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彼の声

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彼の声 2015.2.9 「労働をしない世界」

2015/02/09

人はなぜ働くのか。
それは愚問だろうか。
では働かない裕福な不労生活者が非難されるのはなぜなのか。
人の大半が働かなくても生活できるようになれば、
不労生活者も非難の対象とはならなくなるのではないか。
ならばみんなムーミン谷で暮らす妖精たちのように
なればいいということか。
現時点でそれはあり得ないことだろう。
ならばいつかそうなる可能性があるということか。
現時点ではわからない。
少なくとも現状での労働にとらわれた人々の暮らしが
未来永劫続く保証はない。
だが金銭を介した物や情報の交換が主流である限り、
人は金銭を得るために働かなければならないだろうか。
現状で大量の金銭を所有している人や、
年金などにより定期的に一定量の金銭が供給されている人は、
不労生活者として暮らしていける。
たぶんそれだけの条件では、
実際に苦労しながら働いている人には
納得のいかないところだろう。
特にやりたくもない仕事を、
生活していくためにやらざるを得ない人にとっては、
腹立たしいことであり、
理不尽に思われるのではないか。
自分がやりたくもない低賃金労働を強いられているのに、
なぜ彼らは悠々自適に楽しく暮らしていられるのか、
そう見えるだけで実態は違うのだろうか。
そこに不平等や不公平があることは確からしいが、
それぞれの人にそれぞれの事情があるわけで、
そこには様々な事情が様々に入り組んでいる。
結果からだけではわからず、
結果だけを見れば不平等や不公平に思われることも、
そこに至る過程で偶然の巡り合わせが作用していて、
ある人は裕福で悠々自適の日々を送っている一方で、
ある人は低賃金のつまらない労働を強いられ、
日々の生活費にも事欠く毎日を送っているわけだ。
そんな人にとっては
先祖代々の莫大な遺産を相続するような人は、
生まれながらに働かずに生涯を送れる可能性もあるわけだから、
羨ましい限りかもしれないが、
他人のことはともかく、
政府が福祉関連の予算を削って、
防衛予算を増額するなどして、
低所得者や生活困窮者を見捨てるような
政策をとっていることについては、
特に腹がたつだろう。

人間社会が人間の労働によって成り立っていることは確かだ。
現時点で不労生活を送っている人であっても、
過去の一時期においては
過酷な労働を強いられていたかもしれず、
一生不労生活を享受している人でも、
その何世代か前の人は
大変な苦労を強いられていた可能性もあり、
またそういう人たちの子や孫の世代においては、
没落して労働者の身分に落ちている可能性もある。
そんな風にして様々な一族の栄枯盛衰が
歴史の中で繰り返されてきたから、
それらをトータルで見れば、
富の不均衡もあらゆる世代においては、
平等に分かち合われているのかもしれない。
もちろん富の蓄積が労働だけから得られるわけではなく、
個人や集団の戦略や戦術にもよるのだろうし、
そういうマネーゲーム的な配慮も
頭脳労働の類いだとすれば、
広い意味での労働によって
人間社会が成り立っていることになるのかもしれない。
人間の活動のどこからどこまでが労働なのかについては、
人によって見解の分かれるところかもしれないが、
人間は自然環境から何かを作り出すか収奪して、
それを糧として生きてゆくしかないのだから、
その過程で生じていることが
労働だと見なせばいいのだろうか。
そしてその奪ったり作り出したりした物や情報を、
他の人間や団体が奪ったり作り出したりした物や情報と、
金銭を介して交換しながら、
生きて行くのに必要な物や情報を手に入れているわけだ。
自分が生きて行くのに必要な物や情報が
すべてただで手に入るなら、
働いて金銭を稼ぐ必要はなく、
資本主義からもおさらばできるが、
金銭を介した交換が世界中に広まっている現状で、
どうやればそれ以外の交換を広めることができるだろうか。
それとも交換しなくても生き行ける方法を
発明すればいいのだろうか。
例えば人の細胞内に葉緑素でも取り込んで、
水と空気と光だけで生きて行けるような
植物人間でも開発すればいいのだろうか。
冗談はさておき、
今も都市文明から離れた辺境地域では、
細々とではあるが資本主義とは無縁の、
狩猟採集や農業を中心とした生活が
成り立っているのではないか。
そこから資本主義を打倒するような生活習慣が、
世界中に広まるとは思えないが、
たぶん少人数なら、
日本でもそういう生活を
人工的に作り出すことは可能なのではないか。
閉ざされた宗教教団のようにならない程度で、
生活困窮者などを対象として、
民間の慈善団体のようなものを作って、
どこかの山村でそういうやり方を
実験してみればいいのだろうか。
無論そこでの狩猟採集も農業も労働には違いなく、
人々が労働から解放されることはないのだが、
少なくともそういう環境でなら、
過剰生産・過剰消費という
資本主義的な弊害はなくすことができる。

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創刊日:2001-03-26  
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