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彼の声

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彼の声 2015.2.3 「集団行動と単独行動」

2015/02/03

たぶんお互いの共通の利益のために徒党を組むのは、
そうするのが当たり前のわかりきった行為なのだろうが、
その一方で徒党を組むのを嫌い、
一匹狼で単独行動を好むのもよくある行動パターンなのだろう。
その集団で徒党を組んだり一匹狼で単独で行動したり、
そのこと自体がどうだというのではなく、
何を意味するわけでもない。
誰もがバラバラに行動して好き勝手なことをやっていれば、
何も生まれないかもしれないし、
人と人とが連携して共同作業をやる中から、
文明とか文化とかいう概念や価値観が生まれてきたわけだ。
単独行動を好む人たちも、
そのような文明や文化からの恩恵を受けながら行動しているわけで、
集団での共同作業がなければ、
社会も文化的な生活も成り立たず、
その中で他人を利用して利益を得なければ生きては行けず、
それをやった上で他人をどう扱うかが問われているのではないか。
他人から利益を奪われて、
あるいは奪われていると感じて、
そのことに腹を立てたり、
利益を奪っていると思われる人たちや集団に、
攻撃を加える必要があるだろうか。
我々はユダヤ金融資本から利益を奪われている、
ということをナチスは訴えていたはずだ。
それの劣化版だと、
我々は反日朝鮮人たちから利益を奪われている、
となるわけだが、
その一方でまともで良心的だと思われる人々も、
我々は一握りの富裕層から利益を奪われている、
という今日的な主張に心酔していて、
実際に経済統計的にそれを裏付けるデータも確認されている、
ということになるわけだが、
それらの主張のどれとどれの間に境界線を引いて、
一方に主張は否定し、
もう一方の主張は肯定しなければならない理由があるだろうか。
直接の暴力や差別的な言動を駆使して
攻撃してはならないということであり、
民主的な方法で、
利益が公平に分配される仕組みを
作らなければならないということだろうか。
穏便で無難な言い方をするならそういうことになりそうだ。
だが実際に民主的な方法でそれを実践するとなると、
そのような方法を担う制度自体が、
利益を得ている側が有利になるような制度になっているとすれば、
たぶんうまくいかないだろう。
ではどうすればいいのだろうか。
まだ状況がどうすればいいかと問う段階にまで
達していないのではないか。
そしてそれ以前の段階において、
人が制度や仕組みに依存しなければ何もできないようでは、
それだけ人の行動の可能性が
汲み尽くされていないということになるのではないか。
人は人が集団で作り上げた制度や仕組みに逆らってでも、
何かをやらなければならない衝動に絶えず駆られている。
人は時として集団に逆らわなければならないのであり、
集団からもたらされる利益などを無視して行動しなければならない。
たぶんそれは単独で行動する一匹狼が陥りがちな衝動なのだろうが、
そこに何か世の中の制度や仕組みとは異なる可能性があるだろうか。

それは可能性ではなく、
実際に日々の行動に結びつき、
善悪の判断から外れて試されていることではないか。
社会の制度や仕組みの存在を前提としながらも、
その制度や仕組みを変えるには、
そこに暮らし生きている人々による、
制度や仕組みに逆らい、
それを無視するような日々の行動や実践が
必要不可欠なのかもしれず、
例えば国政選挙があり、
投票率が下がると
組織票を持っている政党や候補者に有利に働くと言われても、
あえて投票に行かない人たちの行為も、
そのような制度や仕組みに逆らっていることの表れかもしれず、
それが結果的に体制側を利することになろうとも、
たぶんそれによって体制側が得られる
短期的かつ一時的な利益とは異なる部分で、
なんだかわからない未知の可能性を予感させるわけだ。
しかもそれがほとんど勘違いだとしても、
制度の形骸化を招いているのは、
常にそれを利用して利益を得ている側にあるのであり、
そのような行為があからさまだからこそ、
利益から除外されている大多数の部外者たちの無関心を誘い、
さらにその無関心までも利用して
利益を独占しようとしているのだから、
なおさらしらけた気分を蔓延させているのであり、
そのような利益に与る集団に属する人たちの信用は、
ますます低下するだろう。
その時点ですでに状況は負のスパイラルに入っているのであり、
それを利権構造をそのままにして、
状況を好転させることなど不可能なのではないか。
そして同時にそこにつけ入る隙が生じているのだろうか。
たとえそこに隙が生じているとしても、
不意打ちを伴わなければ大した効果はあげられず、
たぶん権力に逆らう人たちは、
その不意打の機会を虎視眈々と狙っているのだろう。
それがテロとなるか、
あるいはまだ誰も気づいていない未知の何かとなるかは、
それが実際に起きてみないことにはわからないのだろうが、
過去の歴史からわかることは、
権力側からのアクションとしては、
226事件などの軍事的クーデターが起こる場合があるわけだが、
日本ではもはやそういう事件が起こる可能性がないほど、
社会が成熟しているのだろうか。
それは社会の成熟度とは違う要因が関係しているのかもしれないが、
ともかく主要先進国で軍事クーデターが起こる確率は低そうだ。
そして反権力的なアクションが起こる場合、
単独でバラバラな無数の行為が一つに集中せず、
分散したまま無力な形態を取るとすると、
まさにそれは権力を生じない行為であり、
権力側からすれば
安心して無視してもかまわないような行為となるだろうし、
実際に現状ではそうなっているのかもしれず、
テレビや新聞などの主要メディアを抑えておけば、
なんとかなるような安心感が生じているところが、
たぶん狙い目なのであって、
実質的に何を狙っているわけでもないのだろうが、
ネットにはびこるネトウヨの皆さんも、
同時に何か狙っているわけだろうが、
彼らの狙っているのは、
従来通りの権力志向なのがバレバレで、
大したことはないのだろう。
要するに肝心なのは、
そこで人と人が関わり合い連携し合うにしろ、
それが権力の生じない無方向への
力の分散となることなのではないか。
そんなことはあり得ず、
そこに人が大勢集まって、
同じ目的のために団結すれば、
そこに権力が生じるというのが、
従来からある権力論なのだろうが、
たぶんネット上で何かやっている分散志向の人たちは、
それと意識せず、
そういう権力論に逆らうように動作しているのかもしれない。
それはまた従来の集団行動と単独行動からも
逸脱する動きなのではないか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
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