文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.4.5 「狂犬の破天荒な武勇伝」

2015/04/06

彼は狂犬のような人物だったのだろうか。
例えが古いのでそれではわかりにくいのではないか。
テレビで何を批判していたのだろうか。
元官僚でテレビのコメンテーターをやめてから
大阪府の特別顧問になったわけか。
何かきつい政府批判をして
テレビ局の上層部から圧力がかかってやめた、
とかいう経歴が物をいう世の中らしい。
成り行きが人を作る。
大したことはない成り行きでも
それなりに人を作り上げるのだろうか。
人などという存在は
フィクションの中にしか出現しないのではないか。
ではその存在はなんなのか。
紛れもなく人ではないのか。
そんな話の中に存在するだけなのだろう。
それは常に部分的なエピソードの寄せ集めでしかなく、
その人自身の完全な姿を体現したものではない。
話の内容自体も不正確で、
しばしば誇張され尾ひれがついていたりする。
武勇伝として半ば伝説と化していたりする場合もありそうだ。
ではそこから何がわかるのか。
人が興味を持つような内容となって語られているわけか。
興味を持てなければ、
わざわざ話として語られる必要もないのではないか。
ではその誇張された武勇伝の類を
真に受けないようにしなければならないのか。
語られる話を楽しみたければ信じてみるのも一興か。
でも誰が語っているわけではなく、
言葉として記されているだけではないのか。
それを読んで楽しみたいのではないか。
実際にその狂犬のような人物の破天荒な武勇伝を
冗談だとは思えないのだろう。
実際は何が武勇伝でも破天荒でも狂犬でもないのかもしれないが、
話を面白くするためには、
そんな言葉を使って誇張してみせるわけか。

誰がそんな話を仕組んでいるわけでもなく、
ただの偶然の巡り合わせでそうなってしまうのだろうか。
童話作家の宮沢賢治は、
早く死んだからそれほど目立たなかったようだが、
もっと長生きしていたらファシストになっていたと言われている。
国柱会という当時の日本の対外侵略政策を思想的に支えた
国粋主義的な宗教の熱心な信者だった。
もちろん当時はそれが多くの人たちに
肯定的に思われていたのだろうから、
同時代の人や宗教に対する評価ほど
当てにならないものはないと言えるだろうか。
今の時代は比較的平和な時代なのだろうから、
それほど偏った評価ではないと思うが、
まさか今日本の政権を担っている勢力が、
後の時代に肯定的に評価されることはないだろうか。
先ほどの狂犬のような人物なら、
あと数十年もすれば跡形もなく忘れ去られるだろう。
今日のような情報化社会では
その武勇伝の賞味期限も殊の外短いと言えるだろうか。
後の時代に何が残ろうと、
今の時代に生きている人たちには知ったことではないのかもしれず、
たとえその死後に肯定的な評価が定まろうと、
生前に何をやったかは変わらない。
フィクションによって脚色されたら変わるかもしれないが、
死んでしまった後では関係のないことか。
宮沢賢治の場合はもっと長生きして
ファシストとしての汚点を残していたら、
その作品の評価も今とは違ったものとなっていただろうか。
不幸で短命な生涯だったことが、
その作品を後の時代の肯定的な評価に結びつけたわけか。
それとも彼がファシストであったかなかったに関わらず、
今日の評価は変わらないだろうか。

とりあえずなんの作品も残せない無名の一般人は、
その死後はただ忘れ去られるだけで、
そんな自分の死後のことまで気にかけるのは、
よほどの自意識過剰と言えるだろうか。
しかし生きている間は何に気をかけるべきなのだろうか。
何を気にかけている余裕などなく、
ただやりたいことをやることだけの人生でいいのだろうか。
やりたいことがなければどうすればいいのだろう。
そうなってから考えればいいだけで、
たぶん暇つぶしにそんなことを考えながら
つまらない余生を送るのではないか。
やりたいことがあり、
それをやれるならやればよく、
やれなければやれないことを思い悩めばいいわけだ。
では今は思い悩んでいるわけか。
誰がそうなのか。
多くの人がやりたくないことをやらざるを得ない現状の中で、
思い悩んでいるのではないか。
しかもそれでかまわない世の中なのだから救いようがないか。
救いようがなくても生きている現状があり、
そんな現状を呪い、
呪うほどではない人たちは現状を楽観視しているのではないか。
個人の力ではどうすることもできないことがほとんどかもしれないが、
とりあえずそれでも生きているわけだ。
まだ死んでいないのだから生きていることは確かだ。
別に生きていることに価値があるとも思えないが、
生きている限りは何かをやろうとするだろうし、
実際に何かをやっている。
たぶんこれからも何かをやろうとするだろう。
そしてそのやった結果をどう評価する気にもなれないが、
何かしら結果が出るのだろうし、
その結果に一喜一憂するのかもしれない。
あるいは結果に至れずに中途半端なところで死んでしまうのだろうか。
たぶん宮沢賢治の場合は
何かの途中でやりかけのまま死んでしまった事例になるだろう。

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創刊日:2001-03-26  
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