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彼の声

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彼の声 2015.1.27 「戦略的倒錯の果てに」

2015/01/27

語らなければならないことを素通りして、
なぜか話の途中から語らなくてもいいことを語っているらしい。
だが語ってしまった後は、
何を語らなければならなかったのかわからなくなり、
ただどうでもいいことを語ってしまったように感じられる。
イデオロギーとは何か。
そう問うことがイデオロギーからの逃げ道となるのだろうか。
何か利いた風なことを語ってしまった時点で、
なんらかのイデオロギーに染まっていることは確かなようだが、
それを自覚できないところが、
特定のイデオロギーが罠となっている所以だろうか。
しかしイデオロギーとはなんなのだろうか。
ネットで検索すると

「社会集団や社会的立場(国家・階級・党派・性別など)において
思想・行動や生活の仕方を根底的に制約している観念・信条の体系。
歴史的・社会的立場を反映した思想・意識の体系」

という意味が出てくる。
たぶんそこに限界があるわけだ。
何かを主張する人々はイデオロギーに縛られている。
それはわかっているが、
果たしてイデオロギーに縛られない主張というものがあるだろうか。
あるにはあるだろうが、
イデオロギーに縛られている人にとって、
それは魅力のないものと映るかもしれない。
人々は国家や階級や党派や性別など、
特定の社会的立場に属することで、
それを自らの主張の拠り所としているのではないか。
自分と他人との差異と共通点を確認して、
共通の価値観を共有する人たちと連携して、
異なった価値観を持つ人々と対立し、
場合によっては言葉や暴力を用いて攻撃するわけだ。
何かを主張するとはそういうことかもしれない。
それ以外にどのような主張があるのだろうか。
そういう主張を否定する主張か。
それは作用に対する反作用の関係で、
相手を攻撃する主張があれば、
それをやめようという主張が生じ、
物体の運動に摩擦とか抵抗があるのと同じことだろうか。
少しずれているかもしれないが、
ともかく今はなるべくその類いの人たちにとっては、
あまり魅力の感じられないようなことを
主張しなければならないようだ。
もちろんねばならないという主張を裏づける
まともな理由などなく、
ただそんな気がするだけで、
要するに世間に流通しているイデオロギーの類いが、
お仕着せがましく感じられ、
できればそこから抜け出して、
物事をより自由に考えたくなるわけだ。
しかしその自由に考えているつもりの思考が、
現実の社会から遊離していれば、
空想的でたわないない代物となりかねず、
要するに魅力ないということは、
取るに足らない空疎な内容
となっていることでしかないのかもしれず、
そうならないためには、
何か人を惹きつける工夫が必要となるのだろうか。
要するにイデオロギーを装い、
その手のイデオロギーに囚われている人たちを、
欺きだまして洗脳し、
自らの術中に引き込まなければならないわけか。
だが果たしてそんなことが可能だろうか。

それを正直にわかりやすく語ってしまえば、
魅力のないものとなってしまう。
ではなるべく回りくどくわかりにくく、
さらに面白おかしく語り、
人の興味を引きつける工夫を凝らさなければならないのか。
たぶんその手のものは、
何十年も前に流行った、
確か1980年代あたりだと思うが、
コピーライターとかサブカルチャーとか、
そういう類いの文化現象に関わっていた人たちが、
盛んにやっていたことかもしれず、
ともすれば安易で空疎な言葉遊びに堕する危険性があり、
そういう一過性の流行が去れば、
戯れ事として片付けられてしまうような、
たわいない行為とみなされてしまうのかもしれない。
ではそれを避けるにはどうしたらいいのか。
戦略的倒錯とかいって言葉を弄べば弄ぶほど、
それは避けられない事態となってしまうのではないか。
だから化けの皮が剥がれないうちに、
魅力のないことを正直にわかりやすく語る路線に
切り替えなければならなくなるのだろうか。
でもそれがそのままイデオロギーとなってしまうのではないか。
それの何がイデオロギーと感じられるのか。
各人の自由意志や自由競争を尊重した
資本主義市場経済を推し進めていくと、
金儲けに成功する人と失敗する人とが生まれ、
成功した人が莫大な資産を蓄え、
その富を自分の子や孫に受け継がせようとするので、
そこに生まれながらに富裕層に属する不労所得階層が生まれ、
世の中が不平等で不公平な社会となってしまうから、
国家は累進課税的な資本税を設けて、
富裕層に課税し、
極端な階級社会になるのを防がなければならない、
という今流行りの主張のどこがイデオロギーなのだろうか。
そこには国家とそれを支える官僚機構を
温存させる思惑が働いていて、
資本に課税することで、
各人や企業が所有する資産をすべて把握することが課題となり、
それは官僚機構が世界中の富や資産を全てデータベース化し、
人や企業を事実上管理することにつながり、
管理できれば次いで制御することにつながり、
そうなれば人や金や物や情報や組織の、
完全な管理制御システムを構築できる可能性が生まれてきて、
官僚機構による人に対する
世界的な勝利が確定することになりはしないか。
要するに世界規模で「1984」的な体制が出来上がるわけだ。
そして全世界がソビエト連邦になる可能性も否定できないわけだが、
果たしてそこに民主的な制度が入り込む余地があるだろうか。
社会の不平等と不公平を是正するには、
個人の自由を犠牲にしなければならないとしたら、
では自由とはなんだろう、
戦略的倒錯で自由を確保することが可能だろうか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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