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彼の声

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彼の声 2015.4.3 「富や名誉や栄光とは無縁の人生」

2015/04/04

予測がつかない結果がもたらされているわけではない。
自分が意識できない部分で何かを考えているのかもしれない。
では具体的に何を考えているのだろうか。
しばしばそれが意識して考えていることの上をいってしまう。
結果がそうだからそう思われるだけで、
本当のところはよくわからないようだが、
いくら考えても無意識にかなうわけがないのかもしれない。
どう考えてもわからないのなら、
無意識に委ねるべきなのだろうか。
実際に何を委ねているのだろうか。
そうではないのかもしれないが、
何かしら行動した後から、
考えて行動したわけではないことを思い知る。
時にはそれに驚くこともあり、
いくら意識して考えても思いつかず、
わからないことがあることは確かで、
何か予測のつかない偶然の巡り合わせで、
何かの拍子に思いつくことを期待するしかないのかもしれず、
意識から外れてその場の偶然に思考を委ねるしかないわけだ。
そうやって何を思いつこうとしているのか。
それは思いつくまではわからない。
思いつかない場合は、
わからずじまいとなりそうだが、
それでもかまわないだろうか。
まだ無駄に時間がありそうで、
その時間を利用して何かを考え、
思いつこうとしているのかもしれないが、
現状ではよくわからない。
何について考えたらいいのかわからないまま、
たぶん何かを語ろうとしている。
そしてその語ろうとしている内容が空疎なら、
何も語っていないと同じになるだろう。
それでも言葉が記されているわけだ。
それを無駄な悪あがきと思ってもかまわない。
意識はそれ以上を望んでいるのだろうが、
現実になんの内容ももたらせなければ仕方がない。

何に影響を受けているのかはわかっているのかもしれないが、
意識はひたすらそれを批判するための材料を探しているのだ。
批判が有効に機能しているとは言い難く、
そのほとんどが揚げ足取りに堕している感も拭えないが、
とりあえずそれでも批判しなければならないのだろう。
その批判のほとんどは全否定に近い。
すべてを否定しなければ気が済まないわけだ。
やっていることのすべてが間違っていることを証明して見せたい。
だから執拗に批判しているわけか。
だがいくら批判しても決して批判相手と対等な勢力とはなれず、
そして実際にも論争にも至らず、
その手前で無視されているだけなのかもしれないが、
そうであるからなおさら怒りは収まらず、
相手されない相手のやることなすことを全否定せざるを得ない。
そんな現状がどこにあるのだろうか。
今の政治情勢がそうだと言えるだろうか。
批判する側からすればそういうことになりそうだ。
ではそんな情勢から何が言えるだろうか。
安易なことを言うなら、
批判する側とされる側の両方が滅び去って欲しいと言えるだろうか。
すべてが無に帰すべきなのか。
無ではなく、
その成り行きが記憶されるべきなのか。
それ以前に道理が通って欲しいのかもしれない。
その場合の道理とはなんだろう。
選挙で議会の野党勢力が勝ち、
政権交代が起こって欲しいのではないか。
それを阻止するために政官財がタッグを組んで、
現状での自分たちの優位がゆるぎないように、
さらに自分たちのやり方を推し進めようとしているのではないか。
だがそんなありふれた情勢分析はフィクションでしかないだろう。
実態はそれとは違うと思いたいわけだ。
予定調和の対立の図式に逆らって、
何か奇妙で変わった見解を示したい。
それだけ現状が退屈でくだらなすぎるということだろうか。
要するにおもしろくないわけだ。

しかしおもしろくなくても何も起こらないだろう。
すべては期待外れに終わるのではないか。
退屈な現状が延々と続くのだ。
飽きるほど同じことの繰り返しとなりそうだ。
すでに飽きているのにそれを終わらせることはできず、
いい加減うんざりしているのに、
なおうんざりしたままとなり、
期待するような変化は一向に起こらず、
いつまでたっても政権交代など起こりようがなく、
批判している人たちの寿命が尽きるまでこの状態が続くとしたら、
それはそれで画期的なことだろうか。
数年で終わると思っていたことが、
数十年単位で続いたら、
それは驚くべき現象かもしれない。
もしかしたらそんな覚悟が必要な成り行きかもしれず、
現状はそれほどなんともないようでいて、
そのなんともないことが延々と継続するような
停滞状態なのかもしれない。
そのうちこのままでは戦争だなんだと
危機感を募らせていた人たちが音を上げるだろう。
いつまでたっても何も起こらないことに耐えきれずに、
強がりながらも変節していってしまうのではないか。
政治的な敗北者は芸術に走るのがわかりやすい変節かもしれないが、
もはや芸術などなんの価値もない時代においては、
彼らは何になれるのか。
結局は御用文化人や御用知識人や御用学者の仲間入りとなるわけか。
うまく立ち回れた人はその筋の権威となり、
死ぬ間際に文化勲章の類いをもらってご満悦となるだろうか。
批判者の成功への道はそれしかないわけか。
それ以外に何があるだろう。
そんなふうに成功できるのはほんの一握りであり、
大半は誰からも相手にされずに、
寂しい老後を送る羽目になりそうだ。
良心的な一般の人たちはほとんどがそうだろう。
そしてそんな富や名誉や栄光とは無縁の人生が一番マシなのではないか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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