文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.3.17 「依存している何か」

2015/03/18

何かが微妙に違う。
単純明快に述べればいいのかもしれない。
そこに差異を感じられないのだから、
そう語るしかないのではないか。
フィクションの中では人間の力が不自然に肥大化している。
神も虚構であり、
人も虚構だ。
だから人も神も自然を支配できる。
作り話の中ではそういうことになるが、
現実の世界では事情が違っているわけだ。
神は人を支配できるが、
人も神や人を支配できる。
自然は中立なのだろうか。
人は自然の一部なのであり、
神は人が作り出すフィクションの一部だ。
実態としてはそうかもしれないが、
人が作り出すフィクションの中では、
神が人を含む自然の支配者という設定なのではないか。
それを神と名付けているのだから、
そういう言葉の連なりの上では
全知全能の神が全宇宙を支配していることになる。
そういう文章を人間が構成している。
それは文法的な規則がそうさせるのではないか。
文の主語の位置にくる概念として神が生み出されたのだろうか。
人々を支配する人物がいるとすれば、
その人物が人々の支配を正当化するためには、
王が国の支配者である構造を世界に当てはめると、
自然や世界や宇宙を支配する主体を想定しなければならず、
それが神ということになるわけか。
では現代においては
王の位置に当てはまる対象が希薄となっているから、
神の存在も希薄になっているのだろうか。
王とともに神も時代遅れの概念になりつつあるのではないか。
といってもまだ宗教は全盛で、
特にイスラム教徒は全面的に神の存在を信じているはずだが、
学問的なレベルでは
特に神という言葉を使わなくても自然や宇宙の現象を説明できる。
そういう意味で神や宗教は、
昔ほどには必要とされていないのかもしれない。
生活全般を宗教に支配されている人も、
それほど多くはないのではないか。
どういうレベルでとなると定かでないが、
はっきりと特定の宗教に頼るような生活を
送っているわけではないだろう。
たぶん人は宗教以上に経済に頼った生活を送っているはずだ。
要するに金を稼ごうとしているわけで、
中にはそれがすべての人もいるのではないか。
それ以外に何があるだろうか。
そう言われてみると、
全面的に仕事に従事し、
仕事を取り去ったら何も残らないだろうか。

取り去るわけにはいかないだろう。
仕事に従事している人は仕事を取り去れず、
宗教的な生活を送っている人は宗教を取り去れない。
そう都合良く依存しているものを取り去るわけにはいかず、
人は何かに依存していないと生きてはいけないのではないか。
何もやらないわけにはいかないのだろうか。
全面的に何かに依存しているとしたら、
その依存しているものこそが
生きる目的となっているのかもしれず、
それを取り去ってしまったら
生きている意味がなくなってしまう。
何かのために生きているとしたら、
その依存しているもののために生きているわけだ。
それがやるべきことだと思うなら、
やるべきことをやるために生きているのだろう。
ではそれを信じているのだろうか。
たとえ自分のやっていることに懐疑的であろうと、
やはり心のどこかでは信じているのではないか。
半信半疑でやっていることこそが信じていることの証しとなる。
疑いつつもやらざるを得ない状況に追い込まれ、
実際にそれをやっている。
そしてやりつつも、
果たしてこのままやり続けていいのかのかどうか、
疑念を抱きながらも、
現実にやっている事実を信じながら、
それをやり続けているわけだ。
もはやその時点で後戻りができない。
人はそうやって何かに依存しながら生きているのであり、
その依存している何かを信じないと生きられなくなるわけだ。
別に信じているそれが神であったり宗教であったりする必要はなく、
時にはそれが音楽であったりスポーツであったり
ビデオゲームであったりするのかもしれないが、
特に一つの物事である必要さえなく、
多種多様な物事を同時に信じていても構わないわけで、
信じているそれらに優先順位をつけなくても構わず、
そうなってくるとその中の特定の物事に依存する割合も減ってきて、
信じる対象がそれだけ希薄に感じられるようになるのではないか。
現代人は日頃から多種多様な物事に接することで、
信じる対象も多岐にわたり、
その一つ一つの対象との結びつきもそれだけ弱くなっていて、
一つのことに集中して何かをやる機会を失っているのかもしれず、
だからこそ相対的に
あらゆる事象に無関心になりつつあるのかもしれない。
仮に信じている対象がおかしくなっても、
それほど深刻には考えていないわけだ。
要はバランスの問題でしかなく、
こちらがだめになってもあちらがあり、
あちらがだめになっても
さらに違う何かがあるさとたかをくくっていられるのだろうか。
たかをくくっていられなくなったらどうするのか。
実際に依存しているすべてがだめになるときがくるだろうか。
それはそうなってみないとわからないことか。

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創刊日:2001-03-26  
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