文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

全て表示する >

彼の声 2015.3.1 「社会の外部」

2015/03/03

どうも何かが違っているようだ。
何に関して考えるにしても、
その考えていることが、
何を認識するために考えているのか、
それを知らなければならないだろうか。
しかし何のために何を認識したいのか。
そういうところでつまずいていては、
そこから話を進められなくなってしまう。
例えばそこで何か論争が起こっていたり、
その論争に加わって、
片方の側に立って、
一方の意見に賛成したり反対したり、
そうやってなんとか単純な価値判断で済ませたいのだろうか。
誰がそうしたいのだろう。
まだ具体的には何も語っていない。
その程度で何か考えているように思いたいわけか。
誰が何を思いたいのでもない。
その時点で何を語ろうとしているのかわからなくなっているようだ。
そしてその件についてはなんとも思いたくないのかもしれず、
その件がどの件でもないうちに、
ともかくなんらかの結論を出す手段として、
多くの人々を巻き込んで論争が行われているのではないか。
またそれも嘘だろうか。
たぶん何を考えていることにもならない。
そこで架空の論争をしている人たちなどいはしないし、
誰が作り話の中で何を語っているのでもないし、
それ以外にも日頃から何を考えているわけでもないのだろうが、
とにかく何か考えようとしていることは確からしい。
だが考えているだけでは、
それが何に結びつくのかわからないままだ。
思考が気づかないところで、
意識が行動や言動に結びついているはずだが、
それが実際に何をもたらしているというのか。
だからもたらしているのは、
日頃の行動や言動なのではないか。
他に何ももたらしていないとしたら、
今さら何を考えても無駄なのではないか。
そこで考えていることが日頃の行動や言動をもたらし、
そして今言葉を記していることにも結びつき、
そうした記述ももたらしているはずだ。
たぶんそこでも無駄なことを考えているわけだ。
そして考えるだけではなく、
行動しなければならないと思っているわけか。
だが行動とはなんだろう。
こうして言葉を循環させているだけでは、
行動のうちに入らないだろうか。
たぶんこれも逡巡の類いであり、
過ちのうちに入るような言葉の連なりに違いない。
無為に迷っているだけで、
具体的に何を語っているのでもないらしい。

イエスの行動は何をもたらしたのだろうか。
自らの死をもたらし、
十字架に磔になった死体を偶像崇拝する宗教を生み出した。
ローマ帝国を滅亡に追い込んだ原因を作り出したのも
その宗教だったのだろうか。
そうではなくその後のヨーロッパの繁栄をもたらしたのか。
後からならなんとでも言えるだろう。
それについて何かを語ろうとすると、
粗雑な内容になってしまうらしい。
では彼の先駆となった洗礼者ヨハネは何をもたらしたのか。
彼の後継者として預言者イエスをもたらしたのか。
社会や宗教の教義や戒律にとらわれた生活を捨て、
荒野にいでよと言ったのだろう。
それ以上の詳しいことは知らないが、
安易に社会や宗教を捨てることはできない。
人は他の人たちともに社会の中で生き、
それに依存していてそれなしでは生きて行けない。
人と人との絆を捨てて荒野で生きよとはどういうことなのか。
人が集団で作り出す迷信を信じるなということだろうか。
しかしその後キリスト教は
社会の中に浸透して新たな迷信を作り出した。
宗教の迷信とはなんだろう。
いろいろあるだろうが、
簡単に言えば、
神を信じれば救われるということか。
それだけなら人畜無害だろうか。
他に様々な戒律や教義を作り、
人を社会の中に縛りつけようとするから有害なのか。
だが人はそれを有害だとは思わず、
むしろ有益だと思うだろう。
社会があるからその中で安心して生活できる。
仕事があり家族を持ち食っていければ十分であり、
たぶんそういうレベルでの安心や安全を確保するのが
国家だと思いたいのだ。
そしてその中で暮らす多くの人たちが
安心や安全に関して満足していれば、
その国家が栄えている証拠だろう。
そういう価値観で語るならそういうことだと言える。
それとは別の価値観などがあるとは思えない。
それ以外の何が考えられるだろうか。
ただ漠然とその程度のことだと信じていれば、
それで間に合ってしまうようなことであり、
それで済んでしまうから、
それ以上は考えようとしないわけだ。
実際に何もない荒野では誰も生きて行けないだろうし、
荒野とは比喩的なたとえであり、
戒律や教義に縛られた社会の外部が荒野なのだが、
そこに何があるわけでもない。
ただ外部的な視点を持たなければ、
社会の戒律や教義の問題点が見えてこないということだ。
それらの何が問題なのかといえば、
そういう社会的な縛りが
人の自由を奪っているということだろうか。
だが自由とはなんだろう。
それがわからないから、
人は自由について考えているのだろうか。

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。