文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2013.12.30

2013/12/30

システムは変えようとして変わるものではないらしい。
それでも変えられると信じて変えようとしなければならず、
変えようとする人たちが変えようとして、
変えることに失敗しなければ、
結果としては変わらないのではないか。
そのようにして変えようとする試みが常に失敗し続けて、
誰もがそれらの失敗に落胆したとき、
彼らはシステムが変わっていることに気づかないわけだ。
システムは思いもよらぬところで変わっていたりする。
変えることに失敗しなければ変わらないというのも厄介なところだ。
変革のための理論が次々に様々に編み出され、
それらが実行に移され、
それに失敗して落胆し、
変革の期待が裏切られ、
世の中に失望感が広がった状況の中で、
何かが確実に変わっているのであり、
その時は気づかないかもしれないが、
時が経てばそれを実感できるようになるのかもしれない。
だから民主党だろうと維新の会だろうと、
変革に失敗した連中には
どんどん罵声を浴びせさせてやればいいのだろうか。
そういう調子に乗って罵声を浴びせている人たちには、
常にざまあみろと思わせておかないと、
なかなか隙が生じないのであって、
そういう人たちを慢心させて隙を作らなければ、
世の中はなかなか変わらないということか。
それも少し違うだろうか。
たぶんそれも違うのであり、
そんなふうには語り得ない成り行きを経ないことには、
なかなかうまい具合には変わらないのかもしれず、
そもそも世の中は
うまい具合には変わらないような変わり方しか
しないのかもしれない。
ともかく戦略も戦術も固定していてはだめで、
その場の状況に合わせて変えていかなければならず、
しかもそれに失敗して挫折しなければならないということだ。
要するにその手の変革者は常に敗れ去らなければならず、
彼らは彼ら自身が目指した変革の犠牲者とならなければならない。
そんな過酷な運命を受け入れなければ、
変革など実現しようがなく、
そんなわけで世の中を変えようなどと思ってはいけないのであり、
しかも変えようとしなければ変わらないのであり、
変えられることを信じて変えようとして、
それに失敗して世間を失望させ、
罵声を浴びせられなければ変わらないということだ。
そしてその結果として生じた変化は、
変えようとした者にとっても罵声を浴びせた者にとっても、
決して満足のいく変化ではないということだ。

常に何から逸脱するのは必然的な成り行きか。
たとえそれが宿命だとしても、
理論を構築しようとする誘惑からは逃れられず、
何やら試行錯誤の末に完璧な理論を導き出し、
その通りにやればすべてがうまくいくような理論の完成を夢見て、
理論家は今日も飽くなき試行錯誤を繰り返し、
究極の理論を導き出すためにがんばっているわけか。
そんな理論家の物語を夢想しながら、
そんなことを語り、
それがどんなことでもないとしても、
たぶんそんな夢想は果てしなく続き、
たとえ夢想家が息絶えても、
別の夢想家がそれを引き継ぎ、
引き継ぐとともに別の夢想も混ぜ合わせ、
それを含めて新たな夢想として物語り、
それを他の誰かに伝え、
そんな伝承がこれからも果てしなく続いてゆけばいいのだろうか。
君にとっては面倒なことだ。
物語はいつまで経っても終わらず、
執拗に語り継がれ、
世の人々に影響を及ぼし、
新たにそんな魅力に取り憑かれた多数の夢想家を生み出し、
彼らが人々を夢の世界へと誘い、
人々の夢の中で、
誰もが望む理想の世界が構築されようとしているのだろうか。
実際に睡眠時間を利用して、
夢の世界で生きる試みも行われているようで、
そういう人たちは現世での煩わしさから逃れるために、
夢の世界こそが真の世界で、
現実の世界は仮の世界であるような思い込みに取り憑かれ、
そんな思想を世界に広めるための団体まで設立されているらしく、
そこの教祖様みたいなのが
盛んに勧誘活動をしているみたいだ。
君たちもそんな人々の仲間入りがしたいのだろうか。
誰が何を夢想してもかまわず、
夢想しているだけなら人畜無害だろうし、
昼間は従順な労働者を装い、
黙々と働き、
仕事もそつなくこなし、
うざい上司にも媚びへつらい、
人としての正義や倫理が試される場面でも、
過不足なく世間体が許される範囲内で、
マナーやモラルを優先させ、
羊の群れに紛れ込むようにして生き、
多数派におもねり、
決して自らが突出しようとは思わず、
そのようにしてたまった憂さを晴らすためにも、
睡眠中に夢の中で好き勝手なことができるようになれればいいわけか。
何やら心に念じることで、
幽体離脱体験ができるようになれば、
夢の中で夢を見ていることを自覚できるようになり、
夢の内容も意識して制御できるようにもなるらしい。
世に言う臨死体験もそんなことのたぐいのようで、
死の危機に直面することで、
夢を制御できる力が解放され、
死につつある意識にとって、
もっともふさわしい夢を見させてくれるらしいが、
本当のところはどうなのだろうか。
現実逃避のもっとも有効なやり方が、
夢の世界で生きることか。
あまりその手の神秘主義にのめり込むのも面倒に思われ、
とりあえずは現実の世界で
娯楽にうつつの抜かす程度にとどめておきたいところかもしれないが、
まあ人それぞれで、
中には現実の世界を変えようとして、
そんな思いの犠牲者として、
自らを仕立て上げようとしている人もいるのではないか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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