国際情勢

JOG Wing 国際派日本人のための情報ファイル

政治・経済・外交・社会・文化などの分野において「元気な日本」を作るためのオピニオン誌です。

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JOG Wing No.0137 by CLICK INCOME

2000/03/03


 _/          _/  _/                      日本の「公」と「私」
 _/          _/      _/_/_/      _/_/_/   第3回「天皇と公民」の来歴
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 _/  _/  _/    _/  _/    _/  _/    _/      H12.03.03 3,028部
  _/  _/      _/  _/    _/    _/_/_/        JOG Wing No.0137
                                 _/     国際派日本人の情報ファイル
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     ……………… 目   次 ………………

      第1回 公は「大きい家」 
      第2回 「公の体現者」 
    ★ 第3回 「天皇と公民」の来歴
      第4回 明治における「公と私」 
      第5回 「公」を衰弱させる憲法
      第6回 「私民社会」の危機
      第7回 21世紀へのメッセージ
      第8回 地球的視野の公民教育を

     ほそかわです。第3回をお送りします。今回は聖徳太子以後、
    幕末まで、私の観点から振り返ってみたいと思います。

◆継続・保守された「天皇と公民」

     前回、聖徳太子の十七条憲法は、日本の国体と「公と私」を
    よく表したもの、という私の理解を述べました。

     太子の理想は、その後、形を変え、律令制として制度化され
    ました。律令制国家は、擬制家族的な共同体を基盤として、
    「天皇と公民」の関係を、改めて構築するものでした。律令は、
    実に明治維新まで、千年以上もの間、わが国の基本法であり続
    けます。

     今日、私たちは、第125代の天皇を仰いでいます。歴史を
    振り返れば、皇室の足跡には、さまざまな出来事が見られます
    が、今日まで、皇統が存続してきたことは、世界史の奇蹟とも
    いわれます。

     この間、藤原不比等・道長、平清盛、源頼朝、北条泰時、足
    利義満、豊臣秀吉、徳川家康など、さまざま権力者が現れまし
    た。しかし、強大な権力を掌中にした者たちも、決して天皇の
    御位を奪うことがありませんでした。

     むしろ、頼朝が鎌倉に幕府を開いて以来、武将は、天皇から
    官位を任命されていることを、自分の権力の根拠としてきまし
    た。それがなければ、果たして源氏・北条・足利などの政権が、
    成り立ったかどうか、というくらいに重要なことでした。北条
    政権が制定した「御成敗式目」も、天皇の政府・朝廷の定めた
    律令制を否定するものではなく、「公」の法規を「私」的に補
    完するようなものに、とどめられています。この形式は徳川幕
    府にも引き継がれます。

     戦国の戦乱の世を制覇した織田信長・豊臣秀吉にしても同様
    です。秀吉は、「関白」「太政大臣」という、朝廷(おおや
    け)の官位を、天皇から授けられることにより、全国統一の政
    権を確立できました。

     徳川幕府においても、征夷大将軍の任命から、さらには東照
    大権現といった幕府の祖神の形成にいたるまで、政治権力の正
    統性(legitimacy)に関わる重要な事柄には、すべて朝廷が関
    与していました。

◆皇室を宗本家とする家族意識

     わが国では、「公の体現者」・天皇の権威を否定したならば、
    いかなる覇者も、公共性を持ち得ない、そう信じられてきたこ
    とを、歴史は示しています。政権の覇者たちの系譜にそれを見
    ることができます。

     例えば藤原氏は、もとは中臣氏で、天児屋根命(あめのこや
    ねのみこと)を先祖とします。この氏神は、皇室の祖先神・天
    照大神に仕えたと、古事記等に記されています。それゆえ、藤
    原氏は、いかに権勢を極めた時にも、あくまで皇室に仕えると
    いう立場を保ちました。

     次に、武力をもって台頭した武家も、決して力によって皇位
    を奪おうとまではしませんでした。むしろ、平氏は桓武天皇、
    源氏は清和天皇の末裔(まつえい)であることを家の誉れとし
    ました。また徳川氏は、皇室の分家・源氏の流れを汲むことを、
    武家の棟梁にふさわしい由縁としました。

     皇室が自分の家の本家のようなものであるとすれば、皇室に
    歯向かうことは、自分の祖先の意に反することになります。
    「公」である天皇・朝廷に対し、朝敵となることは、大罪と意
    識され、「私」の専横への強い自制が働いたものと思われます。

     ところで、姓氏の由来を調べてみると、多くの家が、皇室を
    宗本家とした本家・分家に由来を持つことがわかります。

     今日ある多数の名字が、藤原氏・橘氏・源氏・平氏などから
    分かれたものと伝えられます。藤原氏からは、足利国佐野の佐
    藤、伊勢国の伊藤、加賀国の加藤、近江国の近藤などの家が分
    かれました。もとの藤原という姓氏と、地名の一部とが合体し
    て、名字が作られたのです。また、源氏からは、新田、今川、
    秋山などが分かれました。村岡、相馬、梶原などは平氏の子孫
    です。(6)

     今日、日本人の名字は29万もあるといわれます。ところが、
    日本には、たった一つ名字のない家があります。それが、皇室
    です。皇室には姓がないのです。ある家から分かれた家は、新
    たな姓氏・名字を持ちます。皇室に姓がないということは、天
    皇家がどこかから分家したのではないということを示すと考え
    られます。つまり、本家の本家、宗本家にあたることを意味し
    ます。

     そして、日本の多くの家は、この皇室を中心とした本家・分
    家・別家の系統に連なると考えられます。あるいは、そうでな
    くとも、長い年月の中で、皇室の系統となんらかの親族関係を
    結んできたと考えられます。

     このことは、次のようなことを考えるとわかるでしょう。あ
    なたには、ご両親がいます。父母にはその親がいます。こうし
    て両親で2、祖父母で4、曾祖父母で8、さらに16、34、
    68と先祖をさかのぼると、28代でなんと1億3千万人にも
    なります。日本の現在の人口を超えてしまうわけです。過去の
    時代の日本人の人口は、それよりはるかに少ない。ということ
    は、さかのぼっていくと、日本人はみなどこかで共通の先祖を
    持っているはずです。そして、また皇室とも、つながっている
    とも考えられるわけです。

     日本は、一大家族的共同体としての「公(おおやけ=大きい
    家)」を基盤とした国柄であると、私が考える所以の一つがこ
    こにあります。

     こうしたことが事実かどうかは、ここでも二次的です。私た
    ちの先祖が、こうした家族的なつながりの意識を共有しつづけ
    てきたことが重要なのです。そこに、「天皇と公民」の関係が
    長い歴史を貫いて保たれてきた要因があると思います。

◆尊皇思想における「公」の追求

     さて、江戸時代には、徳川幕府の大義名分を論じるなかから、
    尊皇思想が現れます。それは幕府の官学とされた朱子学に始ま
    り、崎門学・水戸学において、天皇の正統性が徹底的に論じら
    れました。その展開は、日本の「公」のあり方を明らかにしよ
    うとした、壮絶な試みと言えましょう。

     崎門学とは、山崎闇斎の門流です。闇斎は、シナの朱子学を
    論理的に追及することにより、易姓革命により王朝が次々に交
    代してきたシナには、正統性はない。古来、一系の皇室を仰ぐ、
    わが国にのみ正統性があることを明らかにしました。そして、
    その正統性を持つ者は、天皇以外にはないという観念に到達し
    ました。

     闇斎の弟子・浅見絅斎は、「靖献遺言」において、君主とは
    絶対的な存在であり、君主に無条件に忠を尽くし、義を立てる
    という究極の君臣関係を描きました。そして、シナの人士を例
    を採りつつ、言外に、忠義を尽くす君主とは、「私」たる藩主
    や将軍ではなく、「公」たる天皇以外にないことを訴えるもの
    でした。

     絅斎の弟子らは、水戸学において、武家政治の歴史を論じ、
    保元の乱、承久の乱、建武の中興などにおける天皇のあり方を
    強く批判しました。ところが、批判を徹底すればするほど、逆
    に天皇のあるべき姿が追求され、天皇が理想化されていくとい
    う、逆説的な展開が起こりました。ここから、明治の「現人神
    (あらひとがみ)」としての天皇観が創られていきます。(7)

     水戸学では、「黄門様」として親しまれている水戸光圀の下、
    「大日本史」の編纂が行われていました。そして、歴史の研究
    を通じ、シナとは全く異なる、わが国独自の国柄が明らかにさ
    れていきました。ここから、「国体」という概念が成長します。

     「大日本史」を基にした頼山陽の「日本外史」が、幕末の大
    ベストセラーとなり、水戸学の国体論に基く歴史観が、広く共
    有されていきました。いわば、幕末の「国民の歴史」です。

◆幕末の危機における「公」の再生

     さて、頃は19世紀の半ば。アヘン戦争、そしてペリーの黒
    船来航によって、わが国に、白人列強による植民地化の危機が
    迫ってきました。開国か鎖国か、倒幕か佐幕か、国論は二分し
    ました。

     そうした状況において、わが国の独自の国体と歴史が、強く
    自覚されました。浅見絅斎の「靖献遺言」は、勤王の志士たち
    の愛読書となりました。絅斎の倫理において、君主を藩主・将
    軍から、天皇に置き換えるならば、天皇の「公」的権威と、個
    人の「私」的規範とが、ともに確立します。吉田松陰・西郷隆
    盛らは、「靖献遺言」を読んで鼓舞激励され、志を立てたと伝
    えられます。

     幕府政治の「公儀」は「私」に傾いたとして批判され、国内
    に天皇を中心とする「公」の精神が広まりました。幕府は独断
    で外交・内政を進めることができなくなり、諸侯の意見を集め、
    「天下公論」に基いて政治をすることを余儀なくされました。

     また、藩やお家という「私」よりも、日本という国の「公」
    を優先しなければならないという意識が、武士たちの新たな規
    範となりました。そうした意識を最も強く持つ脱藩者・坂本竜
    馬の建策が容れられ、薩長同盟が実現し、遂には将軍・徳川慶
    喜による天皇への大政奉還がなされました。そして、江戸の町
    を争いの場にして、その隙に欧米諸国に突き入られてはならな
    いと、勝海舟と西郷隆盛によって江戸城の無血開城が実現しま
    した。「公」の精神が、「私」の確執を超えて、大きな「和」
    を生み出したのです。

     かくして、日本の独立と伝統は保たれました。国家・民族存
    亡の危機の中で、「私」を超える「公」の精神が確立・高揚し
    ていきました。こうした幕末の時代の「公」を一言で言えば、
    「一君万民」の精神と言えるでしょう。日本人の中に、「公の
    体現者」である天皇を統合の象徴として、近代的な国民意識が
    形成されていきました。それは、古来の「天皇と公民」の関係
    が、危機の中で再生された、歴史的な共有体験でもありました。

     もし、この時代、わが国に、天皇という「公」の象徴が存在
    しなければ、どうなっていたでしょうか。わが国は多数の「
    私」に分裂・対立し、欧米諸国の手で分断、植民地にされ、国
    民の多くは、白人に隷属することになったに違いないと、私は
    思うのです。

     次回は、こうして迎えた、明治の「公」について見てみたい
    と思います。

参考資料
  (6)与那嶺正勝著「家系の科学」 徳間書店)
  (7)山本七平著「現人神の創作者たち」(文芸春秋社)

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    ほそかわ・かずひこの<オピニオン・プラザ>
    http://www.simcommunity.com/sc/jog/khosokawa
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■編集長・伊勢雅臣■

     ヨーロッパや、シナの歴史を見ると、皇帝や王様が、土地や
    人民を私物化している様がよく分かります。君主主権とは、国
    家は君主の私有物だ、という主張で、それに反対して、国家は
    国民全体の所有物だというのが、国民主権です。

     日本の皇室は、かつて民を自らの私有物だと考えたことはあ
    りませんでした。神から委託された大御宝だと考えたのです。
    ですから、天皇主権などということは、歴史事実としてもあり
    ませんでした。我が国が建国の時点から、「無私=公」の象徴
    として、皇室をいただいてきたことは、世界史の中でも希有な
    歴史現象なのです。

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