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彼の声 2015.1.24 「現状が現状である理由」

2015/01/24

人は宗教を捨てることが可能だろうか。
今信じているのとは別の宗教に改宗することは可能か。
すでに一般に信じられている宗教とは別の、
資本主義市場経済の中で拝金教に染まっているはずだが、
誰もがそれを信じているにしても、
誰もそれを宗教とは呼ばないし、
それが貨幣と商品の交換を信じる宗教であり、
貨幣を神と崇めていると主張しても、
誰からも相手にされない。
それ以外の環境を認識できないのだからそれしかなく、
それが当然の環境の中で暮らしているのだから、
別に改めてそれを宗教だと認識する必要がないわけだ。
そのように完全に生活の一部と化している宗教を
捨てることは不可能だろうか。
何しろ貨幣と商品を交換しなければ生きて行けないのだから、
それをやめて生きて行くすべがないとしたら、
やめるわけにはいかないし、
やめることは自らの死を意味するのかもしれない。
周りの人間がすべてイスラム教徒だったとしたら、
あるいはキリスト教徒であったりユダヤ教徒であったとしたら、
その宗教を捨てる機会などあるわけがないか。
そこにとどまっている限りはそうであり、
何かのきっかけで
そのような宗教や民族を主体とするコミュニティから離れたら、
それも可能となるかもしれないが、
そのような宗教的あるいは民族的絆を断ち切るのは容易ではなく、
断ち切ることを正当化するのも難しい。
ほとんどその必要がなく生きていけるなら、
無理に絆を断ち切ることもないわけだが、
逆に断ち切っても生きていけるなら
そうしてもかまわないだろうか。
拝金教の場合はほとんど全世界を覆っていて、
それなしで生きて行くことはできないが、
わずかに外界から隔絶した
閉鎖的な宗教的あるいは民族的なコミュニティの中でなら、
物や情報の売り買いとは
別の交換原理が働いているのかもしれず、
そういう閉ざされた環境で
拝金教とは無縁の生活を送れるとすれば、
果たして人にとってはどちらがいいのだろうか。
そもそもそのどちらでもない環境などあり得ないのだろうか。
閉鎖的なコミュニティの中で宗教的な生活を送るか、
開放的な市場経済の中で
国家や企業などの各種団体と契約を結びながら拝金教徒になるか、
その二者択一しかないのだろうか。
それとも誰かが第三の生き方を模索していたりするのか。

たぶん一人では何もできない。
人は人と関わらなければ生きて行けない。
そこで交換が行われ、
その中では物や情報と貨幣の交換が、
最も合理的で効率的だと思われる。
ただであげたりもらったりするわけにはいかないのだろうし、
人は交換に伴って必ず見返りを求めるわけで、
そこに損得勘定が働き、
不等価交換であってはまずいわけだ。
どちらもが納得しなければ交換など成立しないだろうか。
自分が損することを承知で交換することもあるだろう。
交換しなければ生きて行けないなら、
死ぬ気であれば話は別だが、
たとえ持っている商品を安く買い叩かれようとも、
交換することに同意するだろう。
それが労働力商品ならなおさらで、
安い仕事しか見つからなければ、
たとえそれがやりたくない仕事だろうと、
雇い主と雇用契約を結ばざるを得なくなり、
そこから先はうんざりするような仕事生活となるわけか。
やりたい仕事に巡り会えるのは
ほんの一握りの人たちに過ぎず、
大半の人たちは妥協せざるを得ず、
いつしかそれが当たり前のことだと思うようになり、
自然と自分にこれでいいのだと言い聞かせるようになる頃には、
すでに老人になっていて、
後先短い身の上となっているわけか。
そんな物語を信じられるだろうか。
たぶん現状に納得できなければ、
いつまでたっても違う生き方を模索しているのではないか。
死ぬまでそうかもしれない。
別に人の生き方など人それぞれでかまわないのであり、
それに対する気休めとして、
そこに暮らしている誰もが納得できるような世の中にするために、
制度や仕組みやルールを設けて、
それを守ることで暮らしやすい世の中になると信じたいわけで、
そのために政治家や政党や官僚機構などが
国家という枠組みの中で活動しているわけだが、
現状では彼らが良かれと考えてやっていることに、
ことごとく反発し不快感を表明する人ばかりなのかもしれず、
そういう人たちの大半を無視し、
妥協に応じる用意のある人々についてはある程度は配慮し、
反対や非難ばかりしている人たちについては、
場合によっては弾圧し排除ながら、
なんとか自分たちの信じていることをやり続けているわけだ。
それが実際にどんな結果をもたらしているかは、
見ての通り感じている通りのことで、
やはり議会や行政がやっていることは
気休めに過ぎないとみなすしかないか。
誰もがやりたいことができるような社会でないことは、
たぶん昔からそうなのであり、
今後もそれは変わらないのではないか。
それを解消するために、
学校教育においておかしな洗脳を施すよりは、
このまま誰もが不満を抱いている世の中であるほうが
いいような気がする。
現状が現状であることが、
現状に立ち向かう人たちを生み続けているわけで、
少なくともそれらの人たちの言い分には
耳を傾けなければならないだろう。

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創刊日:2001-03-26  
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