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彼の声 2015.1.19 「説明というごまかし」

2015/01/19

主張していることのすべては屁理屈なのではないか。
だが屁理屈でない理屈を思いつかない。
屁理屈でなければ理屈とはなんなのか。
理屈を肯定的な意味で使えないようだ。
理屈のための理屈を
屁理屈と呼ぶならそうなるしかないだろうか。
具体的にはそれはどんな理屈なのだろうか。
済んでしまったことはすでに経験したわけだから、
同じことが繰り返されることは二度とない。
これでは理屈になっていないだろうか。
まったく同じことが再現されるわけではないが、
似たようなことは繰り返し起こる。
例えば第一次世界大戦と第二次世界大戦のように。
だがそれがどうしたわけでもないだろう。
似たようなことが繰り返し起こることがあるだけで、
それに関して何を主張するつもりもなく、
別に第三次世界大戦の勃発を恐れているわけではなく、
警鐘を鳴らすような意見を述べたいわけでもない。
ではなんなのだろうか。
何かと何かを結びつける時、
そこに理屈が介在していること自体が、
その結びつける行為を正当化しているのではないか。
それは当たり前のことでありわかりきったことだ。
そうしなければ話の筋が通らない。
そんな当たり前のことになぜ疑念を抱くのか。
人々が良かれと思ってやってきた行為の積み重なりが、
行き詰まりの現状を招いているとしたら、
それを打開するにはどうしたらいいのだろうか。
そう思ってしまうことを正当化するための理屈を
ここで考えているわけか。
それとも現状の行き詰まりに対する
有効な打開策を説明するための理屈を考えているのか。
どちらにしてもそれを説明しようとすると、
理屈に頼るしかなく、
時として強引な説明に終始してしまうと、
屁理屈をこねているように思われる。
別に理屈が悪いわけではなく、
説明するには理屈が必要なのだ。
説明しなければ理屈など必要ないが、
説明しない文章などあり得ない。
それが言説なのだから、
理屈を放棄するわけにはいかないようだ。
過去に起こった様々な出来事から、
語ろうとする言説に合わせて取捨選択して、
それらの出来事を結びつけつつ、
そうすることの理由を説明するには理屈が必要だ。
それは自らの語りを正当化するための理屈となるわけだが、
それを必要としない理屈などあるわけがないだろうか。
自らが語っていることを正当化できないとしたら、
そうすることができない理屈を説明しなければならないのか。
どうもその辺で困った事態に直面しているようだ。

もしかしたらその理屈が、
そのままフィクションを構成しているのかもしれず、
複数の出来事の因果関係を説明する言説そのものが
虚構なのかもしれない。
だがそれを虚構とみなしてしまうと身も蓋もなく、
実際にそれらの関係が証明されれば
虚構ではなく真実となるわけだが、
証明もそれを言葉で合理的に説明できる限りの説明であって、
それを受け止める側が納得したり信じたりする限りでの
真実なのだから、
虚構に含まれるのではないか。
そういう前提で何かを説明すると、
必ずそこに言説としての虚構が語られてしまうのは、
それがなければ何も説明できず、
現実には様々な出来事が時間と場所を隔てて
次々に起こっていることでしかないのに、
それらの出来事の間に影響という力の及ぼしあいとか、
直接および間接の関係や結びつきがあるかのごとく語らないと、
話が真実味を帯ないし、
説得力がなくなってしまうから、
どうしてもそれらの出来事が関係する理屈が
必要となってくるわけだ。
そしてそれが虚構から分離されて
真実という価値を担うには、
誰もが納得できる理屈が必要とされる。
こう説明してしまうと、
なんだか言葉のごまかしを駆使して
説明しているような感じとなり、
とても誰もが納得できるような説明とはなりがたいか。
すでに説明している途中から、
その説明に言及してしまうのがごまかしなのだろうか。
そんなふうにして説明すればするほど、
説明の迷路に迷い込んで、
具体的な事物の説明からどんどん遠ざかってしまう。
要するに事物とそれを説明する言葉とが引き離されて、
言葉の連なり単独で言説が構成されると、
それはフィクションとみなされるのかもしれず、
またその言説が現実に存在する事物と関わっているように
感じられる内容であれば、
なにやら真実を語っているように思われるのかもしれない。
もちろんフィクションの中でも
真実が語られている部分もあるだろうし、
そのすべてが虚構というわけでもなく、
虚の構造の中で真実が語られてなければ、
そこに感動はないだろうし、
それを求めているからこそ、
人はフィクションに惹かれ興味を抱くわけだが、
別に虚構が否定的なニュアンスを含むか否かは、
その内容にもよるだろうし、
虚構を肯定する主張などいくらでもあるし、
虚構を構成することを生業としている人たちの中には、
虚構こそが真実を表現する最良の手段となりうる
と考えている人もいるのではないか。
だがそういう水準で物事を語ってはまずいのかもしれず、
それが虚構であれ真実であれ、
あくまでも語っている内容そのものが、
いかに説得力を持つか否かが問題となっているのであり、
何か語るとすればその内容について語らなければならず、
その語っている構造そのものに目を向けるのは、
やはり内容から目を背け逃げているのであって、
ある種のごまかしとみなされても仕方がないだろうか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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