文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.2.25 「問うことの理由と限界」

2015/02/26

何かを問うているうちに、
いつしか問うことばかりにかまけてしまって、
肝心の問う理由がないがしろになっているのではないか。
どうもその辺で語ることの行き詰まりが尋常でないらしく、
しばらく考えていることから離れて、
でたらめに言葉を記してみようとするが、
そういうごまかしにはもはや精神が耐えられないようだ。
ごまかさずに内容のあることを語ろうとするのだが、
頭の中で考えがまとまらない。
どうやら想像力は無限ではないらしい。
だが今さらなぜそんなことを語るのか。
何も語りようがない現状に嫌気が差してしまったのだろうか。
どう考えても語る理由など見つからず、
それを探し出そうとする意志が、
理由など求めていないような気がして、
何が理由なのかわからないまま、
ひたすら問いかける気でいるみたいだが、
何に対して何を問いかけようとしているのかもわからない。
問うことに関して思い当たる節は何もないだろう。
わからないのにそれがなんだか思い当てられるわけもないか。
そんなわけでもう語ること自体が終わりなのではないか。
今ここでそんなことはわかりようがないが、
何が終わっているとしても、
終わってしまった理由を知りたいわけでもないらしい。
では何を知りたいのか。
少なくともすでに語ってしまっている内容を
理解したいのかもしれないが、
後追い的にそれを読み返す気力も減退していて、
すでにどうでもよくなってしまった感もある。

しかしなぜそんなことを語るのか。
導き出そうとするその理由が、
それを語る理由になっていないのかもしれない。
それは文章的なデタラメだと思うが、
デタラメ以外には逃げ道が見当たらず、
逃げようとしているわけでもないのに、
それと気づかずに
結果的には逃げていることになってしまっているのかもしれず、
そうやって逃げながらも体勢を立て直して、
意識を覆う虚無の弱まる隙をついて、
そのタイミングを見計らって、
不意にこの世界に対する
問いを発しようとしているのかもしれないが、
それはどこまでも問う対象のない問いでしかなく、
問いが問いを発する理由を求めているわけではないらしく、
問いはひたすら問うことを求めているだけで、
それに対する理由などいらず、
ただ純粋に問うことだけを求めているように思われてしまう。
なぜそう思われてしまうのだろうか。
その理由がないからそう思われてしまうのであり、
何もないから理由などありはせず、
そう思うことなどあり得ないと思いたいのだ。
問われてないことの理由を問うのは、
あまりにも馬鹿げているだろうか。
もうその時点で日本語として意味が通っていないような気がして、
たぶん日本語でなくても意味などありはしないだろう。
これは日本語とは関係のない次元で問うていることであり、
また日本語で語っている現状から、
何を導き出そうとしているわけでもなく、
そこに言い訳じみた限界を答えとして示したいわけでもない。
かといって答えがない状態を保ちたいわけでもなく、
絶えず答えを求めていて、
それを探っている状態を保ちたいのではないか。
それも答えの出ない状態を肯定する
言い訳のような気もしないではないが、
とりあえずそうやって問いを発していることは確からしい。

確かに問うことが何になるわけでもない。
ただ問いたいだけなのかもしれず、
無性に問わずにはいられないのだろうが、
理由がわからないまま問い続けることが、
何を問うているとも思えない気分を保ち続けることが、
何を意味するとも思えないのだが、
少なくともこの世界に対する疑念の表れなのかもしれず、
常になんだかおかしいと感じているのかもしれない。
だからどうしてそう思うのかと問うてしまうわけで、
それが問う理由とするなら、
自然に湧いてくる疑念に対する答えを求めているのだろうか。
要するに問う理由がないわけではないということか。
しかしそれでは理由もなく問う行為を裏切っているのではないか。
それ自体が嘘だったのだろうか。
なんだかわからないが、
当初は理由もなく問うていたのが、
この世界に対する疑念という答えを持ち出すと、
すっかり理由の不在がなりを潜めてしまうのはどうしてなのか。
本当にそれが理由だろうか。
別にそれを裏切る必要も感じない。
無理に裏切らなくてもかまわないように思えてきて、
そんな理由でもとりあえずの答えとしては妥当に思えてきて、
それ以上の問いは不要に感じられてしまうが、
本当にそれでいいのだろうか。
しかしこの世界に対する疑念とはなんなのか。
具体的にこの世界の何を疑っているのだろうか。
この世界の存在そのものを疑っているわけではない。
要するに対象としては規模がでかすぎて、
とりとめがなくなってしまい、
疑念の中身を思いつけなくなってしまう。
疑念が疑念として成り立たなくなって、
疑念ではなくなってしまうのかもしれず、
この世界に対して疑念を感じていることが確からしいが、
この世界の何に疑念を感じているのかと問われると、
たちまちそれがなんだかわからなくなってしまうわけで、
結局なんでもなくなってしまうのではないか。
それは疑念ではない。
疑念ではなく、
やはりそれも問いなのではないか。
なぜこの世界に対して疑念を感じるのかという問いであり、
疑念を感じていること自体はどうでもいいことなのかもしれず、
ただそこで問いを発し続けていることが、
唯一確かなことなのかもしれない。
問いの中身がなんでも構わないわけではないのだろうが、
やはりそこに問いを発する対象があるらしい。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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