地域別

くまから・かまから

みやこふつ(宮古島の方言)で語るエッセイや方言講座、民謡解説、おしらせなどがあります。宮古島出身の人も、そうでない人もまーつき(一緒に)みやこふつを楽しみましょう。

全て表示する >

くまから・かまから vol. 227

2010/09/02

■── 宮古島方言マガジン ────────────────────■
 
  くまから・かまから  第1・3(木)発行 《vol. 227》 2010.9.2
 
■─────────────────────────────────■
    もくじ
     「甲子園秘話」          あすなろ
     「認知症」            大和の宮古人
     「昔話」             myklibvo1
     「編集後記」           松谷初美

      こんにちは〜。
     9月になりましたね〜。
     あすが、この暑さは、のーしぬばー(どういうこと)?
     暑さは熱いので吹き飛ばそう!
     今回は、あの甲子園の ぱなすから ぱずみっとー!

==================================
「甲子園秘話」           あすなろ(平良・東仲出身)
 
 YSイレブンは、奄美大島空港を乗り継いで鹿児島空港を目指します。
鹿児島から陸路で甲子園へ。この長旅、疲れは全く無く「修学旅行みたい
に楽しかったサー」と笑いながら話して下さった池村さん。
 
 宮古島から興南高校の選手としてはじめて甲子園に出場した彼だ。クイ
チャーマンさんの親友でもある。彼はショートで8番でした。
 
 時は、1966年(昭和41年)第48回大会。その2年後が、かの有
名な「興南旋風」の第50回大会。我喜屋監督は、池村さんの2年後輩だ
そうです。
 
 当時、高野連(副?)会長 の佐伯さんが「遠いところをご苦労さん」
と、わざわざ、駅まで迎えに来て下さったとの話にビックリ。その頃の、
沖縄球児達は「お客さん的存在だった」と池村さん。甲子園の秘話です。
 
 「沖縄の土は、赤土で硬いさーね。それに比べて甲子園の土は、砂の上
でプレーしている感じだったさー。ぴんなぎ(変な)感じだったよー。そ
れと、甲子園球場の観客席は段々と上にあがっているから、目線が観客席
とダブって、プレーしにくかったさー。当時も沖縄より甲子園が暑かった
よー。甲子園の砂は隠して持ってきたさー」と池村さん。
 
 延長の末、「6対5」の逆転で惜敗した竜ケ崎一校(茨城)戦から43
年。首里高校が初出場してから半世紀。春夏連覇の快挙を成し遂げた興南
ナイン。その場に、クイチャーマンさんと立ち会えた喜びは格別です。
 
 掲示板(8月22日)にも書きましたが、歴史的な瞬間に立ち会いたく
て向かった甲子園。10余年ぶりです。蔦の生い茂った昔の面影はありま
せんでした。春夏連覇の偉業もさることながら、決勝戦が終わった閉会式
の前段に思わぬ事が起こりました。
 
 何処からともなく始まったウエーブが甲子園をおおいます。そこには、
勝者も敗者もありません。東海大相模の応援団にもウエーブが繋がります。
2〜3周で終わると思いきや、「閉会式を始めます」のアナウンスもかき
消すほどの凄いエネルギー。6回目でようやく終わりました。「この感動
をありがとう!」その思いが球場を一つにしたんだと思います。
 
 それまで我慢していた涙線が緩んでしまい、涙は流れるままにしておき
ました。閉会式が終わったあの猛暑の甲子園に、秋風を思わせる風が一瞬
吹き抜けました。
 
 高校球児達には、野球ができる幸せを感じとって欲しい。心からそう思
います。「平和」であるからこそ、この感動が共有出来るのだと思います。
「平和」である事の尊さを、さらに実感する貴重な1日でした。
 
 もう1度。興南ナイン感動をありがとう!
 
==================================
「認知症」            大和の宮古人(城辺・長南出身)
 
 ばがふっふゃぬ、どぅすの あんなんかい どぅ いだあいたーゆ
(息子の同級生のお母さんと数年ぶりにお会いした)。久し振りに井戸端
ならぬ路端会議と相成った。
 
 ご主人様が一人っ子であった事から、あんなとぅ、まーつき せいかつ
しっしうーゆ。(お姑さんと同居している)
 
 近所でも有名な仲良し親子で、んざゃんかいまい まーつきどぅ まー
りゅうたー。(何処行くのもいつも一緒だった)。うぬ、あんながど、認
知症かいなりうーっつぁ。(そのお姑さんが認知症になったようである)
 
 どぅすぬ、だりううんだかに ぱなし、うーたー(彼女が疲れたように
呟いた)
 
 「病気って凄いね、人格を変えてしまったよ。あんなに優しかった義母
なのに今は悪態ばかりついている。ブツブツ喋っているから、“なにか云
った?”と聞くと“何でもないよ!!”と怒鳴り返し“調子に乗りやがって
このアマは”“その内に痛い思いをさせてやる”と呟く。最初は義母から
出た言葉だとは信じられなかった。長年私に対して不満を持って生きてき
たのかな?義母の正直な気持ちが病気となって現れてきているのかな?と
か考えるとやるせない気持ちで一杯になる」という。
 
 「毎日人には云えない苦労があるよ。自分の気持ちに余裕があるときは
何を云われても優しかった時の義母を思い出して聞き流がせるけど、余裕
がないときは、怒りを感じてしまう。でも落ち着くと怒りを感じた自分に
腹がたって涙が出てくる」という。
 
 息子である彼女のご主人が最後まで自宅で看てあげたいとの希望から施
設にも入れずに自宅で介護しているらしいが、24時間面倒を看て家事もこ
なさなければいけない。
 
 夜間の徘徊がないからその点、安心のようだが心配で熟睡も出来ない。
たまにはグッスリ眠りたいときもあるが、熟睡している間に何かあったら
と思うと薬も飲めないという。
 
 この状態が長く続けば介護している方が倒れてしまうだろう。彼女が壊
れる前にどうにかして欲しいと思うが・・・。
 
 勤めていたクリニックの4・5軒隣に認知症だけが入所できるグループ
ホームがあった。医療が必要な時には介護師に付き添われて来院するが、
気に入らないと叩かれ、蹴飛ばされ、唾を吐き掛けられ、罵詈雑言は日常
茶飯事だった。自分の身内に同じ事をされたら腹も立つと思うが、仕事と
わりきっているから気にならない。(打算的な言葉に聞こえるかもしれな
いが私の本音だ)
 
 彼女も一人で抱えこまず他の助けも借りた方が、気持ちもユッタリして
もっと優しい気持ちで向き合える気がする。しかし、どんなに彼女の事が
心配でも他人の私では手助けにも限度があり、もどかしさを感じる。
 
 子供の頃、我が家の曾祖母も認知症になり一日中ご飯がまだかと訴えて
いた。子供の私は曾祖母の病が理解できずに悲しい思いをしたが祖母と母
は「死ぬ時はコロッと逝きたい。家族に面倒は掛けたくない」と話してい
たことからするとやはり大変だったのだろう。祖母は一晩でコロッと逝っ
てしまった。母はまだ元気だが今でも同じ事を云っている。
 
 あすがー ばんまい ゆーど むぬう ばすきだら(私もよく物忘れを
するよ)。いつの頃からか何かを取りに向かっても途中で忘れてしまい、
戻って考えることも一度や二度ではない。人の名前も直ぐに出てこない。
あれあの人となる。息子の名前を呼ぶ時は甥や姪の名前まで出てくる。そ
の度に認知症かな?と気になる。お医者さんに聞くと、年相応の物忘れだ
よと簡単に言われるが、本人は真剣に悩んでいる。
 
 んなままい あんちううすが、んなまからぬどぅ、だいず しゅわんど
ぅなす゜(今でさえこうなのだから将来が心配になる)。息子ひとりしか
いない身としては自分の事が出来るうちにコロッと逝きたいと思う。まあ、
思い通りに行かないのが世の常ではあるが。
 
 いつーがみまい、とぅすぅばー とぅたっふぁ なゃーんてぃ うむい
うゆう(何はともあれ、年は取りたくないと思うこの頃である)
 
==================================
「昔話」               myklibvo1(平良・下里出身)
 
 ※このショートストーリーは「第2回沖縄映像コンペティション」の応
  募用に書きました。琉米文化会館について書かれた資料と、当時働い
  ていた方へのインタビューをもとにしたフィクションです。
 
  コンペに応募した理由は、この建物の取り壊しがせまっており、戦後
  から宮古に残る唯一の文化施設を記録したい思いがあったからです。
  この企画は1次審査を通りましたが2次審査で力及ばず落選となりま
  した。しかし、今回、こうして多くの方の目に触れることが叶いまし
  た。ありがとうございます。
 
  映像化を前提としており、また私が素人なのでのちのち細部をプロの
  方にご相談しようと思っていたこともあり、稚拙な表現ではあります
  が、宮古島の図書館により多くの方が関心を持ってくださるきっかけ
  になりましたら嬉しいです。
 
      〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

             「昔話」
 
 白いビニール袋にはタバコとアイスケーキが入っている。男性は近所の
商店から帰るところだった。年は八十を超えるこの男性の足取りはしっか
りしている。宮古島の日差しは厳しいが、健康を気遣ってなるべく歩くよ
うにしている。
 
 孫がこれから遊びに来るという。いたずら好きのぼうちらでいつも手を
焼かされる。おやつを渡せばいくらかおとなしくしてくれるだろうと三十
円のアイスケーキをまとめ買いした。
 
 商店街の十字路を渡ろうとして車が来ないか左右を見る。ふと、左手奥
に見える建物の壁が目に入った。晴天の青い空によく映える朱色だ。何十
年も変わらない見事なコントラスト。そこはかつて戦後に米国が建てた図
書館だった。彼の職場だった。
 
 「たしか・・・・」
 
 彼は一週間前のニュースを思い出した。久しぶりに行ってみようか。ア
イスケーキが溶けるのが気になるが少しくらいかまわないだろう。冷凍庫
に入れれば元に戻る。



 前庭では既に雑草が伸び始めていた。人の手が入らなくなった庭という
のはなんとも物寂しい。あのときと同じだ。既視感に目を細める。
 
 入り口に目をやると、ドアの前に女の子が立っていた。十歳くらいだろ
うか。肩にかかるまっすぐな黒い髪、Tシャツとショートパンツから細い
手足が伸びる。日焼けのない白い肌。本土から来た子どもだと直感した。

 「お嬢さん、ここの図書館はもうやってないよ」
 
 声をかけると女の子は振り返った。二重まぶたの大きな目が見上げた。
 
 「えー、休みなの?」
 
 がっかりした様子で口をとがらせる。眉がしっかりと太い。沖縄顔だ。
 
 「あんたはー、宮古の子か?」
 
 男性が尋ねると、母親が宮古生まれだという。今は東京に住んでいて、
夏休みで遊びに来ていた。遊び友達もいなくて暇を持て余していたところ
に母親に図書館を勧められた。
 
 「でもここさあ、小さいし、ボロボロだね。うちの近くの図書館のほう
が大きくてきれい。なんかびっくりした」

 彼は苦笑いした。確かにこの建物は五十年を迎えようとしていた。閉館
した理由も老朽化で安全面が憂慮されたからだ。しかし「小さいしボロボ
ロ」と言われて、少なからず彼の心は傷ついた。人生の大半を過ごし、運
命を共にしたかつての愛着のある職場である。袋の中のアイスケーキが気
になった。そして彼はよいことを思いついた。
 
 「この図書館はねー、今は小さくてボロボロだけど、できたころは宮古
で一番の新しい場所だったんだよ。あんたは時間はあるかー?おじいの話
を聞いてみるー?」
 
 差し出されたアイスケーキに女の子は目を輝かせた。



 ここの図書館を作ったのはアメリカなんだよ。日本が戦争に負けて沖縄
がアメリカのものになった時代があったわけさあ。知ってる?そうか。
 
 でね、アメリカは沖縄で自分の国の文化を伝えていこうとしたわけ。ア
メリカでは文化を発信する場所は図書館だから、沖縄でも同じように図書
館をつくった。みんなが行きやすいように市街地の一等地に、琉米文化会
館という名前でね。
 
 宮古だけじゃないよ。那覇や八重山にもあちこち作られた。はじめは木
で作った建物だったけど、アメリカの人は台風を知らんかったかねー。建
ってすぐにすっ飛んださあ。いま目の前にあるのはその後に建てられたん
だよ。丈夫なコンクリートでできた新しい図書館が生まれた。時代のはし
りだった。宮古島で初めての洋式トイレもあった。トイレだーけ、見に来
た人もいたさあ。
 
 ここではね、本を置くだけじゃなくて、楽しい催しをたくさんやったよ。
ダンスパーティやったり、レコードかけたり、映画の上映とかね。ここだ
けじゃなくて城辺とか地方にも車ででかけて行って、同じように本を貸し
たり映画を流したりした。テレビを今みたいにみんなが持ってる時代じゃ
ないからね。仕事が終わったあとにみんなが楽しみに集まってくれた。
 
 そうそう、この庭は今は草ぼうぼうだけど、あの頃は花がいっぱい咲い
ていた。近所のお花が好きな人たちがボランティアで世話をしてくれてね。
そんな具合に地域のひとがいろいろと手伝ってくれた。英会話教室もやっ
てくれる人がいたよ。これはね、図書館を指導していたアメリカ人の方針
だったわけ。
 
「地域にはさまざまな分野の専門家がいるものだ。職員はそういう人をみ
つけて、先生にして、ほかの人が学べる講座をつくりなさい」
 
 いつも厳しかったなあ。あるとき、朝の話し合いのときにね、女性の職
員にこう言ったよ。
 
「あなたは昨日何人のお知り合いに図書館を話題にしましたか?」
 
 つまりね、図書館はみんなが使ってくれることが大事なんだね。だから
普段から「こんな本はいりましたよー」「こんな催しやりますよー」って
話題にしなさいよ、ってね。たくさんの人が集まる場所だった。若者もね。
 
 結婚した人はいるかって?ここで出会って?女の子はこういう話が好き
だね。どうだろう、うーん。ああ、そうだ、交換手紙をしていたふたりが
いたよ。誰もいかないような難しい本ばかりの書棚の裏に隠してね。私は
偶然見つけたのだけど、そのままにしておいた。どうなったかねえ、あの
二人は。
 
 さて、この図書館、役目を終える時が来た。沖縄を日本に返すことにな
って、それに合わせて図書館もおしまい。閉館は急に決まって私たちは次
の仕事をみつける余裕もない。最後に鍵を閉めたときのことをよーく覚え
ているよ。いつものようにガチャンと閉めて、手の中の鍵を見た。そうい
えば、この鍵はどうするのかねー?ってまじまじと。そしたら、役所の人
が「やあやあごくろうさん」とやってきて、持っていってしまった。
 
 手紙はどうなったか?ああ、さっきの話か。そうだね、あんたの言う通
りだね。もしかしたら届かなかったかもしれないね。そうか、あのときは
考えもしなかった。
 
 ここが閉まって、誰も来なくなった。庭も手入れが無いから草がぼうぼ
うに茂って近所から苦情がくるほどだったよ。ほら、ちょうど今の庭みた
いな・・・。
 
 あー、いやいや、ここはあのときのままじゃないんだよ。そのあと国が
宮古に土地と建物をタダでかすよーってことになったんだけど条件があっ
てね。「図書館として使うこと」ってね。こうしてまた図書館として復活
することになった。そのあと名前が変わったりいろいろあったけれど、も
う五十年近くここにある。



 男性は朱い壁を見上げた。木陰に静かな風が吹いた。
 
「お母さんもここで本を読んだって」
 
 アイスのなくなった棒をくるくる回しながら、女の子は言った。
 
「でもまた、なくなっちゃったの?図書館」
 
 男性ははっとした。言い忘れていた。
 
「新しい図書館を作るんだよ。時代に合わせた、今のみんなのための新し
い図書館を。あんたの言う通り、小さいし、ボロボロになってしまったか
らね。」
 
 「それまでお休みかあ・・・・。あ、お母さん」
 
 日傘をさした女性が前庭の入り口に立っていた。「どうもすみません」
と恐縮した表情でお辞儀をする。男性も立ち上がり「ああ、いえいえ」と
胸のあたりで手を振る。女の子は母親のもとへ駆け出した。
 
 男性はビニール袋に残った、液体のアイスケーキを見て頭をかいた。買
い直さないといけない。
 
==================================
「編集後記」             松谷初美(下地・高千穂出身)
 
 お盆で宮古に帰っていました〜。
宮古は東京より涼しかったよ〜。風も南風より、にす(北)や あがず
(東)から吹いていた時が多かったかな。でも紫外線は強烈。空気も澄ん
だ感じで、特に海の青さ、空の青さは格別でした。海と砂のコントラスト
は立ちくらみがしそうなくらい鮮やか。お盆(旧暦7月15日)の月も見
事でしたよ。
 
 お盆は、母ちゃんの調子がいまいちなので、兄嫁と買い物、料理とやり
ました。スーパーには やまかさの買い物客。みんながお盆に向けて一斉
に準備をしている光景は、東京では見られないこと。いいなーと思います。
西日に照らされ(だいたい宮古の台所は西にあるのだ)、あしゃーだずだ
ず(汗だらだら)となりながら天ぷらをあげたり、しーむぬを作ったり。
家族みんなで神棚の準備をし、おじい、おばあを んかい(迎え)、送り
ました。孫や曾孫に かびじん(紙のお金)を これでもかとやまかさ焼
いてもらって、おじい、おばあもぷからすとしていたはず。
 
 25日には、伊良部に帰っていた菜の花も まーつき、恒例「和風レス
トランたまよせ」でオフ会をしました。ライターや読者の方、そうでない
方(笑)も、うがなーり(集まり)、楽しい時間を過ごしました。参加し
てくださった皆さん、たんでぃがーたんでぃでした!普段は離れていても、
こうやって顔を合わせると繋がっているんだなーと実感。すでぃがふー
(感謝です)!
 
 興南高校の準決勝、決勝の試合を宮古で見られたことも ぷからすこと
でした。素晴らしい試合でしたね。お盆もこの話題でもちきりでした。我
家は、みんな自分が監督のごとく、ああしたほうがいい、こうしたほうが
いいとうるさい。(笑)でも、そんな中で応援できるしあわせをかみ締め
ました。
 
 相変わらず時間が足りない宮古での一週間でしたが、んまーんまの(お
いしい)地のものを食べ、身も心も満タンになって帰京しました。

                ◇

 さて、今回のくまかまぁ のーしが やたーがらやー?
 
 甲子園で興南高校の優勝を目の当たりにしたあすなろさんの感激、感動
が伝わってきましたね。ウエーブの様子、臨場感がありました。池村さん
の甲子園秘話は、へぇーと思うことが多かったですね。こういう先輩たち
から繋がった今回の優勝だったんですよね。
 
 大和の宮古人さんの「認知症」の話は、経験したことある人、今まさに
そうであるという人いたのではないでしょうか。私も義父のことを思い出
しました。当事者でなければ分からないつらさというのありますよね。お
友達は大和の宮古人さんに話せただけでも、楽になったことでしょう。
 
 myklibvo1さんの話はシネマパニックの下地さんから聞いていて、ぜひ
くま・かまで紹介させてくださいとmyklibvo1さんにお願いし、快諾をい
ただきました。myklibvo1さんの図書館を思う気持ち、琉米文化会館がな
くなって、忘れられていってはもったいないという気持ちが短い物語の中
にしっかりと刻まれていましたね。今回は残念でしたが、(次点だったと
いうことですよ)いつか、映像になってほしいですね。それにしてもこう
いうことを考える若い人の存在は、頼もしく、ぷからすことやー!
myklibvo1さん、ありがとうございました。
 
 あなたの感想もぜひお聞かせくださいね〜。
 
 最近、ドミニカ共和国で読んでいますというメールをもらいました。
オゴエー、びっくりですね。アメリカ、カナダ、オーストラリア、たぶん
ポーランドでも読まれているかな。ワールドワイドなくま・かまです。笑
有難いですね。こんなところで読んでますよーのお便りもお待ちしていま
す!
 
 あて先は、↓くまがみ(こちらまで)。
 kumakama@mbp.nifty.com
 
 投稿も どんない宜しくお願いします!
 
 きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
 (きょうも最後までお読みいただき、ありがとうございました!)

 次回は、9月16日(木)発行予定です。
おしらせも やまかさありそうですよ。どうぞお楽しみに!
あつかー、またや〜。
 
──◆─────────────────────────────◆──
   編集・発行  : 松谷初美
   メール    : kumakama@mbp.nifty.com
   ホームページ : http://kumakarakamakara.hp.infoseek.co.jp/
   バックナンバー: http://www.melma.com/backnumber_33637/
   配   信  : melma! <http://www.melma.com/>
   登録・解除  : http://kumakarakamakara.hp.infoseek.co.jp/
──◆─────────────────────────────◆──

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2001-03-20  
最終発行日:  
発行周期:月2回 第1・3木  
Score!: 98 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。