哲学・心理学

ご縁と受け取るその人は、世の中全ておかげさま。

哲学としての禅が求めるところは結局「全肯定」の世界、「ご縁と受け取るその人は、世の中全ておかげさま。」の境地へ辿り着くということ、本当の自己の目覚めを臨済宗の教義と坐禅の実践に求めるメルマガです。

全て表示する >

第十章 キレやすい人

2019/02/11

___________________________________

■臨済宗の教え - 「第十章 キレやすい人」
___________________________________

◆◇第十章 キレやすい人

 私が禅の教えを受けた老師の一人に、臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺老師が
います。
 今までお会いしてきた老師の中で

 「こ の 人 の 言 う こ と を 信 じ な け れ ば 絶 対
 殺 さ れ る ! !」

 と思ったのはこの横田老師の師匠である円覚寺派前管長の足立大進老師と、
三島、龍澤寺の中川球童老師です。
 禅の修行には「イエッサー!」しかありません。自分のボス(=足立大進老
師)が白いというものは白、黒いというものは黒なんです。横田老師とははっ
きり言って「ボスが次のボスだと選んだ人なのでボス」という関係です。
 その、横田老師がまだ管長におなりになる前、私が円覚寺居士林の土日坐禅
会へ参禅していた頃、隠寮(老師の部屋)でお茶をいただいたことがあります

 その時老師に「私は怒りっぽくてダメなんですよね」と相談したところ「禅
は怒らなきゃダメなんだよ、悟るには怒りのエネルギーが必要なんだよ」と力
説されて意外に感じました。まあここまではいいんですけど。で、話しながら
お茶を勧められて、お菓子も勧められたんですね。お茶の席って結構「まあこ
れでも召し上がって下さい」と言われて口にモノを入れた直後に「それでです
ね」みたいな感じで会話することになるじゃないですか?それだと「口にモノ
が入っている状態」でしゃべらなければならないわけです。それで思わずくち
ゃくちゃしながらしゃべったんですけど、そしたら老師は速攻キレましたね(
笑)。
 横田南嶺老師と言えば、若干34歳で僧堂師家という修行僧を指導する最高の
立場になられた方です。確かに悟るのには怒りのエネルギーが必要なんですね
。さすが、悟る人というのは気が短い。
 在家禅修行の欠点は、出家僧なら何十人という老師の中から「この人こそは
」という人物を師匠に選べるのですが、在家に教えている老師というのは数が
少ないので選択肢がありません。その中でも東京近郊で間違いがないと私が言
い切れるのは横田南嶺老師です。
 「老師」と呼ばれて、結構ちゃんとした身分の方から印可(修行の修了証書
)をもらっている人でも正しい見解とは言い難い人がいます。「老師」のうち
半分くらいは偽物と言っても良いと思います。横田老師の素晴らしいところは
、師匠が良い、というところです。師匠を見る目があります。出家得度の本師
は名刹、白山道場の小池心叟老師です。また、修行して法を嗣いだのは円覚寺
の足立大進老師です。どちらも素晴らしい老師なのですが、足立大進老師は僧
堂師家経験者です。一方、小池老師は在家の教化に力を注いでおられました。
 横田老師も僧堂師家ですが、在家でも、僧堂師家に習えるというのは最高の
贅沢なんです。やはり専門道場で修行僧と「刺すか刺されるか」の真剣勝負で
教えている人というのは肚の出来が違います。一方、小池老師というのは、禅
僧としてはちょっと優しすぎた人、という感想があります。
 「ありがとう」とか「愛している」とかポジティブな意思伝達の言葉はたく
さんありますが、私は、普通の人は間接的に他者との「人間関係」を介するこ
とによってしか「仏の心」を感じられないのだと思っています。つまりお互い
の送り合う愛です。人間関係が良好でないと幸せを感じられないのはそういう
ことだと思います。
 それに対して禅をやると「仏の心」を「一人称」でダイレクトに感じられる
ようになります。人は結局一人で生きて行くしかないのですが、そういった決
意を固めるのには禅は良いと思います。
 私が禅を習って変化のあったことと言えば、電車に乗った時、隣の席の人が
居眠りして寄りかかって来ても、肩をずらして外す、ということをしなくなり
ました。「この人も疲れてるんだろうな」と思う。禅をやると、ある意味で疲
れ知らずになります。なので、自分が大変だった時のことを考えると、キャパ
シティの許す限りはいくら寄りかかってくれても構わない、という心境になり
ます。私のようなものと比べるのは途方もなくおこがましいことなのですが、
行基や日蓮はそういう考え方だったのではないかと想像します。
 それで、よりかかることは別に構わないのですが、よりかかっている者とし
ては「よりかかっている」ということを認識している必要はあると思います。
「それは、真実を見つけたというわけではない」という理解は必要です。
 私が白山道場に通い始めたのはご遷化される三年前だったのでよくはわから
ないのですが、小池老師という方はとても優しい老師だったようです。なので
、多くの方に慕われ「寄りかかられていた」と推測しています。在家相手に独
参(一対一の禅問答)を毎朝やっていた。でも、それは禅の修行の本来の在り
ようではなくて小池老師の「愛情」を感じ取る手段だったのではないかと想像
します。そういう誤解を在家の弟子へ与えてしまった部分があるので、私の中
ではどちらも尊敬する老師とは言いながら敢えて選べと言われたら足立大進老
師の方を選びます。

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2019-01-24  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。