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彼の声

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彼の声 2015.1.16 「理性と善意と良心」

2015/01/16

何を伝えなくても非難されることもないか。
伝えたいことなど何もなければ、
公正中立なメディアといえるのかもしれない。
別に伝えたくもないことは、
伝えなくてもかまわないのではないか。
どこからか伝えるように要請がくれば、
それを伝えればいいわけだ。
しかし誰が要請するのだろうか。
誰がではなく、
どこからその要請がくるのか。
誰も要請しないし、
どこからもそんな要請などこないのだとすれば、
ではメディアは何を伝えればいいのだろうか。
たぶん何を伝えてもいいのであり、
実際に伝えていること以外に、
伝えなければならないことがあるとも思えない。
どこかで伝えるように指令が出ているのだとすれば、
それが偏向報道の要因となるのだろうか。
何か都合の悪いことは黙殺する必要が生じているわけか。
誰かがそれを促しているのではないか。
報道各社を集めて命令していると思った方がいいわけか。
沖縄で起こっていることはなるべく報道しないようにしろ、
と誰かが命令しているのだとしたら愉快なことだろうか。
そこで何かが踏みにじられているわけだ。
だが何かとはなんなのか。
米軍基地を抱える沖縄の人たちの思いが踏みにじられている。
でもそれは想像される思いでしかなく、
事実ではないはずか。
美しい珊瑚の海が埋め立てられて、
米軍の滑走路を造る工事が、
住民の反対を押し切って強行されようとしている。
それが事実であるらしい。
その事実をどう受け止めればいいのだろうか。
それでかまわないと思えば、
事なかれ主義だとみなされそうだ。
では屁理屈をこねて右翼のように肯定すればいいのだろうか。
それでも一興だが、
ここは反対を表明しておいたほうが無難なのかもしれない。
実際に大部分の人たちは工事の強行に反対するのだろう。
だがそれでもそれをやっている政府に対する支持率は高く、
そこに不快な矛盾が生じているわけだ。
そこから世論調査結果として
高い内閣支持率を報道するメディアに対する不信感が募ってきて、
いらぬ詮索をしなければならなくなる。
御用メディアによる翼賛報道なのではないか、
と誰もが思いたくなるわけだ。
そうやってメディアが
人々に生じている不快感や疑心暗鬼を煽るのはいいことだろうか。
良いか悪いかはなんとも言えないが、
とりあえずそんな状況にあることは確かだし、
それが放置される現状が続く限り、
この先何か愉快な事件が起こるような予感がしてくるが、
気のせいだろうか。
たぶんそうなってほしいわけだが、
具体的に何が起こるかは、
実際にそれが起こってみないとわからない。

ありふれた認識には違いなく、
それが取り立ててどうということはないだろう。
本気で対米追従政策を支持している人などいくらもいないだろう。
過去の話をほじくり返して、
なんとか現政権とそれを翼賛する人たちの矛盾を
突いたつもりになっている人も多いが、
それも現政権にとって大した痛手とはならない。
そんなことはどうでもいいことだとは思わない。
だがそれ以上に現状がどうなっているのか、
それを正確に把握することが肝心だろうか。
たぶん比較する対象がずれているのではないか。
彼らは何と何を比較することで
現政権への有効な批判となり得ると考えているのか。
別にそんなことを考えているわけではなく、
ただ矛盾や不都合な事実を指摘するだけで
事足りると思っているのではないか。
たぶんそんなことは無視されるに決まっているのだが、
いくら無視されても執拗に主張し続けるだろうし、
いくら主張しても無視されるだけなのだろう。
事態はいつまでたっても平行線のままか。
それによって双方ともに利益を得られるのではないか。
しかしそこで得られる利益とは何なのか。
それはただ現状の中に存在し続けられる
ということでしかないのではないか。
そこに予定調和があるわけか。
たぶん本質はそこにはなく、
別のところにあるのかもしれないが、
その本質が具体的になんなのか、
それを明らかにしなければならないのだろうか。
日本は周辺諸国と政治経済的に結びついている。
それだけのことか。
そのことを理解しておけば、
いらぬ詮索は無用かもしれないし、
陰謀論のたぐいもそれほど気にする必要はないのではないか。
経済にしても放っておけば
貧富の格差が広がって階級社会になり、
貧しい人たちの間で不満が高まるのかもしれないが、
それは選挙でも政治でも解決不可能なことなのかもしれず、
このままでは革命が起こると騒ぎ立てても、
歴史的にはイギリスのピューリタン革命でも名誉革命でも、
アメリカの独立革命でもフランス革命でも、
国家を担う官僚機構と裕福なブルジョア市民たちの
支配が強まっただけで、
あるいはロシア革命においては、
ブルジョア市民も取り除かれて
官僚機構の完全支配となったわけで、
どの革命においても、
貧しい人たちにとってはあまり関係のないことだった。
もちろん方法がないわけではなく、
それについて有効な方法を主張することはいくらでもできるが、
それが実行に移されたためしはほとんどなく、
結局実行に移される過程で、
関係者の様々な利害や思惑が絡み合って介在して、
骨抜きにされてしまう場合がすべてなのではないか。
要するに政治的な実権を握っている人たちが
不利になるようなことは、
社会の混乱期をの除いて何一つ実行に移されたためしはなく、
人々の理性や善意や良心の発露によって、
成し遂げられた事例は皆無かもしれず、
逆にそれらの持ち主が弾圧され虐殺された事例は
数知れずなのかもしれない。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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