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彼の声

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彼の声 2015.1.12「正攻法のやり方」

2015/01/12

別に世の中の実情がどうなっているとも思えないが、
メディア的にはおかしな感覚に覆われているのだろうか。
国家単位で何をやってもうまくいかないことは目に見えている。
でも他にやりようがないから、
世界中の政治家たちが最後の悪あがきの最中なのだろうか。
何が最後ということもないのだろうが、
とにかく悪あがきに感じられてしまうわけで、
手詰まり状態にあることは確かなのかもしれず、
今までにやってきたことが、
何かそれなりに効果を上げたわけでもないのだろうが、
政治というのは常に
最後の悪あがきとしか思われないようなことの
繰り返しから成り立っているのかもしれない。
それに対して何か提言したい学者や評論家たちが、
いかにももっともらしいことを主張して、
それの実行を迫るのだが、
戦争や経済的な混乱期を除いて、
それがちゃんと実行された試しも
うまくいった試しもないように思われる。
世の中が安定していて、
比較的平和な時期であれば、
それでかまわないわけなのか。
たぶん制度を担う官僚機構に実務をまかせておけば、
政治家があえて何かやる必要がないのに、
何かやっているように見せかけないと、
選挙でその政治家に投票した人たちが納得しないだろうから、
自分たちが行政を制御しているように
演じているわけなのだろうか。
別にそんなことはわかりきったことで、
何か目新しいやろうとすると、
あるいは既得権益を破壊しようとすると、
たちまち官民挙げての抵抗に直面し、
数年前の民主党政権のように、
メディアと官僚とアメリカによって潰されてしまったわけだが、
たぶんそんな経緯から、
人々の間に無力感が蔓延し、
政治に対する無関心や諦念が生まれているのだろう。
それはそれでまっとうな反応だし、
無理もないことかもしれない。
それはそれで自然な成り行きなのだろう。
それでかまわないとは思わないが、
そうなって当然の結果がもたらされているのだから、
多くの人たちが
そんな結果を真摯に受け止めている証拠かもしれない。
民主主義というお題目を信じられないなら、
無理に信じる必要もないのだろう。
そんなわけで政治的な無関心であったり、
それを装う人たちに期待するわけにはいかないのは
もちろんのことで、
そういう意味では反体制を標榜する人たちは、
今や貴重な存在かもしれない。
また為政者に対して反感を抱き、
ネット上でそれを公言している人たちにも共感したいところだ。

ひとまずそんな姿勢でかまわないのではないか。
虚無的に振る舞ったり、
ひねくれ者を装っても意味があるとは思えないし、
反体制的なスタンスで、
政府や議会の与党や首相の強引なやり方に反発して、
批判していればいいわけだ。
野党勢力やそれを担っている政党や政治家を
応援するのもいいだろう。
ふざけた言動を駆使して揶揄や皮肉を連発して、
単独者を気取ってそこから逸脱する必要はないらしい。
ネトウヨ的な国家や民族の英雄的な自画自賛も
恥ずかしいだけだし、
口汚く隣国や特定の民族を罵るのも気がひけるのではないか。
では個人の行動や活動の自由や、
経済的な利益追求の自由も認めなければならないだろうか。
自由を追求したければ追求すればいいのではないか。
社会の中で生きている限りは、
それほど勝手なことができるとは思えないが、
自分が有利になるように、
うまく事が運ぶように画策するのは、
誰もがやろうとしていることではないのか。
そんなことの範囲内に、
政治的な目的もあるのだろうか。
たぶんそれは本来の目的から逸脱しているのかもしれず、
そこに個人や家族や会社や民族や国家の間で
境界が引かれてはまずいのかもしれない。
それらの何が目的なのでもない。
たぶん自分にとって良かれと思うことは、
他の誰にとっても良いことでなければならないのだろうが、
どこまでが良いことなのか、
その良いことが及ぶ範囲の境界を区切ってはまずいのだろう。
だが他の誰にとっても良いことなどわかるわけがなく、
そんなものがあるなんて信じられないのかもしれず、
だから人々は安易なことをやろうとしてしまい、
利己的な行為を優先してしまうわけだ。
少数の人たちがネトウヨ的に暴走してしまうのも
無理のないことだろうか。
民族の誇りだの愛国心だのに凝り固まるのも
仕方のないことか。
仲間と一緒になってそれをごり押ししてしまい、
他の人たちに迷惑をかけているわけだが、
ある程度はそうなってしまっても、
そういうことをやらせておいたほうが、
体制にとってはありがたいことだろうか。
良心的な人々の注意をそちらに逸らせておけば、
反体制勢力の力を分散させ、
まとまるのを阻止できるかもしれない。
それに加えてアメリカ軍の基地や反原発闘争や貧困問題などに、
いくらでも反発を招く要因を作り、
それぞれに関わらせ、
それらに関わっている人たちを互いに分断すればいいわけか。
そんなふうにして
ごく少数の活動家と一般大衆とを分離してしまえば、
それぞれの活動が大して盛り上がることもなく、
メディアが国民的な関心事として
騒ぎ立てることもないのではないか。
別にそれが体制側の狙いというわけでもないのだろうが、
結果的にそうなっているとすれば、
そんなことをやらせておけばいいわけで、
そのまま放置すれば
いくらでもやってくれると思っているのではないか。
そんなことが繰り返されている現状を
維持継続させて行けばいいわけだ。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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