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彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.1.25 「誰も気づかない過ち」

2015/01/25

あえて自分に嘘をついているのか。
何に興味があるわけでもなく、
自らが何をやっているとも思えない。
でも何かしらやっていることは確かだ。
そこに実感があり、
やっていることの確かな手応えがある。
それでいいのだろうか。
やっていることが良いか悪いか、
それを判断する材料がない。
良くもあり悪くもあるのではない。
良くもなく悪くもないのでもなく、
肝心なことは事の善し悪しではないような気がするわけだ。
ではなんなのか。
やっていることの説明が必要であり、
それには理屈を語らなければならないのだろうが、
どうやら理屈でない部分に真実があるらしい。
ただそう感じている。
でも真実などに興味はないのではないか。
他のすべてを捨ててでもやるべきことがあるとも思えないが、
他に何もなければ、
そこにやらなければならないことがあるのではないか。
だがそこもなければどこがあるというのだろう。
実感さえも定かでなくなっているのかもしれず、
何かをやっているという実感に
嘘偽りが含まれていたのだろうか。
嘘偽りではなく、
本心からそう思っているのではないか。
そうやって逡巡が始まるときりがなく、
何を語りたかったのかわからなくなるが、
たぶんその実感を語ろうとしていたはずで、
何もない現実を深刻に受け止められない実感があるのだろう。
皮肉も嫌味もいらない。
嘲笑するまでもない現実だ。
何かがずれているのはいつものことで、
わけのわからない誇大妄想に限りはなく、
自己中心的に何を考えているにしても、
それで何に気づいているわけでもないということだ。
それらの現象を取り巻く状況からもたらされる情報に接していると、
そんな気がするだけで、
実際には誰もそれに気づいてない。
それとはなんだろう。
中には気づかないうちに
あの世に旅立ってしまった人もいるらしく、
その胴体から切断された顔だけの画像を見せられても、
それを実感できないようだ。
すべては画像であり映像でしかないわけだ。
赤い服を着させられてまだ処刑されていない方の人質が、
何かメッセージを発しているらしいが、
その内容に興味があるわけでもない。
何か興味深いことが起こっていて、
それに引き寄せられて世界各地から人が集まり、
その中には運悪く命を落とす人もいるらしい。
実際にそこで戦闘が行われているのだから、
平和な地域にいるよりは死ぬ危険性が高いのだろう。
別にハイリスク・ハイリターンというわけでもなく、
そこにいることから生じる見返りなど
何もありはしないのではないか。
いるだけではなく、
そこで何かやっているわけだろうが、
そのやっていることの意味や意義が、
そこにいる者たちの独りよがりでしかないとは思わないが、
宗教的あるいは哲学的な思考や思想の大義に
踊らされていないわけでもなさそうだ。
そこに命をかけてでも人がやるべきことがあるらしい。
そんな思い込みがあるわけでもないのだろうか。

彼らは何に気づくべきなのか。
別に気づくべきなのではなく、
気づかなくてもかまわないのであり、
気づいたところでそれは勘違いなのかもしれず、
何に気づくべきかはわからないままだ。
価値観など千差万別で様々であり、
どんな価値観に心を奪われていようと、
価値に普遍性などなく、
すべては人や物や言葉などの相対的な関係から生じている。
その中から生じている特定の主義主張にこだわるしかないなら、
その主義主張に沿った言説が構成され、
同じようなこだわりを持った人たちがそれに共感し、
支持してくれるのかもしれない。
それだけのことだろうか。
それだけでは何か物足りないだろうか。
物足りなければその主義主張を
世の中に広めようとするのではないか。
彼らは自分たちの勢力圏を拡大しようとしているであり、
そのために周囲の国家と戦闘中なのではないか。
自分たちの組織を国と名乗っている限りは、
勢力拡大するには戦争が避けられないだろうか。
政党なら選挙によって議会内で勢力を拡大すればいいのだろうが、
選挙では不正がまかり通っている現状があるだろうし、
王族や独裁者が支配する国家では
議会などまともに機能し得ないだろう。
それ以前に民主的な議会制度など信じていないだろうし、
信じられない地域なのではないか。
ならば武装闘争によって勢力を拡大するしかないだろうか。
彼らは国家の存在を信じている。
それが気休めなどではないと思っているはずで、
建国することによって
自分たちが抱く価値観が実現すると思っている。
簡単に言えば彼らは国家主義者だ。
イスラム系国家主義といえばしっくりくるのかもしれない。
そしてあいも変わらず同じ過ちが繰り返されている
と考えればいいのだろうか。
実際に世界が国家で分割統治されているのだから、
それが過ちだとは認識できないのではないか。
要するに気づいていないわけだ。
しかも気づいていなくてもかまわないのであって、
国家が過ちだとは誰も思わないだろうし、
世の中の大多数の人たちにとっては、
それは勘違い以外の何ものでもない。
だから過ちに気づくべきではないのかもしれず、
そのまま戦闘を続けて、
イスラエルを含む欧米諸国に勝利するまで続けるべきなのだろう。
果たして彼らはこの第三次世界大戦で勝てるだろうか。
味方となる国家はどこにもないのではないか。
同盟国がなければ第三次世界大戦に発展させることは不可能か。
わずかに西アフリカで活動する武装組織が国家を掌握すれば、
同盟国となる可能性もなきにしもあらずだが、
それでも多勢に無勢で、
現状では勝てる見込みのない戦いを
延々と続けることしかできはしないだろう。

しかし彼らが気づくべきでないこととはなんなのだろう。
それは彼ら以外にも、
誰もが気づくべきでないことかもしれないが、
実際に誰も気づいてない以上は、
現状ではそれがなんだかわからない。
武装闘争にも戦争にも頼らずに、
この世界を変えることなど不可能だろうか。
それを誰がどんな組織が目指しているのだろう。
人と人との連携にも頼らずに
それを成し遂げることなどできはしない。
だから今のところは全くの荒唐無稽でしかないわけで、
イスラム系武装組織より
さらに実現する可能性がないのかもしれない。
実現させようともしていないのだから、
可能性以前の妄想の段階でしかない。
とにかくまだ国家単位で政治家や政党や官僚組織が、
何かをやっている最中なのだから、
機が熟してないことは確かで、
それらの試みが世界的にうまくいかなくなってからなのだろうか。
そうなるまでにはまだ相当な紆余曲折があるだろうし、
何十年もの時間を必要としているのかもしれない。
これから紛争地域では大勢の人たちが殺され、
平和な地域に暮らす人たちにも多大な犠牲が出て、
人も文明も荒廃しないと、
その機会は訪れないのだろうか。
しかしその機会とは何をやる機会なのか。
それすらもわからない段階で
何を言ってみても仕方がないのではないか。
だがこの世界がこの世界でなくなる予感はしているはずで、
そんな予感に気づいている人は案外多いのかもしれない。
だから政治的な無関心が広がっているのではないか。
人々が議会や行政に期待できなくなっていることが、
そんな政治的無関心と表裏一体をなしているような気がするのだが、
ともかくそれに気づかない方がいいのかもしれず、
特にメディアの論調にそれが反映したらまずいか。
変化の芽を潰されてしまっては元も子もない、
というほどのことでもなく、
気にするようなことでもないのだろうし、
そのせいぜいがファシズムの脅威に
警鐘を鳴らしているくらいが関の山だろうが、
それと気づかないうちに事態が進行していけば、
いずれは気づいてしまうだろう。
それは気づく時期が来れば気づくことであり、
その時が来ればわかることなのかもしれず、
その時が来るまではあまり時代を先取りせずに、
現行の制度やシステムの不具合を指摘する程度に済ませるのが、
良心的な態度と言えるのかもしれない。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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