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彼の声

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彼の声 2015.1.21 「人権の意味」

2015/01/21

武器も麻薬の一種には違いない。
人を殺傷するための道具なのだから、
そういう願望を叶えるには武器が必要なのだろう。
麻薬はどんな願望を叶えてくれるのだろうか。
人が人以上の何かになるために、
人は麻薬を服用するのだろう。
武器は道具の一種だ。
動物を狩猟するための道具が、
人間を狩猟するための道具になったわけか。
それが人が人以上の何かになるために必要だったのだろうか。
人以上の何かとはなんなのか。
それは機械かもしれない。
人は武器を携えて殺人機械となり、
麻薬を服用して快楽機械となる。
しかし機械とはなんなのか。
道具が進化したものが機械だろうか。
人は人の道具となり、
道具となった人は機械となる。
道具や機械には目的があり、
機械は目的を達成するために動作する。
殺人機械の目的は殺人で、
快楽機械の目的は快楽だ。
人は自ら進んで機械になれるだろうか。
周りの状況が人を機械にさせるのではないか。
機械は人に利益をもたらす。
人は人を機械にして、
その機械を動作させて利益を得ようとする。
人が人を使うとは、
人を道具として使うことになるわけか。
そこに目的があるなら、
人は目的のために道具を使い、
機械を使い、
人を使うということだ。
人を人として使うことはできないのだろうか。
目的のための手段とみなすなら、
人は道具となる。
人を使うとはそういうことではないのか。
もう少し穏便な表現を使うなら、
人を使うのではなく、
人として扱わなければならない。
人は人を手段としてのみならず、
目的として扱わなければならない。
それはどういう意味なのか。
人を人として扱うことが目的とならなければならない。
具体的には人をどう扱えばいいのだろうか。
人を物として扱うことが、
人の道具化あるいは機械化とするなら、
他にどのような扱い方があるだろうか。
人と物の関係をどう定義すればいいのか。
とりあえず人が物であることを認めなければならない。
自らも物でしかない。
道具も機械も物だ。
物として利用する限り、
人も道具も機械も物だろう。
何か目的があるなら、
目的を達成するための手段として物を使えるわけだ。
たぶん人は人を物として扱っていることに気づくべきなのだ。
そして物を扱っている自身も物であることに気づくべきなのか。
それは避け難いことだろうか。
では人が人以上の何かとなるためには、
物となることが必要なのだろうか。
人以上の何かこそが物なのではないか。
人は物でしかない。
それは人以上でも以下でもないということか。
それが嫌なら、
人は人であることからも物であることからも
逸脱しなければならない。
ではそれ以外の何になるべきなのか。
それ以外は以外でしかないだろう。
人は何物にも何者にもならない。
目的のためにあえてなろうとすれば、
自然がそこから外れさせてくれるかもしれない。
偶然の巡り合わせが、
人が何者かになるのを邪魔して、
ならず者でいることを許してくれるだろう。
それは束の間の夢かもしれず、
気のせいでしかないかもしれないが、
そこに希望があるのかもしれず、
目的のための機械になることに疲れた心が抱く幻想なのだろうが、
そんなありえない夢の中に希望がある。
それを捨て去ってはまずいのではないか。

首を切断されて頭と胴体が別れたら、
その時点で人は物となるだろうか。
死者は葬儀屋と坊さんと墓石屋にとって金儲けの手段だ。
人は葬儀をやる目的で死者を必要とする。
そうではなく死者が葬儀を目的として死ぬのだろうか。
死んで物となったら目的も何もないか。
武器を使う人は死を生産するための機械となる。
死に至るまでの時間が長ければ負傷者となり、
病院が負傷者を必要としているはずか。
医者にとっての死者は、
解剖する以外に使い道のない物だろうか。
ともかく死に至るまでの間は、
負傷者は医者にとって金儲けの手段となる。
そういう意味で武器を使用する殺人機械は、
葬儀屋と医者に死者と負傷者を提供する生産者の役割があるわけだ。
殺人機械は人を死者と負傷者とに選り分け、
葬儀屋と医者が扱える物に加工する。
しかし何も殺人機械によって加工を施されなくても、
人は必ず死んだり病気になったりするのだろうから、
殺人機械は余分で余計なことをやっているだけだろうか。
それとも必要以上に死者や負傷者を生産して、
資本主義市場経済を活性化させているわけか。
武器の製造業者にとっては、
ただ備えておくだけでなく、
実際に使ってもらっているわけだから、
殺人機械は商売を維持・継続・発展させるためには
必要不可欠な存在となっているわけだ。
そういう意味で世界には紛争地域が欠かせない。
それは武器製造業が成り立つための世界だ。
だが別にそうであるべき世界ではない。
たぶんそれとは別の産業であってもかまわないのであり、
必要だからあるのではなく、
そのような産業があること自体が、
紛争地域やそこで活動する殺人機械を
必要としているのではないか。
卵が先か鶏が先かの議論に正解はないだろうが、
ともかくそこで大勢の人が
物として死者と負傷者に加工されている実態があり、
そういう状況を肯定するわけにはいかないだろう。
だがではどうすべきかとなると、
やはり現状では答えがない。
紛争地域は何をやっても間違いとなるような
環境にあるのではないか。
もはやアメリカが世界の警察を気取って、
軍を投入して武力で平定するような状況でもないのだろう。
そう簡単にはいかないのだろうし、
超大国が我が物顔で
勝手なことをやれるような世界ではなくなったのかもしれない。
それだけ以前よりはマシな状況となったと言えるだろうか。
このまま国家の力が相対的に弱まり、
資本主義市場経済も富の不均衡により限界を見せはじめ、
なにやら世界的に動乱の時代へと突き進んでいけば、
新たな時代へ向けて展望が開けてくるだろうか。
しかしそれには今生きている世代が
多大な犠牲を被るしか方法はないだろうか。
たぶんこれまでの歴史的な経過を見れば、
そんな可能性が高いようだが、
この時代に生きている人たちは人たちで、
生きているこの時代こそがすべてなのだろうから、
必死になって自らのやりたいようにやろうとするだろう。
その結果が現状なのだから、
とりあえず現状が気に入らなければ、
自らが現状を変えるように努力するしかないのかもしれず、
そのために現状の中であれこれ模索しているわけだ。
殺人機械となった者たちもそうやっているはずだ。
たぶんそれが仕事となっている限りは、
人は仕事の目的のための機械となるしかないのだろうが、
自らが物となりつつも、
自然とそこから逸脱する成り行きの中で
もがいているような気がする。
そんな物化に対する抵抗がなければ、
いつまでたっても功利主義の呪縛から逃れることはできないだろう。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
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