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Wing-Mel No.1784 松下村塾四天王-入江九一(天下の無法松)

2010/12/27


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           天下の無法松「幕末の人物シリーズ」
            第7弾「松下村塾四天王-入江九一」
                                                  
■■ 転送歓迎 ■■ No.1784 ■■ H22.12.27 ■■ 9,270 部 ■■


今年最後の無法松は松下村塾四天王の入江九一(通称:入江久蔵)について簡単に述べたいと思います。

入江九一は他の四天王の中では一番遅く、安政5年に松下村塾に入塾しておりますが、四天王の中で最も純粋な門下生が入江九一ではなかったかと言われており、終生、松陰先生を師と仰ぎ共に行動していったのが九一であります。そしてその松陰先生は九一に対して「君だけは国のために死ねる男児である」と評したそうであります。

その九一も松陰先生以上に貧しい家庭に育ちましたが、だからこそ国難の危機意識を誰よりも強く持ち、松下村塾四天王の一人にまで数えられる人物となり、残念なことに禁門の変で久坂玄端と共に討ち死にされてしまいました。(詳しくは下記のURLをクリックしてみて下さい。)

http://www.geocities.jp/ontheway18391840/iriekuiti01.htm

http://www.mskj.or.jp/seminar/gaiyou/20061107_irie.html

以上で、松下村塾四天王につきましては終わりますが、これら四天王の四人に通じて言えることは、「人は制度にではなく、人についてくるものである」ということです。そうです。四天王の四人のみならず松下村塾に学んだ人々は皆、「吉田松陰」と言う人物に感化を受けて、己の人格をその松陰先生によって変えられたのであります。

これはクリスチャンならばよく分かることで、つまり、四天王の人々はイエス・キリストの弟子達と同じようにその後の一生を松陰先生によって大きく変えていったのであります。(明治の日本人としてのクリスチャンである内村鑑三先生はこのことを最も訴えられました。)

そこで、大東亜戦争で米国に負けて以来、益々、無政府状態(国家崩壊状態)に近くなってきている平成(大東亜戦争敗戦直後は国家崩壊の瀬戸際までいったそうです)の時代の我が国(保守派と言われている人々までもが「この国」と言っておられます。それだけ司馬遼太郎氏の罪は重いというこどてありましょうか。)において、最も必要とされる人物が松陰先生のような人物であります。

無法松は何処かに平成の「松陰先生」がおられると思っておりますが、思うだけでは何事も進展はしないので無法松を含め、皆が、己こそ「平成の吉田松陰」であると自覚して若い人々を教育していかなければ、本当に我が国は国家として崩壊していくのは間違いがないものと予想されます。

(最も我が国だけで無く、北京政府や朝鮮半島を含む東アジアでどの国が先に崩壊するか?そのレースが始まっているようで、東アジアだけで無く、欧米までもがそろそろ経済的に大きく落ち込んでいくようで、これから十数年以内に第三次世界大戦(フランス人のジャック・アタリ氏の言う「超紛争」の時代)へ突入していくように無法松は今の世相を見て感じております。)

■無法松の戯言■

皆様は、映画「最後の忠臣蔵」を見られましたでしょうか。無法松も先週、見ましたが久しぶりの大作に、ただ涙が流れるばかりで、自分自身があたかもそこにいるかのように感動いたしました。

先に、このままいけば我が国は国家崩壊していくと言いましたが、国家が崩壊しても日本民族が崩壊しなければ必ずやいつかは日本国家を再建できます。しかし、我が国において家庭が崩壊していっている平成の現在においては、この日本民族の崩壊も視野に入れなければならない状態になってきており、正に「日本精神の復活」が叫ばれなければならない時代となって参りました。

ところで、「日本精神」とは何でありましょうか。それは無法松にとっては「侍精神」であります。日本国を再建していく「志(こころざし)」を持った日本国民の自覚を持つ人々の精神であり、日本古来から近代化された現在にまで変わらない我が国に固有の文化(御皇室を中心とした文化)を守り、伝え、改革しなければならないことは改革して行こうとする精神そのものであります。

無法松は常々、司馬遼太郎氏のことを述べておりますが、この「日本精神」を最も理解できなかったお一人に司馬氏がおられます。それは、司馬氏の三島由紀夫に対する評価に表われており、三島事件の直後とは言え、「異常な三島事件に接して」と言う記事(中央公論社「三島由紀夫と戦後」より)の中で、

「思想は思想自体として存在し、思想自体にして高度の論理的結晶化を遂げるところに思想の栄光があり、現実とはなんのかかわりあいもなく、現実とかかわりがないというところに繰りかえしていう思想の栄光がある。〜われわれの日本史は松陰をもったことで、一種の充実があるが、しかしながらそういうたぐいの精神は民族のながい歴史のなかで松陰ひとりでたくさんであり、二人以上(三島を意識して言っている?)も出ればその民族の精神体質の課題という別な課題にすりかわってしまうであろう。」

と言われ、司馬氏の精神の幼稚さが見事なまでに暴露されております。このように言うと司馬ファンよりお叱りのメールが届くかもしれないので、なぜ幼稚なのかをここで述べたいと思います。

それはまず、思想についてです。思想とは人間に関係の無いところから発生したものなのでありましょうか。思想とは神が作られたものなのでしょうか。そうならば司馬氏の言われるところには正解があるかもしれませんが、まさかそうではないでしょう。

つまり、思想とは現実社会に生きる人間が、人類が生んだものであり、現実社会から逃避したりあるいはその中に埋没しながらも生まれてきたものが思想であり、司馬氏の言う思想が政治思想を排除した思想を言うのであれば幾らか理解できます。

また松陰先生のような人物は二人どころか、松陰先生には誠に申し訳ありませんが、雨後の竹の子(松下村塾四天王は言うに及ばず、桜田門外の変の水戸浪士達や会津藩の白虎隊達、西郷隆盛、他etc)の如く幕末の日本どころか古代から現在にまで何百人何千人、否、何万人と表れており、そのような人々が幕末から明治にかけて多数現われたからこそ、あの明治維新は成ったのであります。
(司馬遼太郎氏が記者をしていた産経新聞はいまだにこの司馬氏から卒業できておらず、そこのところに産経新聞の限界があるように思われます。)

では皆さんはなぜ、今の平成の時代が行き詰っていると思われますか。それは、端的に言えば、松陰先生達のような「日本精神」を持つ政治家達が殆どいなくなってきているからであります。つまり、己のことよりも公のことを第一に考え行動していくという精神を持った政治家がいなくなってきているのであります。

そのような精神を持った政治家は少なくとも、森田必勝と三島由紀夫が自決される時代までにはおり、その時代を辛うじて知っている無法松は幸せであると思っております。(三島を理解できなかった故佐藤栄作総理でもと言ってはなんですが、佐藤さんが今生きておられたら、本当に今の政治家達には驚かれ、三島が何を言いたかったのか(日本人の精神的復活)が、分かられたのではないかと無法松は勝手に思っております。)

それでは、本年もまた、色々と勝手なことをこのメルマガで述べて参りましたが、来年度は正月10日の成人式の日より皆様にお目にかかる予定でございますので、何卒、来年度も引き続き、「天下の無法松」を宜しくお願い申し上げます。

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