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彼の声

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彼の声 2015.1.30 「歴史的な現状?」

2015/01/30

それは今に始まったことではない。
ローマ帝国に蛮族が攻め込んできて、
西ローマ帝国が滅亡した状況に、
今のヨーロッパの状況が重ね合わせられるとするなら、
それは過去において何度も起こっていることだろうか。
たまたまこの千五百年間においては、
イスラム帝国やモンゴル帝国やオスマン帝国の侵攻を
はねのけたことになっているが、
それ以前の数千年間は
様々な民族が繰り返し外部から侵攻してきて、
先住民を追い出したり
混じり合ったりしてきた歴史があったのかもしれず、
また侵攻をはねのけたとする
それらの帝国が全盛時代においては、
世界の中心はそれらの帝国側にあって、
周辺地域にいる蛮族の関心はそちらにあり、
ヨーロッパ自体が
むしろ文明の遅れた周辺地域とみなされていたのではなかったか。
それは一部のヨーロッパ人たちが、
過去の輝かしい栄光の時代として取り上げる、
古代ギリシアの時代でも同じであり、
その頃世界の中心はエジプトやペルシアの側にあって、
ギリシア人はエジプトで
傭兵や土木関連の技術者や労働者として雇われ、
そこで先進文明を吸収してギリシアに持ち帰って、
自分たちの文明の構築に利用したわけだ。
では現代において世界の中心はどこにあるのか。
たぶんどこにもありはしないだろう。
富の幻想の中心ならアメリカにあるかもしれないが、
実際はアメリカ・EU・中国・インド・ロシア、
といった世界の有力諸国が、
各地で自国の主導権を確立すべく競い合っている状況だろうか。
もちろん今のところはそれらの諸国が、
お互いに直接戦火を交えるには至っていないのだろうが、
近い将来全面戦争になる事態が訪れるのだろうか。
第一次世界大戦の直前においては、
誰も大規模な戦争が起こるなどと夢にも思わなかったらしく、
また戦争になってからも、
比較的短期間で終わるだろう、
と新聞などの論調は楽観的な見通しを示していたらしい。
現時点ですでに中東やアフリカなどで起こっている地域紛争が、
後から思えば第三次世界大戦の始まりだった、
ということになるかどうかは、
今後の状況の推移次第かもしれないが、
そうはならないとしたら、
どんな状況を予想できるだろうか。
案外この先も延々とこんな状況が続いてゆくのだろうか。
何をいくら予想してみても、
また今後にどんな期待を抱いてみても、
現実に何かが起こってみないことには、
また起こったところで、
それがどうしたわけでもないのかもしれず、
現状のままでもさして不都合や不合理を感じないならば、
別に今後何があろうとなかろうと、
大して驚かないのかもしれない。

ヨーロッパではイスラム系移民やアフリカ系移民の増加が
社会問題となっているようだが、
日本においては天皇家を中心に据える
身勝手な選民思想が蔓延しているようで、
日本人は朝鮮半島や中国の人たちとは遺伝子レベルで異なる、
とかいう科学的血統主義みたいな学説のたぐいも
まことしやかに語られ、
自民族という虚構を正当化する根拠となっているらしいが、
そのくせ日本人独特の遺伝子的特徴の基となっている
先住民の血を引くアイヌ人や沖縄の人々を差別しているのだから、
ご都合主義もいいところで、
約二千年ぐらい前に
先住民であった縄文人と呼ばれる人たちが暮らしていた地域に、
朝鮮半島や中国から
海を渡って弥生人と呼ばれる人たちが侵入してきて、
先住民たちを征服して混じり合って、
古代の倭国と総称される文明の遅れた地域に、
複数の部族国家が誕生した
というごくまっとうな学説にケチをつけ、
一方では先住民を征服した朝鮮半島系や中国系の人たちを、
遺伝子的特徴が異なるとして排除しておいて、
またもう一方では、
先住民の遺伝子的特徴を色濃く残しているアイヌ人や
沖縄の人たちについては、
アイヌ人はもう本土人と混じり合って絶滅していて、
また日本政府にたてつく反日的な沖縄土人は、
朝鮮人と一緒だと支離滅裂な罵声を浴びせるわけで、
論理的な思考能力が欠如しているのか、
あるいはまたそれとは別の論理で
そういうことを主張しているのか、
いろいろ事情があるのだろうが、
そういう人たちが頼みの綱としているのは、
やはり日本という国家であり、
国を守るという大義に殉じる覚悟が
できているのかいないのかは知らないが、
ともかくそれを精神的な拠り所としているのは確かかもしれず、
そういう人たちが今後も増加していくのかどうかは
よくわからないところだが、
たぶんそこで何かが試されているのかもしれない。
それはこの地域に暮らす人々が乗り越えるべき試練だろうか。
このまま偏狭な民族主義・国粋主義に凝り固まるのか、
あるいはそれを乗り越えて、
近隣諸国や地域の人々と融和に向かい、
東アジアに平和な地域や共同体のたぐいを築けるのか、
あるいは東アジアだけではなく、
全世界と平和友好的な関係を構築できるのか、
それが今まさに試されているということだろうか。
だが平和ということと、
経済的な利益優先という国民国家と資本主義の至上目標とが、
果たして両立し得るのか否か、
経済活動も搾取する側とされる側が顕在化すると、
争いの元となるだろうが、
それを国家的な枠組みで囲い、
イデオロギー的なまやかしで
覆い隠すのにも限界があるような気がするが、
いったんはネトウヨ的なお粗末さに注意を惹きつけておいて、
それよりいくらかマシに見えそうな保守思想を提示して、
それによって大衆の心をつかむ目的があるのかないのか、
今のところは定かでない。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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