文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.3.9 「運命に逆らう」

2015/03/10

別に機会が訪れたわけではない。
探りを入れているのだろうか。
あるいは無内容でも構わないということか。
気が滅入ってしまったわけでもないようだ。
ではなんなのだろうか。
なんでもないと言えば嘘になりそうだ。
何もいう気にならないというのが率直な感想か。
気晴らしではないらしい。
ではなんなのか。
無駄に言葉が記される。
そんな予感がしていることは確からしい。
もう逆らうのはやめにしたいのか。
これまで何に逆らってきたのか。
何かではない。
それは周りの空気だろうか。
そういうわけでもない。
晴れた空に向かって何か叫んでいるわけではない。
何かではなく、
それはなんらかの言葉になるだろう。
だがその言葉の連なりが何を意味するとも思えず、
どんなあてがあるわけでもないだろう。
ただそこから声が聞こえてくる。
わけのわからない動作かもしれない。
相変わらず人がうごめいているように感じるのは
気のせいだろうか。
いつでもそうだ。
何がそうなっているわけでもないのに、
何かが絶えず仕組まれ、
その仕組みを解明しようとしているのだろうか。
誰のためにやっているわけでもない。
なんのためでもなく、
そこから何が導かれるとも思えないが、
答えを導き出そうとしているわけだ。
それが答えになるかどうかはわからないが、
とりあえず言葉の連なりを記さなければならない。
誰に言い聞かせているわけでもないのに、
そう思われてしまうわけだ。
だが軽はずみに答えるようなことでもないのだろう。
まだそこまで至っていない。
それは未だ答えにならない返答に過ぎず、
いつまでたってもそうかもしれない。
返答次第で何が動き出すとも思えない。
何も動かないだろう。
動いたら負けなのか。
そうは思わないが、
まだ動く時期ではないような気がするわけだ。

答えに窮している。
答えなどありはしないのだろう。
元からそうだ。
答えられないから言葉を記しているのではないか。
そしてその記された言葉が答えにはならないのだろう。
何に対して記しているのでもなく、
記している対象が定まっているわけでもなさそうだ。
意識がそこで途切れている。
そして朝がきて、
空が晴れていることに気づき、
そこから一日が始まってしまうわけだ。
まだ途方に暮れているのだろうか。
まだその時ではないのだろう。
何をやるときだとも思えない。
時がだいぶたってしまったようだ。
そしてそれが誰の感慨だとも思えない。
誰がそう思っているわけではなく、
ただそう記しているわけだ。
急いでそれを終わらせなければならないのではないか。
その記述を終えて何をやろうとしているのか。
何もやらずに眠ってしまうのだろうか。
そこから遠ざかるにはそうしなければならないのだろうか。
そんな気がしないではないが、
遠ざかろうとしたいのではなく、
その時間の中にとどまっていたいのではないか。
まだそれ以上の何かが見出されていないようだ。
何を見出そうとしているのでもないだろうが、
やはりそんな時を利用して何かを見出したい。
そう思っているらしいが、
それは嘘だろうか。
たぶん何が嘘でも構わないのだろう。
何を問いたいのでもなく、
何が問われているのでもなく、
答えを出したいのでもないらしい。
何と戯れているわけでもない。
誰がそこにいるわけでもない。
無駄に言葉を記している。
無駄であることが肝心なのだろうか。
有用なことを記そうとすると途端に行き詰ってしまうらしいが、
何が有用であるかもわからないのだから、
行き詰って当然だろうか。
要するにそれ以上の何かを求めていて、
今まで以上の内容を求めているのに、
今まで記してきた内容を思い出せない。

いい加減に記せば雑な内容になり、
それでかまわないとは思えないから悩んでしまうのではないか。
どうやってもそんな内容になるしかないと思えば
あきらめもつくだろうか。
それでもどうにかしたいわけで、
どうにかしようと思っているのだから始末に負えない。
どうにもならない事態をどうにかしたいわけで、
どうにもならないからそうなっているわけなのに、
それをどうにかしようとしているのだからうまくいくわけがない。
うまくいくとは思えないのにそれをどうにかしたいわけだ。
なんとかできると思っている。
できるできないとは違う次元の話なのかもしれないが、
ともかくやるしかなさそうだ。
何をやるかはサイの目次第というわけではなく、
サイコロがここにはない。
何かをやるための道具がないわけだ。
だから何もできない人たちは批判するしかない。
道具を用いて何かをやっている人たちを批判しているわけだ。
そういう話でかまわないのだろうか。
たぶんそれとは別のことが起こっているのだろう。
誰も気づかない出来事がそこで起こっている。
そしてその出来事に操られて人々が動いているわけだ。
別にその出来事によって利益がもたらされているわけではない。
利益は道具を使いこなした者たちにもたらされる。
では出来事からは何がもたらされるのだろう。
それはその場に居合わせた者たちの運命だ。
出来事は人の運命をつかさどる。
そこで操られているのは人の行動であり、
言動に他ならず、
その思考であり感情であったりもする。
人は出来事と共に生きている。
出来事に操られながらもそれに気づかずに、
出来事からもたらされる使命に従いながら生きているわけだ。
それは使命であり運命なのだが、
それを逃れることはできないのだろうか。
逃れられず逆らえないから運命であり使命であるのではないのか。
それを運命とか使命と呼べばそういうことになる。
ならば別の呼び方にすれば逆らえるのだろうか。
それはきっと気のせいだろう。
勘違いともいえるのではないか。
だが人はそれを求めているのではないか。
人は絶えずそこから逃れる方法を模索しているわけだ。
それが勘違いであってもかまわない。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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