのかもしれないが、
今後またそんな機会が訪れるのか。
あるいは今後世界的には
そのような見せかけだけの政党政治は衰退してしまうのだろうか。
そもそも政治家がやれることとはなんなのか。
右翼と左翼の役割分担とはなんなのだろうか。
どうもそのへんがよくわからない。
要するに議会という劇場での
論争相手や攻撃相手がほしいだけなのではないか。
それもフィクションの類いだろうか。
一応はフィクションではなく、
原発の再稼動や米軍の基地などの争点があるわけだから、
それについての賛成反対を選挙の争点とすればいいわけか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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