哲学・心理学

国見弥一の銀嶺便り

物書きの鬼たらとする国見弥一が贈る書評やエッセイ、コラムの数々。ホムペでは掌編も随時アップ。

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国見弥一の銀嶺便り(森の音とか、宗左近とか)

2003/07/07

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☆    国見弥一の銀嶺便り   
☆              
☆  http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/     03/07/07  vol.245
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   世界各地で血生臭い<テロ>事件が発生している。テロは主に非戦闘地域で
   起きる。ところで10月にも派遣(派兵?)される自衛隊(小泉首相の評価
   では軍隊)は、非戦闘地域へ、である。テロも偶発的戦闘も起きる恐れのな
   い非戦闘地域って、一体、何処なんだろう。


   目次:●1.誰もいない森の音
      ◎ AYAさんの詩を読んでの感想?!
      ●2.宗左近著『日本美・縄文の系譜』
      ●[後欄無駄]:新規公表作品情報、ほか


   新宿は市谷近辺(柳町)の商店街で行われたサンバパレードを見てきた。前日
   の天気予報では雨の確率がかなり高かったのに、当日は雨どころか日が差して
   暑いくらいだった。我輩は天気男だったっけ。商店街はどちらのサイドも人の
   波。その波を掻き分けて活気に満ちたリズムの聞こえてくるほうへ急ぐ。
   すると、見えてきた。多分、しーさん、ちょびさんらはパレードの先頭の激し
   く踊る人たちの中にいたのだと思う。しーさんは、いつだったか彼女が自分の
   HPに瞬間的に彼女の勇姿をアップしていたので(我輩は見逃さなかった!)
   彼女だと分かった。
   問題はちょびさん。ちょびさんはしーさんの妹だというけれど、今まで妹分な
   のかホントの妹なのか確かめたことがなかった。でも、きっと、あれが、あの
   人が、そう、間違いなくちょびさんなんだと思った。しーさんも、ちょびさん
   も、そして誰もが顔はにこやかに、でも、激しい踊りを絶やすことなく、商店
   街を端から端まで踊り通していた。生きていること、若々しい肉体であること、
   生きることを心底から喜んでいるという雰囲気を体全体で誇示していた。
   小生には彼女等の歓喜の踊りがとっても眩しかったけど、彼女等の姿をまっす
   ぐ見ていたよ。今度はカメラを持って追っ駆けたいね。
   サンバチーム Liberdade(リベルダージ)のホームページは:
   http://www.gres-liberdade.com/schedule/


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●1.誰もいない森の音


 小生が哲学に興味を持ち始めた頃、本格的な哲学書を読み齧ると同時に、哲学
入門や案内的な本を片っ端から読み漁った。哲学にそして、哲学する上でマニュ
アルなどないのだが、それでも、哲学史の本を含めて、自分なりに哲学のイメー
ジを膨らませるのに、無用だったとは思えない。
 マニュアルというのは、誰かが言うように梯子か階段のようなものだ。誰も、
いつまでもそんな中途半端な場所に居続けようとは思わない。しかし、天才なら
ぬ凡人が何処かへ、あるいは一つ高い次元へ至るためには、いずれにしても通ら
なければならない階梯があるのである。
 そうしたある日、何かの入門書で、変わった問い掛けをされた。それは次のよ
うなものだった。
 但し、記憶が朧なので、「誰もない森の中で木が倒れたら、音は聞こえるか…」
という曖昧な文しか思い浮かばない。
 その入門書で、どのような展開がされたのか、小生は覚えていない。この問い
というのは、結構、有名な問いのようである。恐らくはネットでも探せば幾つか、
関連するサイトが見つかるはずだ。もっと確かな問いの文を俎上に載せたい。
 そう思って、小生は、「森 木 音 誰 倒」をキーワードにして検索してみ
た。が、ヒットしたのは一件だけ。それは、「ピアノの森」(一色まこと作、講
談社刊)という、一部のファンには有名らしい漫画を批評したサイトだった(他
にも一件、見つかったが、取るに足りない内容だった):
 http://www.h2.dion.ne.jp/~hkm_yawa/kansou/pianonomori_5_6.html
 そうしてはっきりしなかった問いが次の問いなのである。但し、記憶の彼方の
問いと全く同じかどうかは、なんともいえない。
「誰もいない森の中で一本の木が倒れたとき、どんな音がするのか」
 そのサイトでは、この問いについて、「誰もいないのだから音を聞いたものは
いないわけで音はしなかった、と答えるだろうか。それとも、音は響いたに違い
ないが、どんな音かは誰も耳にしていないのだから知る由もない、と答えるだろ
うか。」と続けている。
 小生が読んだ入門書が、このサイトと同じような展開をさせたか、前述のよう
に小生は覚えていない。
 この問い掛けに対し、そもそも木が倒れたかどうか、それ自体が不明ではない
かという疑問が成り立ちうる。誰もいない森の中で木が倒れたとしても、誰も気
が付くはずがない、というのである。尤もな話だ。
 それゆえ、森の中で木が倒れたという気がするなら、森の中へ分け入って、そ
の時間帯に木が倒れた形跡があるかどうかを実際に確かめてみればいいのだ。
 で、本当に倒れた木があったのなら、木が倒れる際に、まるで無音ということ
は考えられない。従って音がしたのだし、その音がどんな風だったかを確かめた
いというのなら、同じような木を同じような条件のもとに倒してみればいい、す
るとほぼ完璧に似た音を聞くことができるはずだ…。
 なんという科学的な態度だろう。全く、二の句も告げない。現代においては、
何事も、こうでなくちゃいけない。
 誰もいなかったとしても、誰も聞いていないとしても、木が本当に倒れたのな
ら音がしたのだろう、それがどんな音だって、どうだっていいじゃないか。別に
科学的だろうが、ただの理屈だろうが、話はそれで終わりってことでいいじゃな
いか…。
 が、それでは話がまるでつまらない。問いの持つ何処か意味深な雰囲気が掻き
消されてしまう。身も蓋もない気がしてしまう。この問いに対して、単にもっと
もらしい理屈を持ち出して済ませられる人もいるのだろう。そしてそのほうが常
識のある態度なのだろう。
 しかし、この問いの形式には、何か胸に響くものを感じてならない。
 一体、この問いは、本来、何を問い掛けているのだろうか。
 小生は、「石橋睦美「朝の森」に寄せて」という稿の中で、次のように書いた。

 森の奥の人跡未踏の地にも雨が降る。誰も見たことのない雨。流されなかった
涙のような雨滴。誰の肩にも触れることのない雨の雫。雨滴の一粒一粒に宇宙が
見える。誰も見ていなくても、透明な雫には宇宙が映っている。数千年の時を超
えて生き延びてきた木々の森。その木の肌に、いつか耳を押し当ててみたい。
 きっと、遠い昔に忘れ去った、それとも、生れ落ちた瞬間に迷子になり、誰一
人、道を導いてくれる人のいない世界に迷い続けていた自分の心に、遠い懐かし
い無音の響きを直接に与えてくれるに違いないと思う。
 その響きはちっぽけな心を揺るがす。心が震える。生きるのが怖いほどに震え
て止まない。大地が揺れる。世界が揺れる。不安に押し潰される。世界が洪水と
なって一切を押し流す。
 その後には、何が残るのだろうか。それとも、残るものなど、ない?
 何も残らなくても構わないのかもしれない。
 きっと、森の中に音無き木霊が鳴り続けるように、自分が震えつづけて生きた、
その名残が、何もないはずの世界に<何か>として揺れ響き震えつづけるに違い
ない。
 それだけで、きっと、十分に有り難きことなのだ。
                            (引用終わり)

 実は、「森の奥の人跡未踏の地にも雨が降る。」という着想の根は、「誰もい
ない森の中で一本の木が倒れたとき、どんな音がするのか」という若い頃から気
になり続けてきた問いかけにあったのである。
 音からイメージの輪を広げることが難しかったことと、石橋睦美「朝の森」:
 http://www.qphoto-int.com/olec21/olec_body.html
の美しい映像に魅せられたこと、さらに、石橋睦美氏自身の「朝の森」という小
文にも詩的興趣を喚起させられたこともある:
 http://www.qphoto-int.com/olec21/about_mori.html
 その中から、ほんの一節だけを引用させてもらうが、是非、全文を読んでもら
いたい:
「湿気が充満する日の森ほど表情が美しい時はない。雨の降る森には静
寂感が忍び寄っているし、霧が包む森には淡彩色の美が漂う。雪が降る
日は森の神秘性が最も色濃く現れて、心が洗われるような思いになる。」

 この一文を読んで小生は痺れたのである。
 言うまでもなく、石橋睦美氏は、実際に各地へ現地へ赴かれて、森の表情の一
番美しい時を待ち、時よ止まれとばかりに撮ったわけである。誰もいない森では
ないのだし、誰もいない森の音を聞いたわけでも、誰もいない朝の森の美しさを
撮ったわけでもない。氏の存在があってこその賜物なのである。
 しかし、「森の奥の人跡未踏の地にも雨が降る。」とか、「誰もいない森の中
の倒木の音」というのは、まったくの瞑想の産物なのだ。ここに自分がいて、想
像しているのである。自分の存在さえ、そこにはない。あってはならない。ない
ほうがいい。
 人跡未踏の森など、この期に及んで現代にあって存在しているのかどうか、小
生は知らない。
 が、誰の足音にも影響しなければ影響されることのないその沈黙せる音を、誰
の足元をも、誰の頬をも濡らすことない雨の雫にこそ、映るに違いない宇宙の静
寂を聴き取りたかったのだ。誰の肌にも触れたことのない古木の罅割れた木肌に
耳を押し当ててみたかったのだ。
 その時、何が聞こえてくるのだろうか。何が見えてくるのだろうか。
 誰もいない森の音という時、そんな至福の瞑想が誘われてならないのである。

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◎ AYAさんの詩を読んでの感想?!

 「点々は 宇宙を攪拌しないのです」

 我々は攪拌された宇宙の片隅に点在する点々なのかもしれない。
 星の一つ一つが、我々の誰彼の心の投影なのかもしれない。
 道端の石ころや空き缶にしても、誰かの眼差しに晒される。
 梅雨の束の間の日の光にジリジリと焼かれて、
            つい、本音を洩らしそうになる。
 もう、昔のことは忘れちまったとか、
            先のことなどどうでもいいだとか。
 なのに、日が暮れて、宵闇が訪れると、
            今度はまた、違う本音が洩れてくる。
 遠いあの日のことが胸を差すとか、いつの日かの破局を予感するだとか。
 わがまま一杯の梅雨の谷間の呟き。
         きっと、今夜の雨に呆気なく流されていくんだろうな。

[ この雑文は、AYAさんの詩「夏の点々」を読んでの意味不明な感想です。
 「夏の点々」は、AYAさんサイトの「詩篇→白の部屋」にあります。
  AYAさんサイト「Memento Mori」のアドレスは:
   http://www5e.biglobe.ne.jp/~memento/    ]

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●2.宗左近著『日本美・縄文の系譜』


 宗左近著『日本美・縄文の系譜』(新潮選書刊)を読了した。その上で、本書
そのものより、その周辺を巡ってきた。自分としては、本書や縄文に絡む輪の広
がりを楽しめて有意義だったが、そろそろ本書の紹介に取り掛からないといけな
い。
 と言う舌の根も乾かぬうちに、前回、紹介し切れなかった詩人・宗左近と作曲
家・三善晃氏との対談を以下に示しておきたい。
 この対談は、「合唱団弥彦で三善晃氏に委嘱された合唱曲『夜と谺(こだま)』
によせて、作曲の三善晃と、詩人の宗左近氏の対談が行われました。」とのこと
で、1996年 8月25日(日)に、弥彦総合文化会館大ホール(新潟県弥彦村)にて行
われたもの。表題は、「合唱団『弥彦』夜と谺(こだま)〜対談「宗左近、三善
晃」」となっている:
 http://www.bekkoame.ne.jp/~k-kara/omp/library/yahiko15.htm

 ついでに、「西村我尼吾句集「官僚」へ 」と題された宗左近氏による西村我
尼吾論が下記のサイトで読めるのでアドレスを示しておく:
 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/2553/newpage18.htm
 宗左近氏の詩「墓」や「来歴」を読むと、彼のワールドの一端が感じられるか
も:
  http://www3.kyosai.or.jp/~masae/sitokotoba.html#haka

 下記のサイトでは、小山修三さん、ヤオヨロズのみなさんらにより、縄文の世
界が分かりやすく紹介されている。
 その冒頭には、「詩人・宗左近氏の著書「日本美 縄文の系譜」の序文の一節」
として、宗左近氏の魂の叫びとも言うべき歌が紹介されている。これは宗氏の詩
や表現活動を支える情熱の一番深い部分を率直に表現していると思う:
 http://www.dnp.co.jp/jis/g_gakko/talk/11-o/11-omain.html
 

  見えないもの、それを見たい。
  聞こえないもの、それを聞きたい。
  触れないもの、それを触りたい。
  嗅げないもの、それを嗅ぎたい。
  味わえないもの、それを味わいたい。
  感じられないもの、それを感じたい。
  そして
  無いもの、それをあらしめたい。


 このサイトにもあるように、本書は、「遠い過去の縄文人の「心とタマシイ」
に触れたいという詩人の熱い願望が語られています。そして詩人は「詩=愛=夢」
を方法として、日本文化の伏流水を辿りながら、縄文人の「心とタマシイ」に迫
ってい」く本なのである。

 その伏流水はどんな人に溢れ出ているか。例えば宗氏は、芭蕉に注目している。
 宗氏は「想像をする。江戸のどこかで、芭蕉は縄文の土器か土偶を見て、ひど
く感動したことがあったのではないか、と。「そぞれ神」とは、土器に宿ってい
た神であったかもしれない。「道祖神」とは、土偶に宿っていた神であったかも
しれない。このことについて、語る文献は皆無である。だが、文献に残ったもの
だけが、真実ではないのである」
 まさにこの理解の仕方や受け止め方に宗氏の特長があると思われる。「このこ
とについて、語る文献は皆無である。だが、文献に残ったものだけが、真実では
ないのである」。そして宗氏の詩人としての魂が、縄文の魂を芭蕉らに感じると
いうのだ。芭蕉に縄文の魂を感じる根拠は文献的にはない。宗氏の芸術家として
の直感以外にないのだ。
 それゆえ、野暮な反論など無用である。本書は、宗氏のワールドが示されてい
る本なのだ。

 旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

 言うまでもなく芭蕉の辞世の句と言われている句である。宗氏によると、「枯
野」は「京阪神や東海地方の枯野ではない。蝦夷の、東北の、『奥の細道』で出
あった枯野である。あるいは、そのさらに奥にある枯野である。出あえないまま
の枯野」なのだ。
 宗氏は、縄文の魂を受け継ぐ現代作家や詩人として、たとえば寺山修司を挙げ
る。寺山の恐山への関心に注目するのだ。縄文の魂を現代人は忘れている。しか
し、縄文のほうは忘れたりはしない。いつか、どこかで取り憑こうとしていると
宗氏は語る。
 あるいは、斎藤茂吉に、石川啄木に、太宰治に縄文の魂が取り憑いていると、
宗氏は語る。
 どこか破滅型というか、心に罪の意識を抱いているというのか、引き裂かれた
魂を感じさせる作家・詩人らに縄文の魂を見ておられるように、小生は感じる。
 ここまで来ると、縄文論を遥かに超えて、「見えないもの、それを見たい。」
で始まる歌を始め、空白を読み取ること、沈黙を聴くこと、天が裂ける状態にも
たらす事に彼が拘っていたことが分かる。それで十分なのだ。
 彼自身、本書の「はじめに―国の記憶とは」の末尾で語っている。
「本書は、詩=愛=夢を方法として書く、日本人の非物質(心とタマシイ)の物
語です。ルーツから、半死半生の日本の「国の記憶」をよみがえらせようという
企てです」と。

 ☆ 縄文へのこだわりを巡って、次は、梅原猛か岡本太郎を採り上げたい。
  先のことだけれど。

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●[後欄無駄]:新規公表作品情報、ほか

◎ 今回もいろいろアップしました:

  「駄洒落の殿堂!」という部屋が登場! 6月19日更新:
  http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/hobby/dajare-menu.htm
  掌編作品 7月2日更新「桜の園」アップ:
  語り手である主人公のひねた性格が読みどころ?!
  http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/essay/cherrypark.htm
  連作掌編の部屋を新設しました: 
  http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/introduction/rensaku-menu.htm
  エッセイ 7月2日更新「アンタッチャブルの頃」アップ:
  ドラマでネスを演じたロバート・スタックさんの死去に寄せての一文です。
  http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/essay/untouchable.htm
  エッセイ祈りの部屋を新設しました。7月5日更新:
  http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/introduction/rensaku-pray-menu.htm
  書評  7月5日更新:
  http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/profile/profile.htm#book
  リンク  6月18日更新:
  http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/essay/link.htm
  「Contact me !」の中に「キリ番作品の小部屋」を設けました。
  http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/introduction/introduction.htm#contact

 ☆ 7月7日のうちに、エッセイの部屋に一つか二つ小文をアップするつもりで
  います。 
 ☆ サマセット・モームの「雨」を読んだので、近いうちに(次号で?)妄想的
  感想文を掲載する、と思います。

○ 著者への御意見・御要望は  kunimi-yaichi@nifty.com
○ 著者をもっと知りたい方は http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/
○「フェイド・アウト」はネットでも買えます  http://www.boon-gate.com 
  電子出版もされてます(@500円!)
○ 掲示板においでください。貴重な意見を戴いています。皆さんの一言が元気の
 源です。愚痴ったり、駄洒落の一つも飛ばしてください。
 http://hpmboard2.nifty.com/cgi-bin/bbs_by_date.cgi?user_id=ANB07793
○『銀嶺便り』は、以下のシステムにおいて発行されています。
  解除と登録は、以下のサイトで直接できます。
☆ メロンパン:オススメに選ばれています。
  http://www.melonpan.net/melonpa/mag-detail.php?mag_id=001103
☆ Melma
  http://www.melma.com/mag/40/m00031740/
☆ Macky!
  http://macky.nifty.com/cgi-bin/bndisp.cgi?M-ID=kuniya
☆メルマガ天国
  http://melten.com/m/4357.html
☆ Pubzine:優良メルマガに選ばれています。
  https://www.pubzine.com/detail.asp?id=12380
☆ まぐまぐ
  http://www.mag2.com/m/0000063087.htm
☆ E-Magazine
  http://www.emaga.com/info/92381.html

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創刊日:2001-02-25  
最終発行日:  
発行周期:週2回  
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