文学

彼の声

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彼の声 2015.3.26 「賞賛と非難」

2015/03/26

そうではないと思いたいのだろうが、
現実の中に存在していることは確かだ。
何が存在しているのだろうか。
すべてが存在しているのではないか。
すべてとは何か。
たぶんそれがすべてなのだろう。
それは循環論的な逃げ口上だろうか。
語る対象をすべてからある特定の事象に絞り込まなければ、
何も語れないだろうか。
何かしら語れることは確かだろうが、
語る対象が定まらなければ内容が取り止めがない。
だから語る対象を定めるべく、
何がすべてなのかを明らかにしなければならない。
だがすべてとは何のすべてなのだろうか。
それが問題となっているのではないか。
すべてがなんなのかを知りたいわけで、
何のすべてなのかも知りたい。
要するに語る対象がすべてなのではないか。
この世のすべてが語る対象となっている。
語り得る限りそれらを語らなければならない。
人はすべてを語ろうとして果たせない。
語るのが無理なのにその無理についても語らなければならない。
そんなことがあり得るだろうか。
たぶんありえないと思ってしまうわけだ。
現状ではそう思うしかなく、
すべてを語り得るわけがない。

そしてたぶん語ることがすべてではない。
人の行為の一部が語ることであり、
他に様々な行為があり、
それらの行為のすべてを語ることはできない。
だが語れる限りは語ろうとするのであり、
人は絶えず人が行っていることについて語ろうとする。
語ることによって何かを他の人に伝えようとしているわけだ。
人の行っていることを伝えようとする。
それが素晴らしい行為なら賞賛し、
酷い行為なら非難するのだろうが、
それだけではなく、
やはりそれがすべてではないわけだ。
賞賛とか非難とかいうのとは違うことを
語ろうとしているのかもしれない。
そのどちらでもないことを伝えたいのであり、
語ることによって伝えようとしているのではないか。
人のその語っていることに耳を傾けなければならず、
文章から読み取らなければならないのだろうが、
現実にはなかなかそうはならず、
賞賛や非難に気を取られ、
物事を単純化して捉えようとしてしまう。
それ以外は聞く耳を持たないし、
読み取る能力もない。
現状がどうにもならない事態を招いているとすれば、
それは人のやっていることに対して多くの人たちが、
賞賛や非難の言葉しか持ち合わせていないことにあるのかもしれない。

それがすべてだと思うなら、
その通りの世界しか認識できないということだ。
ではそれ以外に何があるのだろうか。
人はなぜそうするのだろうか。
そうではなく、
人はどのようにしてそうするのだろうか。
いかにしてそう行動するのか。
どのようにそれらの行為を賞賛したり非難したりするのか。
それは語り得ることだろうか。
それを語ろうとしているのではないか。
それがすべてだとは思わないが、
語り得ることの一つとしてはそういうことなのではないか。
そこで拙速に良いか悪いかを判断するのではなく、
人がどのように行動し、
そこで何を語っているのかを伝えだけにとどめ、
ひたすらそのように伝えることだけに終始すればいいのだろうか。
たぶんそれがすべてではないのだろうが、
そこにとどまるのは容易ではないのかもしれず、
そういうことはほとんど語らず、
すぐに非難の言葉が先行しがちになり、
独善的に他人の行為を糾弾して、
聴衆や読者に同意を求めようとしてしまうわけか。
そうなってしまうと単なる扇動者と成り果て、
他人の行為を非難すること以外に、
語っている内容にさしたる意味はない。
もしかしたらそれこそが無意味な行為であり、
それではすべてどころか、
何も語っていないことになりかねないのではないか。

他人の行為に対する賞賛や非難はいらないのだろうか。
他人の行為を認めたいなら賞賛するだろうし、
認められなければ非難するだろう。
ただそういうことだ。
そしてそれがすべてではないということであり、
それ以前にそれ以外のことを
語らなければいけないのかもしれない。
語る必要があり、
語ることで知識や情報を他人に伝達できるわけだ。
賞賛や非難よりそちらの方が重要なのではないか。
人がどのような状況で何をやってきたかを伝える必要があり、
人はそのような知識や情報を受け取った上で、
今後何をやるべきか行動の指針となるわけだ。
では何かを伝える側に賞賛や非難はいらないということか。
そうではなく、
情報を受け取る側に、
それらとは違う何かを感じ取る必要があるということか。
伝えようとする側の賞賛や非難とは別の意図を
感じ取らなければならない。
そのような言葉を発する側は、
自分と同じ意見を受け手側も共有し、
共感し同意して欲しいわけで、
要するに自分と同じ価値判断を持って欲しいわけだ。
そう述べている時点で情報の受け手側の自由を奪いにきている。
同じ価値判断を強要するとまではいかないにしても、
言葉によって説得しようとしていることは間違いなく、
悪い言い方をするなら洗脳しにかかっている。
だから情報の受け手側は、
そこに賞賛や非難の言葉を見つけたら、
注意してかかる必要がある。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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