文学

彼の声

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彼の声 2015.3.7 「問題が何もないことの意味」

2015/03/08

たぶん個人の力で軍隊に勝てるわけがない。
別に武装しているわけでもなく、
暴力を用いて勝とうとしているわけでもない。
だから勝てるわけがないのだろうか。
そうではなく勝とうとしていないだけなのではないか。
勝てるわけがないのに勝とうとするわけにはいかないだろう。
では何をどうしようというのか。
勝たなくてもいいし、
勝てなくてもいいわけだ。
ただ暴力を用いなければいいわけだ。
国家に戦いを挑んでいるわけでもない。
そうではなく何かを語ろうとしているのだろう。
その何かがなんでもなければ、
別にどうということはないだろう。
そこが問題なのだろうか。
集団的な力の行使に対抗せず、
その代わりに何ができるだろうか。
たぶん何かを語ることができるわけだ。
その語っている内容が問題なのだろう。
そして問題は何もなく、
このままでは何が危ないわけでもない。
このままでもかまわないわけで、
なんの問題もなく事態は滞りなく進むわけだ。
何が間違っているわけでもなく、
何が正しいわけでもないのに、
そこで何かを主張しているのかもしれず、
またその主張している内容が問題なのだろう。
なんの問題もないのに何が問題なのか。
問題とはなんだろうか。
たぶん問題が何もないように見せかけなければならないのだ。
特定の事柄について賛成したり反対したりしているわけではなく、
それを問題にしていないということだ。
事柄ではなく言葉の連なりでしかないわけだ。
そしてその中で何かを語っている。
語りながらも疑っているのかもしれない。
本当は何もないのではないか。

それは事実だろう。
語る以外には何もありはしない。
語ることなど何もないのに語っているわけだ。
語ることでどこへ力を行使しようとしているわけでもない。
語っている自らに何も禁じなければ、
無内容ですら語る題材となり、
空疎なことを延々と語れるだろうか。
それは語ってみなければわからない。
ことさらに空疎を求めているわけでもなく、
虚無に依存しながら語っているわけでもない。
ただ考えている。
何を語れるというのか。
そんな問いを求めているわけでもないが、
問うてみたところで何を語れるというのか。
たぶん語るとはそういうことだ。
勝手にそう思い込んでいるわけではなく、
自然とそうなってしまうのではないか。
だからといって語る以外には何もできないわけではなく、
ただそう語っているに過ぎない。
そう語りながらも言葉の並びを模索しているのだろうか。
言葉と言葉を組み合わせて一列に並べると、
何やら意味のありそうな文章が出来上がるわけだが、
それがどう読まれようと、
何を語ろうとしているわけでもないらしく、
ただそのような言葉の並びが記されているだけのようだ。
それが何を示すというのか。
たぶんなんらかの意味の連なりを示しているのではないか。
読めばそれがわかるはずだが、
記された後からそれを読み返す気になれるだろうか。
読み返すまでもなく、
たぶん意味は意味としてあるが、
それらは興味を引かないような
意味の連なりとなっているのではないか。
わざと意図してそうしているわけではなく、
自然とそうなってしまうわけだ。

自由に語るとはそういうことではないのか。
特定の政治的なイデオロギーに頼らなくても、
とりあえず語ることはできそうだ。
さして興味を引かないが、
ただなんとなく語っているような雰囲気を醸し出すことはできそうだ。
それでかまわないのだろうか。
要するに問題がないとはそういうことなのではないか。
語るに関して問題を感じないならば、
それでかまわないことになってしまいそうだが、
果たして本当にかまわないのだろうか。
暴力装置としての軍隊とはなんの関係もないことを語るとしたら、
それでかまわないのではないか。
暴力という権力の問題を素通りして、
自由に語るとしたら、
それらとは無関係に語るしかないだろう。
しかしそれでは問題に関して語っていることにはならない。
では逃げずにそれらに関して真正面から語るとすれば、
そこにどのような問題があるというのか。
特に何が生じているわけでもなく、
取り立てて何を生じさせようとしているのでもなく、
たぶん語り得ないことについて
語ろうとしているわけでもないのだろう。
現実にどのような危機が差し迫っているわけでもなく、
ただの場所取り争いの陣地取り合戦の類なのではないか。
目下のところやっているのはそういうことに過ぎず、
なんら目新しいことでもなく、
押さえ込んでも漏れ出てくる情報によって、
それに気づかない人々の意識を刺激しようとしているわけだ。
結局暴力に対抗するのではなく、
それを知ることに意義があるのであり、
実際にどこでどのような暴力が行使されているかを、
人々に知らせることに意義を見出しているのではないか。
それがメディアとしての戦略であり、
ネットに繋がっている個々人に課せられた使命なのかもしれない。
従来からあるマスメディアに代わって、
個人がネット上でメディアの役割を担っているわけだ。
そしてそうすることに、
今のところなんの問題も起きていないわけだ。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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