国際情勢

JOG Wing 国際派日本人のための情報ファイル

政治・経済・外交・社会・文化などの分野において「元気な日本」を作るためのオピニオン誌です。

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JOG Wing No.0131 by CLICK INCOME

2000/02/18


 _/          _/  _/                      日本の「公」と「私」1
 _/          _/      _/_/_/      _/_/_/     「公」は「大きい家」
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 _/  _/  _/    _/  _/    _/  _/    _/      H12.02.18 3,005部
 _/  _/      _/  _/    _/    _/_/_/        JOG Wing No.0131
                                 _/     国際派日本人の情報ファイル
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    ……………… 目   次 ………………

      第1回 公は「大きい家」 
      第2回 「公の体現者」 
      第3回 「天皇と公民」の来歴
      第4回 明治における「公と私」 
      第5回 「公」を衰弱させる憲法
      第6回 「私民社会」の危機
      第7回 21世紀へのメッセージ
      第8回 地球的視野の公民教育を

     こんにちは、ほそかわです。

     日本の「安全神話」は崩れつつあります。東海村の臨界事故、
    山陽新幹線のコンクリートはく落事故など、次々に露呈するず
    さんな実態。そのうえに、神奈川県警の不祥事は、警察内で、
    組織ぐるみの犯罪隠しが行われていたことは、ショッキングで
    した。さらには教育、医薬、政界等、どこを見ても……。

     ここには共通した原因があるのではないでしょうか。

     私は、「公」の精神の著しい欠如、公共性の喪失ーーそこに
    日本人の職業倫理、さらに社会道徳そのものが崩れつつある原
    因の一つが、あると思います。

     そこで、日本における「公と私」について考え、「公」の精
    神の復活のための提案をしたいと思います。

◆日本の「公」は、天皇と切り離せない
 
        「戦後の日本が、天皇から目を背けてきた、ということと
        公の感覚がどんどん希薄になってきたということとはパラ
        レル(平行)だということだと思います。

         天皇を中心とした公の機能が久しく有効に働いてきたー
        ーたとえば、政治的リーダーが無能であったり、誤った政
        治選択があっても国民的共同性というものが損なわれない、
        というような大きな遺産の上にわれわれは生活してきたに
        もかかわらず、天皇という存在を軽視し、戦後のミーイズ
        ム的な風潮とあいまって、公についての意識を希薄にして
        きた。

         公の後退と天皇回避ーこの悪循環を断ち切らない限り、
        真の意味での日本の再生はない」(1)

     これは、国学院大学講師・高森明勅氏の言葉です。近年、多
    くの人が「公と私」を論じていますが、高森氏の発言は、問題
    の本質をついていると思います。

     「公」とは、天皇の存在と結びついた言葉でした。日本の
    「公」は、天皇を語ることなくして語れないーーここに鍵があ
    る、と私は思います。

◆「おおやけ」という一大家族的共同体

     再び高森氏の言葉を引用します。

        「天皇とは何か。それは天皇と同時に『公民』が誕生した
        ということを考えるとわかりやすい。それ以前の君主は
        『王』(大王)で、…王は豪族全体の利害を代表する位置
        にあった。しかし各豪族の私地私民の拡大欲求は際限もな
        い。民の限界を顧みず財を吸い上げていく。

         一体、誰がそれに歯止めをかけ得るのか。ここに豪族の
        利害の代表者としての王から、公共の体現者としての天皇
        への転換の歴史的必然性があったのです。この王から天皇
        への転換こそ、厳密な意味での国家形成以前と以後とを分
        かつ分岐点だった」(2)

     「公」とは、もともと「おおやけ」に当てられた漢字でした。
    「おおやけ」とは、「大宅・大家」つまり「大きい家」を意味
    します。そこからざまざまな意味が派生しました。天皇・皇后
    が「おおやけ」と呼ばれ、天皇の政府つまり朝廷も「おおや
    け」と呼ばれます。さらに公共性・世間などの、より広い意味
    が生まれたのでしょう。

     私は、「おおやけ」という概念の核には、家族的な共同体が
    あると考えます。以下は素人の粗雑な仮説ですが、「おおや
    け」つまり「大きい家」とは、多数の氏族が集合した一大家族
    ということではないかと思います。個々の豪族の家が「小さい
    家」だとすると、豪族が連合した集団は「おおやけ」つまり
    「大きい家」となります。この中心が「おおきみ」としての天
    皇です。天皇は一大家族の中心として、大親あるいは大家長で
    あり、豪族はその子であるという関係となります。つまり親子
    の関係です。また豪族同士は、共通の大親を持つ「はらから」
    つまり兄弟・同胞の関係となります。

     この関係が、血縁関係であるかどうかは、二次的です。「ち
    ぎり」ないし「誓い」によって結ばれた、擬制的な関係であっ
    てよいのです。精神的に、親子または兄弟という感情を共にし
    ていることが重要です。つまり、家族的な感情によって結ばれ
    た感情共同体です。家族意識を共有する集団です。これを、家
    父長制的擬制家族共同体と呼んでもよいでしょう。

     現実世界での家族的融合に伴って、神話や伝承の編集が行わ
    れ、氏神や祖霊は系列化されます。天皇はこの体系の祭祀を司
    る祭祀王(priest-king)となり、各氏族の神々や祖霊もまた、
    ところを得て尊重されます。神道には、こうした和合・包容の
    原理があります。この原理によって、言語・民族・文化を異に
    する集団も、親和・融合し、やがて列島のほとんどが一大家族
    に包摂されていくことになりあます。

     古代の日本では、家族的統合による共同体の全体が「公(お
    おやけ)」と呼ばれたと、私は考えています。この仮説をもと
    に、話を進めます。

◆天皇と公民の家族的統合

     高森氏がいうところの「天皇と公民」が誕生した時、天皇と
    公民の関係が、支配ー服従の関係ではなく、家族的な共同互助
    の関係が保れたことに、わが国の国家形成の特徴があると思い
    ます。そこに、わが国独自の「公と私」のあり方が浮かび上が
    ってくると、私は思うのです。

     「公(おおやけ)」に対する「わたくし」とは、何でしょう。
    三戸公(みと・ただし)立教大学名誉教授は、「わたくし」と
    は、「吾尽くし」だとします。(3)
    
     「吾尽くし」とは、「われ」が全体に「つくす」という意味
    でしょう。全体を「われわれ」とすれば、「われ」はその部分
    です。「われ」が「われわれ」という全体のために奉仕する行
    為−−それが「わたくし」です。

     そこから「わたくし」とは、全体に対する部分の意味ともな
    ったのでしょう。部分としての「私」は、「公」という「大き
    い家」に対する、「小さい家」あるいは個人です。例えば、自
    分の家に関わることや、自分の一身のことは、「私」の事とな
    ります。

     このように私は、日本の家族的共同体には、全体は「公」、
    部分は「私」という構造があるという仮説を立てています。

     天皇はこの家族的共同体、つまり「おおやけ」の象徴であり、
    また共同体全体の統合を象徴します。それゆえ、天皇自身も
    「おおやけ」と呼ばれます。

     これに対し、この共同体の家族的構成員が、ここに言う「公
    民」です。言い換えると、全体=「公」を体現するものが天皇
    であり、部分=「私」を構成するのが「公民」です。

     ここで重要なことは、この家族的共同体において、部分は一
    方的に全体に奉公(「わたくし」)するものではないというこ
    とです。同時に、全体が各部分を生かすという双方向の関係に
    あるのです。この点が、支配ー服従関係とは違う、家族的な共
    同互助の関係であるゆえんです。

     天皇と公民の関係において、天皇は公民を「おおみたから」
    と呼び大切にします。これは、親から子への愛情に比せられる
    感情です。一方、公民もまた天皇をこそ「おおみたから」とし
    て敬愛するでしょう。これは、子から親への敬愛に比せられま
    す。

     ここで実際に血縁関係があるかどうかは、二次的です。そも
    そも一大家族的共同体といっても、それは擬制的なものだから
    です。重要であるのは、共同体の構成原理が、家族的な理念で
    あることです。そして、天皇と公民が、深い家族的な一体感を
    もって、結びついているところに、わが国の共同体の特徴があ
    ります。「親子一体」「君民一体」が、そこに流れる精神です。

◆家族的な公共倫理

     天皇と公民は、一大家族的共同体を構成しています。家族と
    は生命を共有する集団です。共有生命集団の目的は、集団の維
    持・存続・繁栄です。この目的の達成のためには、部分よりも
    全体の利益が追求されます。それによって各部分も利益を得ま
    す。それが生命体の原則です。日本の国家社会は、こうした自
    然の共生的な生命原理がよく貫かれた社会だといえます。

     天皇と公民は共に、共生的な共同体全体の利益、つまり「お
    おやけ」の利益を追求します。そして、それぞれの立場で、家
    族的共同体の全体としての「おおやけ」に奉仕する、つまり
    「わたくし(吾尽くし)」します。それは同時に「私」、各部
    分が最もよく生き、生かされることにあります。これが、日本
    の公共倫理の根本となっていると考えられます。

     このように、日本の「公と私」は、天皇を中心とした家族的
    共同体における「全体と部分」という構造を持ち、またその構
    造に基く家族的な公共倫理に貫かれてきたと、私は考えます。
    私は、わが国は、こうした家族的共同体を基盤として繁栄して
    きた国として、独自の特色・個性・体質を持っており、それが
    国体となっていると思います。日本の国体には、全体と部分、
    部分と部分が調和する、自然と生命の法則が見事に現れている
    と思います。

     こうした「公と私」の構造と倫理が見失われているために、
    現代日本の危機が生まれているというのが、私の意見です。 

     さて、日本の国柄と「公と私」をよく表しているものの一つ
    が、聖徳太子の十七条憲法だと思います。そこで次は、太子の
    憲法を見てみたいと思います。

参考資料
(1)雑誌「日本の息吹」(日本会議) 平成11年10月号
(2)同上
(3)三戸公著「家としての日本社会」(有斐閣)

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    ほそかわ・かずひこの<オピニオン・プラザ>
    http://www.simcommunity.com/sc/jog/khosokawa
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■編集長・伊勢雅臣より■

     ご存じ、ほそかわ・かずひこさんの大力作が始まりました。
    じっくりと読んでいただけるよう毎週金曜日に掲載します。
    「公」と「私」が相互に生かし、生かされる世界、それは全体
    主義や個人主義を超えた新しい政治的理想を示します。
    
     こうした深い豊かな政治思想が、日本の建国当初からあった
    事は、驚くべき、そして何とも有り難いことです。

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