文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.1.11 「未知との遭遇」

2015/01/11

何を語るにしても選択肢が無数にある状態が望ましい。
模索しているのはそういうことだろう。
人に無限の可能性があるとは思えないが、
可能な限りは求めているのかもしれず、
それが正しいか間違っているかの判断を下す以前に、
行おうとしているのは確からしい。
そこで何かを実行し行為しようとしているわけだ。
そしてそれをやってしまえば、
後からそれをやったことの報いを受けるわけか。
やはりあるのは無限の可能ではなく、
有限の行為でしかないようだ。
それが及ぶ範囲も極めて限られている。
抽象的なことを述べているうちは無限に思われるが、
話が具体的な事物に及ぶと言葉の選択肢が限られてくる。
そこで何を語ればいいわけでもなく、
何も語れないわけでもないが、
それについて語らなければならなくなり、
それとは何かと問いたくなってくるが、
それが自然と自問自答を誘発して、
自己言及へと至るらしい。
そこでおしまいとなってしまいそうだが、
時にはそれを乗り越え、
あるいは周到に回避しながら、
それとは別のことを語らなければならない。
ねばならないではなく、
実際に語っているわけだ。
富や名声とは無関係に何かが行われ、
人を惑わせている。
その一方で相変わらず富や名声に関係することも行われ、
メディアを通じて世界中でそれらの行為が語られ、
文字の連なりとして、
あるいは音声や映像が付け加えられ、
膨大におびただしく流通しているわけだ。
どちらもありなのであり、
どちらであってもかまわないのではないか。
富や名声とは無関係な行為の担い手には
何も救いはないし、
やっていることも報われず、
過ちでも犯罪行為でもなく、
戯れとも思われず、
日々の日常の中でこなしているわけだ。
とりとめがないだろうか。
たぶんそうだ。
そうであらねばならないのではなく、
そうであってもなくてもかまわないようなことが行われ、
そこで誰が何をやっていようと、
他の誰からも見向きもされないようなことを
やっていてもいいのであり、
無視されて当然であるようなことが行われているのではないか。
しかもそれだけではない。
やっていることがすべてではないわけだ。
他にやってもやらなくてもいいようなことが山ほどあり、
それらの数は果てしない。
それらが無為の行為である限りは、
それらの中から何か特定の行為を選んでやっているとしても、
そこから利益を得ようなんて考えないほうがよさそうで、
そのほとんどは他人の思惑とは無縁のなのであり、
自然現象の一部でさえあり、
誰がやろうとしてやっているような行為でもない。

結果など気にしないほうがいいようだ。
いちいち気にしていられない状況なのだろうか。
こだわるような結果などもたらされないだけかもしれず、
それは何の結果でもありはせず、
気に入らないからといって、
はじめからやり直すことなどできはしない。
すでに取り返しがつかない。
後戻りできずに前進するしかないわけだ。
すべてがそうなってしまっているのではないか。
そしてその逸脱した言葉の連なりを
どう現実に結びつける気なのだろうか。
気ではなくつもりなのか。
現状では荒唐無稽だろうか。
だがそれもいつものことでしかなく、
国家主義や資本主義や民主主義を打倒するのではなく、
何か他にもっと現実的なやり方がないだろうか。
現状でも国家とは無関係な営みが国家を超えて世界中に広がり、
金儲けや商売に反する行為も世界中に広がっているはずで、
ただそれらの行為が政治経済的な言説では無視されているわけで、
メディアを介して人々に伝わっているとしても、
改めて問題となるようなことでもないのだろう。
人々は意識せずにそれを実践している。
今はそれだけでは生きて行けないだろうが、
たぶん今後そんな領域が
社会の中で徐々に浸透し広がっていくのかもしれず、
あからさまにそれを推進するのではなく、
日頃の行為の中に
意識せずに忍ばせておくことが大事なのかもしれないが、
何が大事だとも感じないレベルで
そうしていけばいいのだろうか。
しかし具体的に何をやっていることになるのか。
現状では何も具体的ではない。
自身が何をやっているのかもわからないままに、
それをやっているとすると、
それは人為的な操作や制御とは違い、
人にはどうすることもできない自然な行いでしかないのではないか。
でしかないのではなく、
実際にそうやっているわけだ。
何をやっているかは気づかずとも
かまわないようなことをやっている。
たぶんそれに期待したり一縷の望みを託したりしても
無意味なのだろうが、
無意味であるからこそ、
人為的な国家・資本・民主といった主義主張の罠を
すり抜けることができるのであり、
それらの宗教的な教義を無化する可能性もあるのかもしれない。
しかしそれとはなんなのか。
例えばそれはファストフードや居酒屋チェーンなどの
アルバイト店員が抱いているようなことかもしれず、
今のところはそれがなんだか判然としないが、
そこに未来への可能性があるのではないか。
その立身出世願望などとは無縁の境遇からもたらされた感覚が、
従来のありふれた価値観を無化してしまうとき、
それに代わる何がもたらされるわけでもない代わりに、
たぶん何ももたらされないことが肝心なのかもしれず、
そんな生息環境以外には何もないことが、
人をそれまでには思いもしなかったような方面へと導くのだろう。
要するに今のところは
それがなんだかわからなくてもかまわないわけだ。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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