国際情勢

JOG Wing 国際派日本人のための情報ファイル

政治・経済・外交・社会・文化などの分野において「元気な日本」を作るためのオピニオン誌です。

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JOG Wing No.0253 by melma!

2000/11/25

 _/          _/  _/                      三島由紀夫氏の死を思う
 _/          _/      _/_/_/      _/_/_/                  YoJirou
_/    _/    _/  _/  _/    _/  _/    _/                   
 _/  _/  _/    _/  _/    _/  _/    _/      H12.11.25 3,894部
 _/  _/      _/  _/    _/    _/_/_/         JOG Wing No.0253
                                _/     国際派日本人の情報ファイル
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     昭和45年11月25日の三島由紀夫自決から、今日でちょ
    うど30年経ちます。事件の3ヶ月後に本誌編集者の一員であ
    るYoJirouさんが書かれた以下の文章は、現代日本が今なおひ
    きずっている問題を摘出しています。三島由紀夫が死をもって
    残した叫び声は何だったのでしょうか。長文ですが、臨時増刊
    号として一挙掲載させていただきます。    (伊勢雅臣)
    --------------------------------------------------------

    「あらゆる天才的な、または新しい人間思想、あるいはただ単
    になんぴとかの脳裏に生じたあらゆる真面目な人間思想にあっ
    てすら、どうしても他人に伝えることのできない何物かが残っ
    ているものだ。たとえ何巻もの書物を著わし、自分の思想を三
    十五年かかって解説したにしろ、所詮は同じことである。頑と
    してその人の頭蓋骨のもとから出てゆくことを肯んぜず、永久
    にその人の内に、とどまっているような何物かが、常に残って
    いるものなのである。したがって人は、おそらく自分の思想の
    うちで最も主要なものかもしれぬものを、空しくなんぴとにも
    伝えずに死んでゆくのだ」
    (ドストエフスキー、神西清訳『白痴』より)

■1.自決後の三島論へのいらだち ■

     昨年の三島・森田両氏の壮烈なる割腹自決ほど世人を驚かせ
    たものはない。事件翌日の各紙の社説に始まり、後に続々と続
    き、いまだに続いている週刊誌、月刊誌の論評はまことに虚妄
    というか空虚というか、どれ一つとして人々を納得させるもの
    はない。これらマスコミは、三島氏の死を説明する様々な説を
    並べはしたが、事件の指示した根元的命題は故意に軽視または
    無視して、興味本位の報道に堕して行った。あの事件を通して
    三島氏が訴えようとしていることを真剣に考えてみようとする
    人々にとって、これらマスコミの浮薄な論調は、何とも言い難
    い腹立たしさや、いらだちを覚えさせる。現に私もその一人で
    ある。このいらだたしさは日が経つにつれて増しこそすれ、減
    りそうもない。このいらだちを少しでも鎮めるためには、私の
    とらえ得た三島像を世に問う以外なさそうである。もちろん、
    私は三島氏を語るにふさわしい人間ではない。第一に三島氏は
    私の理解を遙かに超えた存在といってよい。第二に私は三島文
    学のファンではないし、氏の文学作品はほとんど読んでいない。
    それでもなお私の三島論を開陳せずにおれないのは、世上に見
    聞する三島論に強い疑惑といらだちを禁じ得ないからである。

     この小論が三島氏の真意をとらえ得て精確なるものだと自負
    するつもりは毛頭ない。ただこれを書くことにより私のいらだ
    ちが少しでも鎮まり、同時にいささかなりとも三島・森田両氏
    の鎮魂になればと思って書いた。

■2.信じてもらえない苦悩 ■

     何であれ、人のしてしまった行為を傍人が遡って分析すれば、
    自動人形のからくりの他に何が得られるだろうか、というのは
    小林秀雄氏の言葉であるが、マスコミ上に現れる論評はたいて
    いこの類である。率直にその人の置かれた状態に身を置いて思
    えば、何かが見えてくるはずであるが、そこにはだいたい言葉
    がない。そういうところまでいったんおりて行って、何とかし
    て言葉を見つけるのが真の批評というものであろう。このこと
    は言うは易くして行うは難いことであるが、出来れば私はこう
    いう姿勢で書いていきたいと思う。

     三島氏の死の真意を探る意味で、狂気説、美学説、文学説、
    果ては情死説と諸説入り乱れているが、三島氏にとって望まし
    からざるこれら諸説が乱れ飛ぶ責任の一端は、やはり氏自身に
    もあるといえるであろう。三島氏自身ある対談(昭和41年)
    で、次のようなことを口にしている。「私は絶対わかってもら
    えない。身から出たさびだと思います。やはり僕の行跡がたた
    ってましてね、何をやったって信じてもらえない」…「やはり
    自分が悪いのだと思います。」

     三島氏にとって好ましからざる諸説の中にも、それぞれいく
    らかの真実はあるかもしれないが、それらは決して三島氏の核
    心を突いていないし、少なくとも三島氏の意図したところでは
    ない。先の対談での発言は、三島氏が国防を考える上で自衛隊
    に体験入隊することを決意したり、天皇について公に語り始め
    た頃のものであるが、何をやっても分かってもらえない、信じ
    てもらえない当時の苦悩(とは言っても氏は苦悩を表に出すよ
    うな人ではなかった。むしろ「理解されない誇り」と言ってい
    るくらいであるが)は、そのまま自決前後の苦悩へと続いてい
    るとも言えるのである。

■3.生の原理・死の原理 ■

     世間一般の三島氏誤解の第一は、氏が政治的言語で発言した
    り、政治(行動)の世界で活動していることを、すべて文学的
    用語で説明解釈し、文学の世界でとらえようとしていることで
    ある。もちろん氏自身にも、この二つの世界の無意識の融合は
    あったであろうが、意識的には、両者を峻別しようとたえず努
    めた人であることは明白である。

     三島氏が文学を「生の原理、無倫理の原理、無責任の原理」
    と規定し、行動(政治)を「死の原理、責任の原理、道徳の原
    理」(「砂漠の住民への論理的弔辞」)と規定していたことは
    いろんなところで表明している。文学の世界、芸術の世界とい
    うのは簡単に言ってしまえば、結局「ウソで遊んでいる」世界
    である(野坂昭如氏との対談)。従ってその世界においては、
    たとえいくら不道徳、無倫理なものであっても認められるし、
    責任はない。この世界には決して政治が入って来てはならない。
    この世界に政治が入ると、いずれは言論統制につながるからで
    ある。しかし、言論の自由そのものには何らの価値があるわけ
    ではない。戦後は言論の自由そのものが価値として政治的に利
    用されがちであるが、それ自体は価値ではなく、「動物として
    の最低限の要求」である。それはたとえば、夫婦の会話を聞か
    れないとか、はばかりをのぞかれないとかと同じような、いち
    ばん低俗な権利で、しかもいちばん必要なものである。これが
    保障されなければ、文化なり何なり築きようがない。従ってこ
    ういうところから防衛意識というものが出てくるはずである。

■4.本音の思想化 ■

     三島氏は、「文武両道」という言葉を好んで使ったが、これ
    は結局、デリケートな文(文化と考えてよい)の世界をよく知
    っている者が、同時に武(防衛、行動、政治)の世界を知り、
    それを身に付けておかなければならないということである。文
    の世界というものは、非常にか弱く、こわれやすいものである。
    これを守るためには武が必要である。しかし文を解せぬ武の独
    走は危険であるし、文と武の癒着も文の世界をだめにする。こ
    の危険を防ぐためには、文と武の両方の原理をしっかり握って
    いなければならなぬ。「この二つをくつつけぬために両方持つ
    てゐなければならない」と氏は言っている。これがすなわち氏
    の言う「文武両道」である。

     では武の世界、行動(政治)の世界とはいかなるものであろ
    うか。それは先に書いたように、責任の原理、道徳の原理によ
    って支配された世界である。芸術、文学の世界は結局「ウソで
    遊んでいる世界」であったが、政治(行動)なり実人生なりに
    おいては、「本音を思想化」(野坂氏との対談)していけばよ
    いのである。本音以外にモラルはあり得ない、と氏は言ってい
    る。
    
     しかし、モラルは究極的には命をかけることを要求する。
    氏は「文学自体がモラルを喪失させるという危険をいつも感じ
    ていた」(文弱の徒について)。文学にモラルや生きる目的を
    見出そうとする人間は、現実生活に何かしら不満を持っている。
    そして現実生活の不満を現実生活で解決せずに、文学の中に解
    決策を見つけようとする。文学の中に生きる目的やモラルを求
    める人間が、文学の毒にあたると、奇妙な優越感にとりつかれ
    る。自分には何のモラルも力もないくせに、人間の世界に対し
    て、ある「笑ふ権利」を持つてゐるのだという不思議な自信の
    とりこになってしまう。そして「あらゆるものにシニカルな目
    を向け、あらゆる努力を笑ひ、何事か一生懸命やつている人間
    のこつけいな点をすぐ探し出し、真心や情熱を嘲笑し、人間を
    乗り越えるある美しいもの、人間精神の結晶であるやうなある
    激しい純粋な行為に対する軽蔑の権利をわれ知らずに身につけ
    てしまふ」(「文弱の徒について」)のである。(これはまさ
    しく、生前、死後の三島氏の行動に対する文弱の徒「知識人」
    の反応である)。
    
     かくのごとき「文弱の徒」は、文学の中でだけ許されるよう
    な無道徳、無責任、ふしだらを現実生活に持ち込み、人に迷惑
    をかけて省みない。このような文学の毒を人一倍知っていた三
    島氏は、「そのうち…自分の冷笑・自分のシニシズムに対して
    こそ戦わなければならないと感じるやうに」なり(「果たし得
    てゐない約束」サンケイ 昭和45年(1970)7月)、「無責任、
    無倫理の芸術の世界に満足しない一個の人間精神」(前掲・砂
    漠の住民への…)として、「責任の体系と道徳の体系とそして
    死の原理をみづから引き受けようとする政治行動」に「みづか
    ら飛び込んで」いったのである。

■5.内面的モラル ■
    
     このように、文学(芸術)の世界と政治(行動)の世界をは
    っきり区別しようとしていた三島氏は、当然それぞれの世界で
    使う言葉の責任範囲もはっきりしていた。すなわち、文学の世
    界の言葉には「絶対責任はとらない」。自分の小説に他人がど
    んな影響を受けようと自分には一切責任はない。文学の言葉に
    責任を持つとすれば、「言葉の味」に関してだけであって、そ
    れ以外は一切責任は持たない。

     しかし、一歩文学の世界から出て、政治の世界、行動の世界
    に入ると、責任は完全にかかってくる、と言明している。だか
    らこの世界で「11月に死ぬぞ」という言葉を使ったら、絶対
    に死ななければいけない(村上一郎氏との対談・昭和45年(197
    0)1月「日本読書新聞」)。

     三島氏は、政治の世界、行動の世界における自分の言動の責
    任ということを、これくらい厳しく自己規制していたのである
    が、誰もそれを冗談半分しか受け取らなかったのである。いや、
    そういう言葉が冗談としてしか聞けないくらい言葉というもの
    が馬鹿にされているのである。「一度言葉を馬鹿にしたら、あ
    と永遠に馬鹿にしなければならない」(前掲・村上一郎氏との
    対談)。

     これは、文学者としても行動人としても三島氏の我慢できな
    いところであった。こういう気持ちは、昭和35年(1960)の安
    保闘争の頃から強まってきたようである。当時の新聞に、「も
    のを書く人間の現代喫緊の任務は、言葉をそれぞれ本来の古典
    的歴史的概念へ連れ戻すことだと痛感せずにはゐられない」、
    というようなことを書いている。「ウソの言葉をそれと知りな
    がら使ふといういふのは、まぎれもないニヒリズムの兆候であ
    る」(昭和三十五年六月 毎日新聞)。

     政治・行動の世界での言動にはすべて責任がかかってくる、
    という考えは三島氏の内面的モラルであったといってよい。内
    面的モラルとは、三島氏が晩年によく使った言葉「士道」とい
    うことである。士道とは、「内面的なモラルといつてもいい。
    内面的なモラルといふものは、自分が決めて自分がしばるもの
    だ。それがなければ、精神なんてグニャグニャになってしまふ。
    」(昭和45年(970)7月 サンデー毎日)

■6.反革命宣言 ■

     今まで見てきただけでも判るように、三島氏は政治・行動の
    世界においては、自分の言動に対する「責任」ということを非
    常に強調している。他に向かって責任を強調する以上は、その
    ことを自分の肝に銘じていたであろうことは想像に難くない。
    三島氏とはそういう人である。氏はこの「責任」のために死ん
    だといっても過言ではない。

     このような三島氏が“これだけはどうあらうと責任を持つ”
    と言明しているのが、『反革命宣言』である(前掲・村上一郎
    氏との対談)。政治・行動の世界に属する三島氏の所謂「政治
    的言辞」で書かれた評論や、対談、討論等での発言は(特に晩
    年の三、四年のものは)、煎じ詰めれば結局この『反革命宣
    言』に要約されると断言してよい。これは三島氏のいう所謂
    「本音の思想化」と考えられる。『反革命宣言』の思想的背景
    として書かれているものに『文化防衛論』、『橋川文三氏への
    公開状』、『栄誉の絆でつなげ菊と刀』(雑誌「日本及日本
    人」昭和43年(1968)爽秋号)などがあるが、それらを私の理解
    したところに従って解釈すると次のようになる。

■7.終極目標は天皇を守ること ■

     日本の文化・歴史・伝統をぬけがらでなく、生きたものとし
    て守るためには天皇(制)を絶対守らなければならない。何故
    なら、天皇はわれわれの歴史的連続性・文化的統一性・民族的
    同一性の、他のかけがえのない唯一の象徴だからである。また、
    文化の全体性を保障するのは、言論の自由である。この言論の
    自由によって最大限に容認される日本文化の全体性と、先に述
    べた文化概念としての天皇制との接点において、今後の日本の
    発見すべき新しくまた古い「国体」が現れてくるであろう。
    
     文化の全体性を保障するところの言論の自由をこれまた保障
    するのは複数政党制による代議制民主主義である。言論の自由
    であるから、共産党や共産主義者あるいはこれに準ずるものは
    容認され得るが、彼らと行政権は絶対に結びつけてはならない。
    これはあくまで阻止しなければならない。手段としてどのよう
    なことを言おうと、それは最終的には生きた日本の歴史・文
    化・伝統を否定するものであるし、複数政党による代議制民主
    主義とは絶対に相容れないからである。ということは言論の自
    由が保障されないということである。だから形としては言論の
    自由を保障する複数政党制による代議制民主主義政体を守ると
    いうことになるかもしれないが、終極目標は天皇を守るという
    ことにつながっていなければならない。それは日本文化を生き
    た生命あるものとして守るためには不可欠の要件である。

■8.栄誉の絆でつなげ菊と刀 ■

     文武両道のところでも述べたが、文(文化と考えてよい)を
    守るには武が必要である。日本の国という立場から見れば、武
    にあたるのは自衛隊である。この自衛隊が最終的には何を守る
    のかということを明確にしておかなければ、政治状況によって
    は、「人間の本能的な最低限の要求である」言論の自由はもち
    ろん、それに生きた内容を盛り込む日本の歴史的文化的連続
    性・統一性・全体性とその象徴的体現者である天皇を終局的に
    否定する政治勢力の指揮下に自衛隊が行動する可能性も出てく
    る。これを防ぐためには、「文化概念としての栄誉大権的な天
    皇の復活をはからねばならない」(「栄誉の絆でつなげ菊と
    刀」)。栄誉大権とはそう難しく考えなくとも、「現在の天皇
    も保持してをられる文官への栄誉授与権を武官へも横辷りさせ
    るだけ」でもよいのである(「橋川文三氏への公開状」)。ま
    た、自衛隊の儀仗を天皇がお受けになればよいのである(同
    上)。(いつ頃からかはっきりしないが、その後三島氏の考え
    は改憲論へと発展したようである)

■9.日本の純粋性をくもらすもの ■

     以上は『反革命宣言』に代表される三島氏の思想的背景を、
    私の理解したところに従って解説したのであるが、三島氏は日
    本及び日本文化というものを考える上で、「天皇(制)」の問
    題を本当に真剣に考えていたと思われる。これは「檄」にもも
    ちろん見られるし、自決の一週間前に行われたという対談(日
    本図書新聞・昭和45年12月12日号)で「これ(天皇制)は利用
    されようとされなかろうと、ぜったい理想的に復活されなきゃ
    いけない」と言っている。

     戦後二十五年以上経っていながら、依然として敗戦後遺症の
    続いている日本の思想界では、はっきりした「尊皇」やはっき
    りした「反共」は絶対タブーとなっている。はっきりそれを唱
    える者は、分別ある知識人・文化人とは思われないことになっ
    ているし、マスコミや論壇はそれらをまったく無視するか排撃
    しなければならないことになっている。戦後の偽善を打ち破る
    ためには、このタブーを打破しなければならないと三島氏は考
    えていたに違いない。三島氏ははっきりした「反共」であった
    が、その言葉のもつ雰囲気は嫌っていた。「僕は反共といふの
    は実は嫌ひなんですよ。…日本の純粋性をくもらすものは、共
    産主義であらうが、資本主義であらうが、民主主義であらうが、
    なんでもいかん。だから日本人でいいです、」(「文武両道と
    死の哲学」)と言っている。

■10.急速に失われ始めた日本の魂 ■

     以上ずっと書いてきたのは、三島氏の発言をもとにして、私
    のとらえ得た氏の思想であり精神である。少なくとも氏の思想
    の重要な一面であることはまちがいないと思う。だがマスコミ
    に現れる三島氏に関する論評の多くは、これらの点を故意に軽
    視または無視しているように思われる。いや軽視や無視などよ
    りもっと次元の低いのは、三島氏はどこまで本気であんなこと
    を信じていたのか疑わしい、自分を飾るためにする言動に過ぎ
    ない、というような見解である。これは己の次元の低さの告白
    以外の何ものでもない。だがこのような次元の低い見解にも無
    理からぬところがある。こういう発言をしている当人も含めて、
    戦中、戦後の知識人の言動とは、たいていそのような無責任な
    ものであったからだ。それが習い性となり、他人もそういうも
    のだと思ってしまうのである。

     「精神といふものは、あると思へばあり、ないと思へばない
    やうなもの」(「若きサムライのために」の「あとがき」)で
    ある。このような漠とした「精神」というものも文字や言説に
    よって表現され得る。表現され得るけれども最終的には証明さ
    れない。だから先ほどのように、どこまで本気か疑わしいと言
    われても、文字や口先で言っているかぎり証明のしようがない。
    従って精神というものは文字表現だけでは足りない。これは三
    島氏が当然導かれていった結論である。「かうした結論には、
    戦中戦後の知識人の言説といふものがいかにたよりなく、いか
    に最終的責任をとらなかつたかといふことをわが目で確かめて
    きた」(同「あとがき」)氏の経験が大きく影響している。

     精神の存在証明は、「あくまでも見えるものを通して、成就
    される。」「行為は見える。… 従って、精神の存在証明には
    行為が要」るのである(同「あとがき」)。行為とは身近な日
    常生活での言動から究極的には死を賭けた行動まで含まれる。
    三島氏は文字で表し、言葉で語った(あるいは語り得なかっ
    た)精神の存在証明のために死んだ。「今こそわれわれは生命
    尊重以上の価値の所在を諸君の目にみせてやる」(檄)。これ
    は明らかに「留魂」の行為である。何のための留魂か。敗戦後
    急速に失われはじめ、いまだにとどまるところを知らぬ日本の
    魂を救わんがためである。自決直前(当日?)にコロンビア大
    学のアイバン・モリス氏に書き送ったといわれる手紙で、「四
    年間考へに考へたあげく、いま日ごとに急速に消へていく日本
    の古き美しき伝統のために、僕はわが身を犠牲にすることを欲
    するやうになりました」、と言っているそうである。私はこれ
    を言葉通りに受け取りたい。しかし、日本の魂・日本の伝統を
    救うといってもただ昔に戻せばよいと言っているのではない。
    日本の文化・伝統の核(天皇)を守れば他のものは自ずと生命
    力を持ってくるというのが三島氏の考えである。この直感は論
    理的に証明できるような底の浅いものではないが、私は当たっ
    ていると思う。

■11.魂のぬけがらとしての空っぽな経済大国 ■

     三島氏が真に恐れていたのは、外国からの侵略や革命ではな
    かった。もちろんそれらも警戒し防がなければならないと考え
    ていたが、それ以上に氏が心を痛めていたのは、日本が魂のぬ
    けがらとしての空っぽな経済大国に堕して行きつつあることで
    あった。

         『このままいつたら「日本」はなくなつて、その代わり、
        無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕
        な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであ
        らう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく
        気になれなくなってゐるのである』(「果し得てゐない約
        束」サンケイ・昭和45年(1970)7月)。

     いまのままで十年いや五十年くらい経てば、この直感の正し
    さが、特別神経の鋭くない人にも判るようになるかもしれない。
    この文を読んだ時、すぐ頭に浮かんだのはD.H.ロレンスの
    手紙であった。それを要約すると彼は次のように言っている。

         「私は民主主義というものを見れば見るほど嫌いになる。
        すべてが賃金と価格、電燈と水洗便所という卑俗な標準に
        引き下げられてしまう。それ以外の何ものでもない。ここ
        の生活は給料はよく、服装は立派で、自動車を乗り回して
        いる。人はたえず何ということなしに、無意味に活躍して
        いる。すべてがまったくからっぽで、ナッシングで、本当
        にむかつくくらいである。彼らは健康で、私にはほとんど
        白痴的と思われる。生活はただ物質的、外面的になって、
        内面の生活、内面の自己は消滅し、機械仕掛けの人形のよ
        うに無意味にカタカタと動き回っている。そして意味のあ
        る言葉は一語も語れないようになる。にもかかわらずここ
        の人たちは誠実で親切で、仕事には有能で、外面の生活は
        まことに気がおけない。だがそれでおしまい、その他に何
        もない。万事が出たとこ勝負で、じれったがりようもない。
        どうでもよいという気持ちになる。皆がそうなのだ。胸の
        底では、何もかもどうでもよい。自分の小さなエゴだけが
        大事なのである。本当に大事なものがないので、小さなも
        のを後生大事にしているのである。まったくからっぽで人
        生に『内容』を与えるものに欠けている」。

     これは、日本を含めた先進諸国において現在しだいに深刻に
    なりつつあり、これからますます深刻になるであろう重要な問
    題を直感している。ロレンスは五十年ほど昔の豪州を見てこの
    ようなことを直感したのであるが、五十年経って改めてこの直
    感の鋭さに驚かされるのである。三島氏の直感もまさにこのよ
    うな性質のものである。三島氏が死の直前まで天皇を語ったの
    もこの予見と無関係ではない。

     工業化、都市化、福祉国家等あらゆる近代化の行きつく先に
    は必ずフラストレーションが起こる。それを救い得るのが天皇
    である(「文武両道と死の哲学」参照)、というのが三島氏の
    予見であり、鋭い直感である。これは天皇御自身がどうこうな
    さるというのではなく、天皇の御存在そのものがこういう性質
    を持ち得るという意味である。このことも理論化し得ない直感
    であるから時間の証明、歴史の証明を待つ以外ないのかもしれ
    ない。だが証明され得る時がもはや取り返しのつかぬ時でなけ
    ればさいわいである。

■12.留魂・精神の存在証明 ■

     とにかく三島氏は予見し行動し、そして死んでいった。否定
    により、批判により「約束」してきた何事かを果たすために、
    自己の言動に最終的責任をとるために、三島氏は死んでいった。
    もちろん現時点であのような死に方をすればどのような扱いを
    受けるか十分承知の上であったろう。「責任を自己においてと
    らうとするとき、悪鬼羅刹となつて、世人の憎悪の的となるこ
    とも辞さぬ覚悟がなくてはならぬ。それなしに道義の変革が成
    功したためしはないのである」(「砂漠の住民への論理的弔
    辞」)。

     三島氏は結局自己の言動に最終責任をとるために死んだ。精
    神の存在証明をわれわれに見せてくれたのである。

■追記■
      この文は三島由紀夫氏の死後三カ月後くらい経った頃に書
    いたものである。三月二十三日より三島事件の裁判が始まった
    が、これから新しい事実が次々と判明し、この文も多少の変更
    を余儀なくされるかもしれない。だが根本的には変更の必要は
    ないと確信している。また、所謂「知識人・文化人」はこの文
    を一笑に付すであろうが、三島氏の精神はこのように素直に考
    えないとつかめない面があることは確かである。

     次に、森田必勝氏の死についていろいろ言われているが、森
    田氏は三島氏に共に死ぬことを要請されて死んだのではなく、
    自ら進んで死ぬことを申し出たものと私は思っている。このこ
    ともやがて裁判で判明するかもしれない。

     最後に、これはある雑誌の記事で知ったのであるが、森田必
    勝氏は昭和二十年の七月生まれだそうだ。筆者は同年の八月、
    すなわち敗戦の直後に生まれた。どちらも純然たる戦後派であ
    る。筆者が森田氏と同年、しかもほぼ同じ頃生まれたというこ
    とを知ったとき、ある種の感動を覚えたことを付記しておく。

                                  昭和46年(1971)3月29日

※原文はすべて歴史的仮名遣いで書いたが、今回新仮名遣いに直した。
※傍点が何カ所かあるが、今回は表示できない。

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