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彼の声

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彼の声 2015.2.28 「言葉としての疑似体験」

2015/03/02

今のところは何を深刻に考えることもないだろうが、
気がつかないうちに深刻な状況になっているのかもしれない。
すでに今がそうだと断定したところで、
実感が湧いてくるわけもないのだろうが、
今さら何がどうなるわけでもなく、
ため息をつきながらも、
それらの実感を言葉にすると、
なぜかほとんど戯れ言の類いになってしまい、
どうしても真に受けることもできず、
すぐにそんな状況から目を背け、
その代わりにまったく関係のないことを
述べてしまいがちになってしまうのだが、
なぜそうなってしまうのだろうか。
自分では理由がわかっているのだろうが、
そう述べてしまう時点で、
事の深刻さから、
それについて語ろうとする行為が外れてしまう。
どうも述べるべきはそんなことではないらしい。
では代わりに何をべてしまうかというと、
例えばそれはメディア上で語られるような
世の中の状況についてなのだろうか。
時にはそういう逃げ方もあるらしい。
それをいつでも語れるわけでもないが、
時に語りながらも、
意識はそこから外れようとしているわけで、
そう述べて事の経緯をうやむやにしながらも、
一方で語ろうとする状況に戯れ言をかぶせ、
自分が体験しつつある現実をごまかそうとしているわけだ。
日々それを真に受けながら生きているつもりなのだが、
そしてそれがどうしたわけでもないと思いたいのだが、
そこでやっていることも戯れ事の類いだと悟ってしまうと、
それを語れない理由とは無関係に、
それらの何も深刻に受け止める気になれなくなってしまい、
たとえそれが中身のない空疎なことであろうと、
それをやっている現状に
心が押しつぶされそうになってしまうだろうか。
しかしそれ以外に何があるというのか。
他にいったい何を深刻に受け止めたらいいのか。
それは自らの利害に関することだろうか。
それだけではない。
いつもそれだけではないと思ってしまうわけだが、
そう思いたいだけなのかもしれず、
自らが否定しがたい事実を、
自らが語ろうとする言葉では否定できてしまう。
やっているそれらがどんなに深刻な事態を招いているとしても、
それを言葉で語れば軽薄に語れてしまうのであり、
現実が言葉で語れる範囲内の事態に収まってしまうわけで、
それが事実とは異なるフィクションとなるわけだ。
そして言葉で語れる限りの戯れ言にもなるわけで、
そうやってなんとか深刻な事態をフィクションとして語ることで、
やり過ごそうとしてしまう。
それで済まそうとしてしまうわけだ。
しかし本当にそれで済んでしまうとしたら、
深刻な事態とはなんなのだろうか。
別に何が深刻というわけでもなく、
真に受けるようなことでもないということか。
そう思うならそれで済ませられるのであり、
もうすでにそこから意識が遠ざかっているのではないか。
すでに意識は過ぎ去った事態を忘れようとしているのかもしれず、
そこで精神的に窮地に陥っていたなんて、
時が経てば覚えてもいないのかもしれない。

そして忘れたついでに、
それ以外に信じられるものがあれば、
代わりにそれを信じていればいいのかもしれない。
生きている限りは意識するにしろしないにしろ、
たぶん何かを信じている。
現状に絶望していようと、
語る言葉ではそうなのであって、
結局そこに記される言葉としての絶望と、
実際の絶望との間に差異が生じ、
その差異を通じて、
それを言葉に記すことでやり過ごしてしまえるのであり、
ただ言葉で絶望と記してそれで済ませてしまえるわけだ。
そうすれば本気でそう思っていたことが
馬鹿らしく感じられてしまうのだろうか。
たぶんそれは間違っているのだろう。
そうやって真の何かを体験することを回避しているわけだ。
今それを体験してしまえば、
そこで終わりだと思っているのかもしれない。
だから空想から生じたフィクションに依存して、
別の何かを疑似体験したつもりになって、
それで済ませてその先へと意識を進めようとする。
それがごまかしなのだろうか。
たぶんそんなごまかしも方便で、
それこそが言葉特有の力なのだろう。
中には言葉までに至らずに、
真の絶望に陥って、
そこで終わりとなってしまう場合もあるのかもしれないが、
例えば真の絶望に陥り、
そこから自力で抜け出られたりするだろうか。
たぶんドラマとかフィクションの中では、
そういう話の成り行きもあるのだろうが、
そんな危機を切り抜けられたら、
それはそれで貴重な体験となり、
それ以降の人生において何かの足しになるかもしれないが、
だからといっていつでもそんな体験ができるとは限らないだろうし、
たぶんそこで何かの偶然が作用しないと、
そういう成り行きには至らないのではないか。
そしてどうすればそんな体験ができるかなんてわかるわけもなく、
それができたとしても、
それと気づかないうちに
深刻な危機を切り抜けていたりするのかもしれない。
だから今ここでそれを切り抜けたと意識できたとしても、
それはただのフィクションかもしれず、
そんなことを述べていること自体が、
そう記述したことから生じる疑似体験であり、
現実には何を体験しているわけでもなく、
ただの想像でそんなことを語っているだけでしかないのではないか。
しかし今現実にここで何を述べているのだろうか。
これもただの虚構であり、
できの悪いフィクションでしかないのではないか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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