文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2013.12.14

2013/12/14

気概とは何だろう。
いらぬことまで考えようとすることと何か関係があるのだろうか。
でもなぜそう思えてしまうのだろうか。
そう思う理由がわからず、
いたずらに無用な言葉を連ねるばかりとなっているようだが、
そんなふうに思えてしまうのだから仕方がない。
まだ時期が早すぎるのであって、
その理由は後の時代にならないとわからないのだろうか。
ならばもう少し待たなければならない。
いつまで待つのか気が知れないが、
いつものように待ちくたびれて、
理由がわかる頃には、
そんなことなどどうでもよくなってしまうのかもしれないが、
そして忘れた頃に知りたくもない理由を聞かされ、
腹が立ってしまったりして、
そのとき腹が立っている理由さえわかず、
やはりそんなこともどうでもよくなってしまい、
そんな理由を考えるのが面倒くさくなっているのだろうか。
何を想像する理由もありはせず、
どう考えてもうまく説明できないようで、
考えていること自体が要領を得た説明に至るのを
阻んでいるのかもしれず、
要するに考え過ぎなのかもしれない。
それでも君は様々なことを考えていて、
考えすぎていることを楽しんでいる。
いくら考えても虚しくなるだけで、
それが愉快でたまらないらしく、
ひたすら無駄に考える。
もはや矛盾しているどころではなく、
思考の暴走を食い止められなくなっているのかもしれない。
そんなふうに思えば納得がいくだろうか。
でも相変わらずそう思う理由がわからないままで、
納得がいかない理由もわからない。

すべてが昔の思考のようだ。
人はそれを簡単に考える。
そんなことではないのにそう思い、
そう思わなければ気が済まなくなり、
そういう思考が自らの内側で固まってしまう。
人々はそういう凝り固まり具合を競い合い、
それを見せびらかし、
自慢し合っているのだろうか。
要するに固定観念にとらわれているということだろうか。
それをごり押しすればするほど、
そうやっている自らの勝利を確信するわけか。
結局は力を行使して、
標的となる者を黙らせる。
そんなやり方となるしかないらしく、
実際に飽きもせずそんなことが執拗に繰り返されているのだろう。
いくら世の中の仕組みを変えようとしてみても、
そういう傾向はなくならず、
程度の差があるだけで、
例えば北朝鮮では邪魔者はすぐに殺されてしまうが、
日本では長期間に渡って執拗な批判に晒され、
それが当人が役職を辞めるまで続けられるわけか。
邪魔者の社会的な立場にもよるのだろうが、
法律違反が明確になれば、
日本でも身柄を拘束されて裁判にかけられ、
罪に応じて何らかの社会的制裁を受けるのではないか。
場合によっては死刑になって、
実際にそれが執行されているわけだ。
そして人々はどうしても死刑制度をやめたくないらしく、
世論調査をすれば死刑制度を容認する意見が多数を占めるのだろう。
それでも死刑制度を廃止したら、
日本の国会議員の良識を世界が賞賛するのかもしれないが、
今のところはそこまで人間ができている議員は少なそうだ。
事故になった時の原発の危険性や放射性廃棄物の処分場問題より、
再稼働させた時の経済的な利益が優先されるようだし、
まあその程度の人たちといえばそういうことなのかもしれない。

それでも楽しい世の中には違いなく、
思い通りに振る舞えれば愉快な気分となれるのだろう。
そうなるには何かを断念して、
断念したことを忘れ、
断念したこと以上の価値があるように思われる行為に夢中になれれば、
それで気が済んでしまえるのかもしれず、
思い通りにやっているような気になれるのだろう。
そんな気になれない人はどうするのか。
それなりに生きていけばいいだけか。
言うは易しで行うは難しなのだろうが、
あまり物事を簡単に考える気にはなれず、
簡単にうまくいくようなことをやっているわけでもないらしく、
うまくいかずに思い悩みながら生きている人が大半なのだろうし、
それもどうということはない世の常であって、
その時々でそれなりに喜怒哀楽の気分を経験しつつ、
生きて死んでいくだけで、
その合間に何か考えているのだろうが、
うまく考えがまとまらず、
苦労して何か成し遂げたつもりでも、
あっさり無視されてふさぎ込み、
嫌になってしまうのかもしれないが、
やはりそれがどうしたわけでもなく、
相変わらず考え込み、
相変わらず何かやっているのであり、
懲りない性分なのかもしれないが、
腐らず焦らず地道にやっていくしかないようで、
あまり過度な期待は抱かず、
そんなものだと思うしかなく、
冷めた気分で何かを続けながら、
そのへんで何かがうごめいているわけか。
何がうごめいているのか。
現状を捉えるとすればそうなり、
それが間違っているとも思えないが、
できればそんな現状から抜け出して、
何かそれとは違った状況に至りたいのだろうが、
今のところは抜け出せないようで、
相変わらずの現状に嫌気がさしつつも、
そんな現状の中に安住しているようで、
それはいつまでも続かないことは承知でいるらしく、
将来に対する漠然とした不安に苛まれ、
でもそれをどうすることもできず、
結局はそれ以外は何もできないまま、
そこにとどまっているわけか。

君は何をあきらめてしまったのか。
今では幻想に浸っている気にもなれず、
ただひたすら考えている。
それも君の想像から生じた幻想の一部だろうか。
本当は何も考えていないのかもしれない。
精神的に追い込まれて考えるゆとりさえ失ってしまったのか。
またそんな作り話が生じようとしているらしい。
テレビのバラエティー番組で遊んでいるふりをしている芸人たちは、
何か他にやることがあるのだろうか。
たぶん他にも仕事があり、
それなりにきつい仕事をこなしているわけか。
テレビ番組を仕切り、
高い出演料を得て、
つかの間の何かを享受して、
人々にそれなりの話題を提供しているわけだ。
そして番組のスポンサー企業の宣伝に一役買い、
そこからカネが出ていて、
NHKなら強制的に徴収した受信料からカネが出ていて、
そんなふうにして何かが成り立っていて、
そこで成り立っているシステムの維持継続に貢献しているわけか。
どこでもやっていることは変わらないようで、
それが国家となると、
国民から強制的に徴収した税金と、
国債を発行して得た借金によって、
それらのシステムは維持継続されていて、
国民が選挙で選んだ議員が
議会でそれらを運営する予算を承認する仕組みとなっていて、
そのシステムを統括する責任者も議員から選ばれ、
形の上では国民が自ら進んで
それらのシステムを運営する主体となっているわけだ。
しかしなぜそれがとんだ茶番だと思われるのだろうか。
それが形の上だけであり、
実質的には違うわけか。
実質的にもそうなのではないか。
要するに形の上でも実質的にもそうなのであり、
そうだからこそ、
とんだ茶番だと思われてしまうのではないか。
それが議会制民主主義の制度の本質であり、
多数派による支配とはそういうものであって、
民主主義と呼ばれる人間を支配する制度自体に、
えも言われぬ嫌な抵抗感がともなっているのかもしれない。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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